故郷公演

 今日は我が故郷、岐阜県飛騨地方での2公演でした。

 最初は旧朝日村の朝日中学校(朝日小学校の5,6年生も来てくれました)、そして午後からは我が母校松倉中学校での公演でした。
 午前中の朝日中学校の生徒さんは全校で100人を切っていますが、全国の小規模中学校がそうであるように、とてもまとまりよく、素直でまっすぐな生徒さんたちばかりでした。しかも3年生のまとまりが特によくて、女子生徒さんたちの明るい笑いに「放浪篇」などは大きく支えられました。
 きっと学校という環境で安心して毎日過ごしていられるので、心の余裕がありああいった「啓けた笑い」が出来るのだと思います。終わっての生徒会長の挨拶もまた泣かせてくれるものでした。一切原稿を読むことなく、まっすぐと僕を見ながら最後に、
「僕はこの朝日の村が好きです。ここをちゃんと守りたい!」
 う~ん、さすがに少年の主張で県知事賞を取るだけのことはありますね。豊かな飛騨の子どもたちに逢えて、3月11日以降どれほど辛い時、この飛騨に、高山に還りたく思っていたかを思いだして涙が止まりませんでした。それでもなかなか還れず、8月に入ってようやく故郷に戻ったことも思いだしていました。
 最後に朝日中学校の誇る全校合唱で僕たちを送ってくれました。
 大きな口を開け、なんと全校がぴたっと合ったスイングを左右に揺らしながら迫力の音圧で歌ってくれました。中学生の合唱で感動して涙が出てきたのは札幌市のあいの里東中学校以来でした。
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 これからもみんながそのままの素直で優しい気持ちを持ち続けてくれますように。
 さて、我が母校松倉中学校のステージに臨みました。
 我が母校からは、例えば歌手の上田正樹さんや、タレントの清水ミチコさんが出ています。特に清水ミチコさんが僕の二つ上で、在学中から物まね好きでぶっ飛んでいました。体育祭などは彼女の独壇場で校長の物まねでリレーの解説が始まり、教頭の物まねで騎馬戦に入り、教務主任の物まねで最後の表彰式が終わっていったことを思い出します。
 松倉中学校は高山の街の中心部の生徒たちが集まるので、ともすれば落ち着かない子どもがいたりしないかな~と危惧したりもするのですが、それは全くの杞憂です。今日もびしっと決まって背筋が伸び、身じろぎもせず語りや歌に入ってきてくれました。
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 特に震災篇では、全体が静まりかえりこちらの涙を誘います。
 4月7日、第2回目のひどい地震が来て停電してしまった時の落胆。
「こんなにがんばってきたのに、何でまた元に戻ってしまうんだ。これじゃあ、賽の河原に石積んでるみたいだ。」
 と思ってしこたま落ち込んだ時のことをありありと思い出しました。
「もうこりごりだ、故郷に、高山に還りたい。」
 そう何度思ってきたことか。故郷を遠く離れて暮らすことの寂しさが身にしみた時でした。
 でも決して還ることなく、それからもずっと名取に居続けました。
 そしていつの間にか震災によって仲良くなった閖上や下増田の人たちに支えられて、還らなくてもなんとかやっていけたんです。
「辛ければ故郷に還ればいい。」
 そこをどこか心の最後の支えにしながらも、でも人情があって、人間味あふれる閖上と下増田の人たちと一緒にいることで、僕も癒されていったことを思いだしていました。そして結局その後高山に一時帰省してもいつもいつも閖上のことばかり考えている自分がいるようになっていったのです。
 それでいいんだと思う。
 遠く離れた故郷に思いをはせながら、でも今目の前にいる閖上や下増田の人たちとの時間を大切にする。それが今の僕なんだと思います。
 
 夕方、仙台空港に降り立つと、リンリンとケンケンが迎えに来てくれていました。本当は津波で亡くなった朝日駐車場の菊地社長がいてくれるはずだけど、もういないからいつも哀しかったその場所に今日はリンリンとケンケンが「スカイルーム」のプレートを持ってきてくれているではないですか。こんな幸せはない。スタッフにも守られて活動が続いていきます。
 そしてクリニックと「地球のステージ」の事務局に帰ると、やっぱりホッとするんです。
 明日も外来。多いです。そして第2回目の手芸教室と夕方は閖中の心理社会的ワークショップ。こうしてまた被災地での日々が続いていきます。
桑山紀彦
 

故郷公演」への7件のフィードバック

  1. 念願の母校公演、うれしく思います。
    私は、祖父の代から東京育ち、しかも新宿副都心のため、わが町意識は薄くなってしまいました。
    何時でも、帰ってほっとする故郷、人に誇れる故郷、があるのはうらやましいです。
    やはり会って落ち着ける家族、友人が居ればこそ・・・・
    良い人間関係=日頃の心がけですね。

