ガザに入りました。
特に変わった様子はなく、今まで通りのエレズの検問所でした。しかし朝からニュースではハマスのミサイル攻撃に対し、報復の空爆を3回、ガザ市に行うという内容が語られていましたが、実際の国境線はそんなことはなく、平穏な感じです。
ガザに入って一直線に今日のワークショップの現場に向かいました。
現在では既に3次元表現になっており、紙粘土を使って表現する「忘れられない光景」のジオラマづくりです。
個人制作なのですが、みんな様々に忘れられない「あの日」を表現してくれています。
まずは4月に専門家で入ったけんけんの作品を見てもらい、
「これが制作、色塗りというものだ」と説明していきます。その意味においてけんけんの作品は永遠にこのパレスチナに残ることでしょう。
子どもたちは実に勇敢に心を開いて、忘れられない記憶を形にして行ってくれます。
ファラッハは11歳です。彼女の作品はつくる最初から忘れられない「あの日」を語っていました。
「これはね、空爆されて壊された私のおうち。そしてここには血を流して亡くなった私のお母さん。」
ファラッハはまっすぐな目で語ります。
「私のお母さんは軍隊に撃たれて死んだの。でも私はまだ小さかったから覚えていない。お母さんのおなかには私の弟になる赤ちゃんがいたの。でも二人とも亡くなっちゃった。
私は、そんなお母さんの記憶はないけれど、私にとってお母さんが亡くなった日は絶対に忘れてはならない日。だから今日これを創りました。」
ファラッハは生まれて初めてお母さんへの想いを形にしました。みんなしっかりと受け止め、全員の拍手と共に、ファラッハの勇気をたたえました。この活動がなかったら、ファラッハはお母さんのことを形にすることもなく、言葉にすることもなかったかもしれません。でも、今日はそんなお母さんの姿をしっかりと形にしてこの世に誕生させました。
立派な勇気と優しさをたたえた、ファラッハです。
男の子たちもしっかり表現してくれました。
マフムードは語りました。
「これは牢屋。僕のおじさんがずっと入れられている牢屋だ。おじさんは何も悪いことはしてないよ。でもある日捕まって牢屋に入れられたんだ。僕はおじさんと本当に仲が良かったから思いっきり泣いた。あの人のことは忘れない。いつかおじさんが還ってくることを願っているんだ。」
サリームも語りました。
「これは、エジプトをつなぐ地下トンネルが崩れて、中で死んじゃった僕のおじさんなんだ。おじさんはトンネルで仕事をしてただけなんだ。みんなに色んなものを届けようってね。大好きだったおじさんのことを忘れない。だから、これはそのおじさんそのものなんだ。」
サリームは昨年からずっと参加してきてくれています。
アフマッドも語りました。
「これは牢屋に入れられている僕のおじさん。何も悪いことはしていないよ。ただパレスチナに自由を!って叫んでただけ。色んなものを買ってくれて、僕のお父さんよりも仲が良かったおじさん。いつか還ってくることを願っているけど、おじさんが捕まって連れて行かれた日のことは忘れたくない。だから今日はそれを創ったんだ。」
そしてモハンマッドが語りました。
「これは、僕のお父さんが国境に近い道上で撃たれた時のこと。真っ赤な血がたくさん流れてびっくりしたよ。あの日のことは忘れない。だってお父さんは別に国境に行ったわけじゃなくて、国境の近くの道を歩いていただけなんだよ。お父さんの痛い痛いって声が忘れられない。今はすっかり元気になったけど、大好きなお父さんが苦しんだあの日を忘れないんだ。」
隣でファシリテーターのラーエッドが支えます。
みんな国境の子どもたちは心に重荷を抱えています。でもこうやって表現し、みんなで受け止め、拍手でそれを称えることができて良かった。まさにあの津波が来て、被災したスカイルームの子どもたちと一緒に「あの津波の日、みんなが見てしまった光景をつくるジオラマ」がもたらした衝撃と、その後のすがすがしさ、心の中の自由を取り戻した感覚と同じでした。
もうこれでこの子たちが抱えてきた悲劇の話しは、その子一人のものではなく公(おおやけ)のものとなり、”秘密”と”沈黙”いう苦しさが軽くなっていきました。
人は表現することで、心の整理を進め、また前に進んでいく。
パレスチナの国境線に住む子どもたちはこうして元気と勇気を取り戻していきます。
すばらしい作品群ができあがっていきました。
桑山紀彦
無事にガザに入れて良かったです。いつもとあまり変わらない様子かも?
スタッフのおかげで着々とプログラムが進められていますね。ケンケンの功績大ですね。
子どもたちが心の内に抱えているものの重さに胸が痛みます。
紛争の理不尽さを教えてもらいました。
理不尽としか言いようがありません。
ニュースや新聞で見る報道、映像の奥に
こんなに 苦しいひとりひとりの人生があるのかと
胸にズドンと衝撃を覚えるほどの実感でした。
自分の子供と同じくらいの年の子がこんなに重い気持ちを抱えて生き抜こうとしているのかと思うと
胸が痛み涙が止まりません。
桑山さんの活動を応援させて頂いく事しかできません。