「地球のステージ」の原点。
それは1997年8月27日(水曜日)午後7時から、山形県西川町の沼山小学校のステージだと思います。
それは1996年1月15日に始まってからたった23回目のステージ。年間多くても10~30回の初期の時代にこの沼山小学校のステージが忘れられないのは、この小さな町のある地区の人々が実に活き活きと生きていたからでした。
ちなみに現在の事務局長、明ちゃんはこの日が初めての「見学」の日でした。
沼山地区にあるせせらぎ公園の小さな池の上にせり出してステージが設けられ、野外ステージでしたのでかがり火が焚かれ、沼山の人々は親子でこの夏の夜長にステージに来て下さいました。
そして、当時の演目(もちろんステージは1番しかありませんでした)にあった「旧ユーゴスラビア篇」の最後に出てくるぼろぼろになった難民の男の子の靴の話をしていました。彼はこのズックを履いて500キロの道を歩いて逃げてきましたが、換えがないので、何度もお母さんに縫ってもらって今も履いているというお話でした。
すると、ステージのあとの交流会で沼山小学校に戻った時、ある小学生の男のが、
「あのズックが忘れられないです。僕のズックをあげるにはどうすると良いですか?」
と聞いてきました。
山形の田舎に生まれ育ち、小さな小学校で学んでいるその少年は既に心が世界とつながっていました。これに感動して、それ以降はこの沼山小学校の少年の話をずっとしていました。
「地球のステージ」にはそういう力がある。こういう子どもたちとの出逢いのために日本中の学校を回りたい。そう思うようになった大きなきっかけです。だから沼山小学校は「地球のステージ」の原点です。
そして今日、沼山小学校に行ってきました。
快晴の西川町は月山をいだき、空撮するとまさにその迫力が別世界の街です。
しかし沼山小学校は既に統廃合となり、校舎もなくなっていました。
(沼山小学校の跡地)
近くで畑を耕していた荒木さんに聞きました。
「あ~、地球のステージ、覚えているよ。そこの公園でやったよ。今はもう水はないけどね。ちゃんと残っているよ。」
「校舎はね、2年くらいまでに取り壊したな。統廃合はもう5年くらい前になるかなあ。」
そしてその公園に行きました。
(緑のところに水が張ってありました)
あの日のことが蘇ってきました。ここに水が張ってあり、かがり火が焚かれ、沼山の子どもたち、大人たちがたくさん集まってきてくれていました。夏の野外ステージです。夜露でバイオリンの弓が濡れて音が出ず、ブルースハープ(ハーモニカのようなもの)を吹いて、「赤とんぼ」を最後に歌いました。
(ステージに立った時の目線です。みんなが池の縁に直に座って聴いてくれました)
18年前のステージです。
もう一回荒木さんのところに戻ると、今度は飯野さんという人がそこにいました。
(向かって左が飯野さん、右が荒木さん)
「「地球のステージ」か、懐かしいなあ。僕の前の白田さんがPTA会長だった時に呼んだなあ。僕はそのあとに会長になったからなあ。
今でもよく覚えているよ。国は忘れてしまったけれど、あのぼろぼろの靴。あれを見た時のことは今でも忘れないよ。本当に衝撃だった。今のニッポンじゃあちょっと穴あいただけですぐに買ってもらうよな。でもあんなになるまで靴をはき続けるってことが衝撃だったなあ。」
思わず涙が出てきました。
18年間も覚えてもらえている「地球のステージ」とその話の内容。これほどの喜びがあるでしょうか。突然訪ねていっても、沼山の人たちはみんな「あの夜」のことを覚えていて下さっているのです。
「うちの子どもたちは小学生だったなあ。上の子はね、あのあと宮城教育大を出て先生になって高畠の方に勤めていたけど、今はベルギーの日本語学校に行っているよ。2年間。
下の子はね河北町立病院で言語聴覚士をしているよ。」
荒木さんがいいました。
「うちの子もね、今宮城のオープン病院で看護師しているよ。」
みんな大きくなりました。そしてみんな志を持って仕事に就き、生きています。飯野さんや荒木さんのお子さんたちに逢いたいと思いました。みんなあのステージのことをどんなふうに捉えているのか。今もう一回聞くことで、自分の原点を見つめるきっかけになると思うのです。
飯野さんや荒木さんとの再会で、もう一回思うのです。
「今の”地球のステージ”に、18年間覚えてもらえるようなインパクトがあるのか?」
と。
「18年間ずっと覚えていてもらえるような”感動のお話”があるのか?」
と。
今一度、原点に還ることで「地球のステージ」の本来の役割を見つめないしていかなければならないと思う、大切な機会になりました。山形を離れてもう5年半になるけれど、口コミだけでここまでやってきた僕たちは、これからもこの原点である山形に時々帰りながら、「あの時、どうしていたのか」を忘れないようにしていきたいと思います。
そういう「原点を忘れない」という視点が、今後の正常な進化のために必要なのだと思う。
ぜひ、ベルギーで日本語を教えているという学校の先生になった飯野さんのお子さんと話がしたいものです。
桑山紀彦
紛争、貧困、飢餓~戦後70年に亘り平和鎖国状態で安穏とした生活に浸ってきた者にとっては、無関心であったことを、人の尊厳、愛、世界観、などを真摯に伝えた地球のステージはすごい衝撃でした。
誰でも自分も何かできないか?と考えさせられたと思います。
近年は大災害の頻発、残虐なテロ騒動、異常な事件の多発等で人々の関心事が少し分散している感じがします。
地球のステージの活動も多面的になり大変だと思いますが、この時期に原点回帰されるのは大変良いことで大賛成です。
ステージの主役を飾った少年、少女達や、その国が、その後どう変わっかを知ることで活動の効果が解る、といった側面があると同時に、もっともっと底辺を広げたいと桑山さんも言われているように、インパクトを与え続けてほしいという願いもあります。
やはり初期に近い作品ほど思い入れの強さを感じさせ、何時見ても新鮮なインパクトがあります。