  2. 桑山先生お疲れ様です!故郷に帰れて良かったですね!お仕事ですからゆっくりと過ごす事は出来なかったとは思いますが、やっぱり故郷に帰ると安心しますよね!私も主人も、根っからの名取人です!生まれも育ちも結婚してから現在まで名取を離れて暮らした事は無いのですよ!私達夫婦は同じ名取に生まれ育ちながら、出逢いは名取とは関係の無い方からの紹介で知り合い、お付き合いをして結婚しました!きっと運命だったのでしょうね!だからこそ私達夫婦は名取に対する思いが強いのだと思います!なんせ、名取から離れた事が無いのですから!やっぱり故郷っていいものですよね~!たとえこの先何があっても、私達夫婦は名取を離れる事は無いでしょう!悲しみはまだまだ癒えないけど、私達夫婦は故郷の名取が大好きです!だから私達名取人の底力でなんとか頑張ってみせます!私の友人達も立ち上がっています!長い時間は掛かるとは思いますが、頑張りますのでどうか先生も余り御無理なさらないで下さい。先生だって私達と同じ人間なんですもの!たまには先生も何もかも忘れて自分の為に時間を使って下さい!例えば故郷でゆっくりと過ごすとか…たまには先生も息抜きをして欲しいです!じゃないと、私達名取人の為に頑張って下さっている先生に申し訳が無いです。先生もどうか御自身の生活も大変になさって下さい。本当にいつもありがとうございます!

  3. 桑山紀彦 様
    記者会見を終了して岐阜へ、大変お忙しい毎日お疲れ様です。
    故郷においての講演、多くの学生が真剣に聞いている様子が写真から推察できます。
     皆姿勢を正していますね・・・本当に姿勢は大事です。
    高山には一度旅行をしましたがとてもいいところでした。
    故郷は格別です。

  4.       不思議な参考書
     僕がいつも通勤に使う紀伊U駅は、夜には駅員のいなくなる小さな駅である。
     いつものように通勤時間に駅に着くと、様子がなにか違うような気がした。
     駅舎の中を見回すと、隅に不釣合いな本箱が置いてある。不思議に思い近づいてみると、下になにやら紙切れが貼ってある。そこに小さな字で「ご自由にお持ち帰りください。参考になれば幸いです。」と書かれている。奇特な人がいるものだ、電車のな中で本でも読んでほしいというタイガーマスクのよな無償の寄付かと納得してしまった。
     これは幸いと何か読める本はないかと本箱の中を覗いてみて驚いた。並んでいたのは、「東京大学一直線、数学Ⅰ,Ⅱ」とか「東大英語」「東大の物理・完全攻略」「チャート式数学Ⅲ」「チャート式英文法」その他、大学受験の参考書や問題集の数々であったのである。それも、東京大学を目指した受験参考書や問題集がずらりと並んでいたのである。驚いて、下の張り紙をよく見てみると「Oより」と、記してある。近所に住むO君なのである。
     O君は幼少の頃より僕の近隣数軒の間では神童の誉れが高く、県内有数の進学校へ進んだという話である。その後、東京大学理科三類へ入学したということを風の噂に聞いた。今はもう二十八歳ぐらいにはなっているはずであるが、どこでどうしているやら知るよしもないのであるが。どうやら、O君はこの三連休に帰省し、もはや不要になった参考書を処分しようと思ったようである。しかし捨てるにはもったいない。利用する人がいれば利用して欲しいということなんだろうと勝手に解釈してしまうのだが。そうはいっても、こんな田舎で、それも一日、数えるほどしか乗降客がいないひなびた駅で「東大入試・参考書・問題集」を使う人がはたしているのであろうか。O君にしてみれば、この駅からボクは毎日学校に通い、東大を目指して勉強していた自分がいたのである。自分に続けということなのだろう。
     それにしてもO君、あなたは偉いなあ。ほんとうに感心してしまう。僕などはとうてい及びもつかない。君はどれだけ頑張ったのだろうか。本棚から参考書を取り出しページをめくると、O君の頑張りが見えるようなのである。こんな田舎からよく東京大学へ入学する子どもが出たものと感心してしまう。
     人は環境ではないとつくづく思う。人はどんな環境に置かれても頑張れるのである。頑張れば、結果は付いてくる。O君の参考書はそう僕に教えてくれているように思えるのだが。
       和歌山   なかお

  5. 閖上、下増田、否 日本、世界にいなくてはならない人なんですね~桑山さんは。
    お身体に充分 気をつけて やりたいように やってください。
    素敵な 仲間や 応援団が いっぱい いるものね!

  6. 故郷での公演、良かったですね。
    心温まるステージになりましたね。
    これからの拠り所になりますね。

  7. 最近の子供は簡単に「死ね」って言う。今日のステージをみて、考えて欲しい。って、先生がおっしゃってました。閖上のお化けの話は お母さんの気持ち考えると切ないとやっぱりおっしゃってました。お化けでも良いからゆうこおかあさんに息子さんに会わせてあげたい。以前、四日間の奇跡って言う映画がありましたが、ほんとにあったらいいのに。

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