マサイマラ国立公園にたどり着きました。
アンボセリ国立公園とは異なり、こちらは緑がとても豊かです。アンボセリ国立公園は、どうしてもキリマンジャロを見るという目的が中心で、マサイの村のジョエルがいっているように、干ばつに襲われてますます動物はいなくなっていました。
しかしマサイマラ国立公園は、それでも多くの緑があり、動物たちも余裕の姿で生活していました。
そしてまたマサイ族の青年に会ったのです。ソロモン、24歳。
西のマサイ族、ソロモン
「僕は、マサイ族だけど洗礼を受けて、ソロモンという名前をもらった。英語も教会の学校で一生懸命勉強して話せるようになった。
National GeographicやBBCが僕たちマサイ族のことを色々と取り上げている。でも誤解も多いから、僕は積極的にマサイ族のことを伝えるために英語を特訓したんだ。」
とても理知的なマサイ族の青年です。色々と質問しました。
まずは最近の気候変動について・・・。
「確実に雨が降らなくなっているよ。マサイマラでも一件緑はあるけど雨は年々少なくなっている。そして雨が降る時は一気に降って、自然が怒っているように思う」
ジョエルの村の牛が800頭死んだことについて話してみました。
「東のマサイの村が、そうやって干ばつの被害に遭っていることは知っている。だからいくつかの村は、この西のほうに引っ越してきているんだ。どこのマサイの村も多くの問題や課題を抱えているよ。」
どうするといいのか、ソロモンなりの意見を聞いてみました。
「マサイ族は、だから移動する。定住は危険だからだ。この十年間の間でも気候の変動は数知れずあった。もちろん最近ほどではなくても雨が降らない、または洪水の年もあった。そんな時、我々マサイ族はより過ごしやすいところを目指して移住する。定住は逆に人間の生きる幅を狭くしてしまうからだ。
ジョエルの村は葛藤の日々だろう。観光収入を得るためには定住が基本だ。しかしそうすると移住の自由が失われて、激しい気候の変動に対応できない。
どうやって自立していくかは、それぞれのコミュニティの判断になる。ジョエルは、自分たちが選んだ「定住」という選択肢の中で工夫しながら、助け合って生きていく道を選んだのだ。」
移住した先でのマサイ族同士の土地や資源の争いはないのかと聞くと、
「そんなものありはしない。我々はマサイ族として一つの大きなファミリーをつくっている。多くの結婚のやり取りで、各村々には血縁ができている。タンザニアのセレンゲティに住むマサイ族ともいつも交流している。タンザニアとケニアの間には政治的な国境があるが、私たちにはない。自由に行き来しているのだ。そうやって、マサイ族は一つの大きなコミュニティを形成し、助け合うことを基本としている。」
ジョエルの村に対するアドバイスは、と聞くと
「早速うちのコミュニティの長(おさ)にその情報を流すよ。アンボセリのInchurra(インチューラ村だよな。了解した。)
定住化や分業化によって都市の問題が起き、人間単独で生きる力は弱くなったのかもしれません。しかし移動の生活が人類の究極の自立の姿なのでしょうか。
同じマサイ族でも生き方は違ってきているようです。しかし大切なのは争いなく、いじめなどなく、お互いが殺し合うことなく生きていくことでしょう。その意味においては観光の道を選んで定住化しているジョエルの村も、変化する自然環境に適応するべく移動を基本としている国境なきソロモンの村も、人類の目標とする「平和」を実現しているように思えます。
やはり彼らから学ぶことは大きいと思いました。
さて、短かったケニア再訪(4回目)ですが、4月3日(木)にはナイロビのJICA事務所を訪ね、6月のJICAの仕事の打ち合わせと、平成19年度4次隊の皆さんとの再会を果たして4日(金)の夜には中部国際空港に帰国します。
そしていよいよ翌日は全国で初めての、映画「地球のステージ~ありがとうの物語」の映画館公開(in山形フォーラム)ですね。
帰国してもがんばるぞ~
くわやまのりひこ
旱魃や課題山積の中でも
希望の存在の青年たちのいる国ケニアからおかえりなさい。
ケニアの青年村長ジョエル、そしてソロモン。
もっと沢山の心ある若者がいるのでしょうね。
日本でも世界でも青年のがんばりが未来を創って
いくんですね。
村同士で協力することや、
今できることを精いっぱいがんばる、
販売できる製品を増やすことなど着実に行動にうつす様子に
深く感銘をうけました。
日本でも各地で始まっているフェアトレード事業の展開も、
可能性になるかもしれませんね。
ジョエルの言葉の
「これから何回来るのか?」ということに
つながりを続けていくくわやまさんや
地球のステージのあり方が伝わっている気がしてうれしく
なりました。