今日、カローラが納車されました。
昭和49年製造のTE-20、歴代二代目のカローラは遠く群馬県前橋市の旧車専門店「オートサークル」の福嶋さんが、奥様を伴って運んできて下さいました。
福嶋さんとは2年前に出会いましたが、この2年間ずっと考えてついにお願いしたこの旧いカローラは、僕の自動車人生の上で初めて乗った3万円で買ったカローラと同じものです。
福嶋さんはかねてより被災地を訪れたいと思って下さっていました。だから今日は納車もそこそこに被災地を案内しました。仙台空港のすぐ横、北釜に残る鈴木英二さん宅を案内すると絶句されていました。あの日の津波の大きさが実感できる数少ない「遺構」です。
そして閖上に戻り、日和山、閖上中学校、そして「閖上の記憶」を案内しました。終始涙ぐんでいらっしゃる福嶋さんの奥様、和美さんはとても鋭い方で、こちらの気持ちをどんどん言い当てて、想像力の豊かな方だと思いました。ご主人は旧車の自動車会社を営むわけですが、その同じ敷地内でカイロの施術院を営んでいらっしゃいます。
「閖上の記憶」では、実に熱心にビデオをご覧下さり、たくさんの募金と、グッズの購入をしてくださいました。心あるお二人です。
奥様が言いました。
「うちの主人は物静かだけど、あの日以来、ずっと毎月東北に募金しているんです。仕事が忙しくてなかなか行けないけれどいつかは行ってみたいとずっと言っていたので、今日こうやって納車で来られて良かったです。」
納車が生んだ人のつながりです。これからも旧車の持ち主として福嶋さんと仲良くしていきたいと思っています。
さて、カローラ20(にーまる)です。
41年の時を生き抜き、そこにちょこんとたたずむ姿のなんと愛おしいことでしょう。この41年という歴史はまさに日本の激動期。高度経済成長期にクルマとして誕生し、バブルも、そのあとの失速も見てきた彼は、まさに自分の人生と重なり合わせるものがあります。
この時代のカローラはもはや販売されているものとしては、どこを見てもこれが最後のように思われました。レースやラリー仕様のカローラ・レビンなどは旧いものでも残っていますが、がちがちに改造されてしまっています。
これから、このカローラとスローな時間を過ごしていきたいと思います。もちろん超過密で超スピーディな動きもしていかなければならないけれど、本当に「たまに」で訪れる休みの時には、これに乗ってゆっくり温泉などに行ければと思っていますが、既に現時点で年末まで日曜日で空いているところは4日しかありません。
う~ん、まだまだ人生は突っ走る時のようです。
それでもこのクルマを手に入れようと思った自分の内面の変化に驚いています。そうやって昔を懐かしく想い、愛おしく思うのは歳をとった証拠でもありますが、同時に、自分の人生を見直して進んでいこうという現れのようにも思えます。その意味で、自分のモータリゼーションの原点であるカローラ20は、いつもそこにいてほしい存在かも知れません。
ぜひ、名取に乗りに来て下さいね!
ちなみに珍しい「トヨグライド」といい、二速(!?)のオートマチック車です。
桑山紀彦
よかった~ヾ(=^▽^=)ノ
前に記事が出たとき、心の中では「想いのままに進んでください!カローラさん、どうか桑山さんの元へ」と願っていましたが、そんなこと簡単にはコメントできず、それでも私は祈るような気持ちでそう思っていました。
いろんな思いを乗せて、新たな道を前進ですね(^O^)
出会いやタイミングには、意味がありますよね。
人生って、何事も気付きと行動☆彡だと改めて感じ、とても嬉しくなりました。やったぁ(^O^)/
飛騨国府には、プリンス グロリア・スーパー6が飾ってあるカフェがあります。
旧車を通して、また出会いが産まれるのですね!
これは最早れっきとしたクラシックカーですね。
入手にこぎつけた執念恐れ入りました。
偶然にも、納車の日だったのですね。
さっそく運転させてもらいました。
ガチャンと閉じる音のドア、手動のフェンダーミラー、パワステのない大きな硬いハンドル、独特のスポンジ感満載のシート・・・など、私も初めての車は、同じ頃の年式のコロナだったので、ブルルルというエンジン音も含め「そうそう!これこれ!!」という感じでした。
その後乗ったフリードは、まさに未来の車、流星号って感じでしょうか。
車内から見た写真に、私のカローラフィルダーが写ってますね。