人生において、初めて所有したクルマは昭和47年製造のトヨタカローラTE-20、実にカローラの二代目、いわゆる「ニーマル」でした(現行のカローラは実に11代目です)。
19歳で運転免許を取ったものの、貧しい大学生の自分にクルマを買うお金などあるわけもなく、教習所が終わると同時に、クルマに乗れない哀しい日々が続いていました。ところが、サークルの先輩のお父さんが、乗っていないクルマがあるけれど、乗るか?といってきました。
是非!ということで、当時のお値段で3万円という高いお金を出して、初めての自分所有のクルマを持ちました。しかし、いかんせん装備などはほとんど付いていないベーシックなものだったので、廃車屋さんに足繁く通い、合うパーツを格安で買ってきては、自分で取り付けていました。もちろんタイヤ交換、オイル交換は自分でやってきたし、フォグライトを配線してつけたり、後ろのワイパーまで自分でボディに穴空けて取り付けたりしていました。さすがにウオッシャー液を出す穴までは空けられず、汚れてもウオッシャー液のでないリアワイパーでした。
本当に楽しかった日々。
安いぼろぼろのクルマを自分で直して、ドライブに出かけたものです。最長距離で富士山に行き、飛騨高山の実家にまでクルマで行きました。お金がなくても、何とかなる、そんな時代でした。
あっという間に30年以上に月日が流れ、クルマ社会は発展に発展を遂げ電気自動車や水素自動車が走る時代となりました。でも、僕の原点はあのカローラ20(ニーマル)。いつか、原点にかえり、自分が初めて乗ったクルマにもう一回乗ってみたいと思っていました。
するとひょんなことから、おそらくこの日本で最後の一台であろう、カローラ20が出てきたのです。実に昭和49年車。41年前の旧車です。
先日2年前には見せてもらっただけのそのカローラ20に試乗しに行ってきました。
全てがアナログ。現在のクルマとは比べものにならないほどの「古さ」ですが、それでもこのわくわくとして気持ちは何でしょうか。
これまで、長距離走っても疲れない、タフで速いクルマを乗り継いできました。ステージをこなすために今でも年間5万キロほど走っていますが、その多くがレンタカーとなり、一頃のように自分のクルマで超高速で茨城のつくばにかっ飛んで日帰りで帰ってくる、実に走行距離600キロ、なんて時代を過ごしてきました。
しかし今思うのは、速く走るナンバーワンのクルマを目指すのではなく、この世にたった一台しかない、オンリーワンのクルマを持ってみるのも良いのではないか、と。
もちろん安い買い物ではありません。でも、この「個体」としてはもう日本にこの一台しか残っていない、素のままのカローラ20(ニーマル)が、とてもとても気になるのです。
速くて強いクルマよりも、ガタガタだけれど、自分の歴史をたどれる回帰のクルマ。それがこのカローラ20です。さて、どうすると良いのか…。
おちおちしていたら、誰かが買っていくかも知れません。
カローラ20は今、群馬県にいます。
桑山紀彦
若い時の趣味を道楽で終わることなく、現在の活動に経験を役に立てている。
だから東ティモールの悪路での故障怖くないんですね。
桑山さん!すごい人ですね。改めて驚きました。
マニュアルトランスミッションだったら買っちゃいな!オートまでも後からマニュアルに載せ替えるという方法もありますが、何せ古いクルマなのでパーツとしてのマニュアルトランスミッションが存在しないかもしれません。但し、二―マル愛好会なんかは必ずあると思うので、ネットで探して、同好の士に頼るという手もあります。