平和な国の平和なアニメ

 今日は生協ひろしまのステージが終わったあと、少し時間を使って鞆の浦に来ました。これは、宮崎駿さんが少しの間滞在して「崖の上のポニョ」の脚本を書いたところとして有名になった瀬戸内海の港町です。

 でも最近はいつも海の近くに来ると、
「あそこまでは津波で危ない。」
「避難所としてはあの丘が適当だ。」
 ということばかりが気になって落ち着きません。そしていつも、
「この街が津波で流されて壊滅したらどうなるだろう。」
 と思いながらクルマの速度をゆるめます。港町の雑貨屋さん、長屋風の住宅、かまぼこの水産工場、小さなガソリンスタンド・・・、今目の前にあるこの街がすべて津波で壊滅するということはどういうことなのか、心の中で想像します。すると改めて今回の閖上や北釜の被害がどれほど甚大でひどいものだったかが蘇ってくるのです。
 あれから4ヶ月が過ぎて、人々の記憶からは少しずつ消え始めている津波の被害。でも、それがどれほど多くの人の希望や夢、財産や想い出を奪っていったかが再び蘇ってくるのです。普通の港町に行くことで逆にその苦しみが伝わってくるのです。だから見た目にもう普通の学校生活をしているのだから大丈夫、と小中学生の子どもたちのことをとらえるのではなく、これほど多くのものを奪われて、これほど辛い思いをしたのだから、心のケアは絶対に必要などだという思考を持つべきだということがわかってくるように思います。
 創造力の欠如が子どもたちの心のケアの推進を妨げてしまう。それは瀬戸内海の平穏な漁港を見ればよくわかるように思います。
「これがすべて根こそぎ奪われるということが、どれほど辛いことだったか」
 ということを・・・。

 今日中に岡山までは移動しますので短い滞在でしたが、先ほど刺激されて「崖の上のポニョ」を見てみました。
 2009年に劇場で見た時とは全く違う感覚に襲われました。
 まずいろんなところに「津波が来るよ」「津波が襲ってくるよ」「津波を呼ぶよ」と「津波」の連呼があります。しかも老人ホームのおばあちゃんは子どもを戒めるために「そんなんじゃ津波が襲ってくるよ」と語ります。う~ん、今だとちょっと辛いと思う。
 そしていよいよ嵐が宗介とリサの街を襲ってきます。軽自動車で必死に逃げるリサ。山道を駆け上りながらも何度も波に襲われそうになるその「逃げる」光景は、まるで閖上の街から必死に自動車で逃げようとしている光景そのものに思えてきました。
 停電の中で発電機を動かす風景。なんだか逆に懐かしかったですね。
 そして翌日、街は海に沈んでいました。海底には街がすべて沈み、洗濯物も海底で揺れています。港に係留された船がそのひもに引っぱられて水の中の高い方に浮いています。結構厳しい風景。
 そしてよく晴れた水没した街の水面を、大漁旗をたくさん掲げた漁船が救援に来ます。大漁旗が風にたなびく・・・。結構違和感のある風景。これが救援の風景。
 そしてお母さんを探しに行った宗介がポニョとともにたどり着いた陸地にお母さん、リサの軽自動車が乗り捨てられている。
「おかあさ~ん、どこにいるの~?」
 不安で泣き出す宗介。まさに、流されたクルマに身内が見つけられなくて途方に暮れる被害者の状況描写に思えてきてしまう。
 津波が来る前と後では同じアニメでもずいぶん受け止め方が違ってしまっていました。
 津波が来る前に作られたこのアニメを見ていると、私たちがいかに津波に対して「準備不足」だったかがよくわかります。創造力は世界一の宮崎駿さんでも、本当にこの表現で良いのか、今は疑問に思えてきます。でもそれそのものが私たちの津波への理解だったんだ、ということが改めて理解された思いでした。
 宮崎駿さんが「足りない」のではない。僕を含めた日本人全員が「足りない」んだと思えてきます。これまで津波が来ても、
「50cmの潮位の上昇を認めました。」
「それが津波かい!」
 と突っ込んできてしまったことがオオカミ少年現象につながり、今回の津波への危機感が足りなかったことへつながったのかもしれません。
 この宮崎アニメを見ることで、私たちと津波がどういう関係だったのかわかった気がしました。
 波がどんどん襲ってくるのに“家に戻らなきゃいけないの”といって、子どもを乗せたまま崖の上の家に来るまで戻ろうとする母親、リサの姿勢。
 “美しく”描かれた水没した海底の街。
 そこへ大漁旗をたくさん掲げて「お~い」と救援にくる不思議な光景。
 宮崎駿さんは、今回の津波の現実を知った上でこの既に出回っているこの作品についてどう思うのか、聞いてみたいと思いました。
 この「崖の上のポニョ」のファンタジーの持つ意味は大切でしょう。でもその一方で、激甚災害としてきてしまった今回の大津波のリアリティの狭間でこの作品が被災地でどう受け止められるのかは結構重要なのではないかと思えてきます。
桑山紀彦

平和な国の平和なアニメ」への6件のフィードバック

  1. 宮崎駿さんに、聞ける人、誰もいないでしょうね。ご本人が発言されなければ…
    今日も暑い一日でした。我が家は、オール電化です。先月の電気代が 10093円。来月は10000円切ろうね!と鼻息荒く家族に話すと、「クーラーちょっとは使う様になるから無理じゃない?」冷静なコメントを貰いました。

  2. いつも思うんだけど、桑山さん、すごいなぁ。
    一日24時間のはずなのに、桑山さんだけ30時間くらいあるのかなぁ?
    医者やって、ステージやって、ブログ書いて、映画見て…。
    ステージで広島に来て、鞆の浦まで行った勢いでポニョまで見たなんて…。
    だらだらと休日を過ごしてしまった私とは大違い。
    そうか、だから私のおなか、出てしまったんだ…。

  3.         ニューヨークの奇跡
     いまから八十年前のお話しです。
     ニューヨークはブルックリンに、八歳になるジェニファーという女の子が住んでいました。ジェニファーは毎年クリスマスをとても楽しみにしていました。それはサンタクロースから素敵なプレゼントが届くからです。今年もサンタさんからプレゼントが届くと楽しみに待っていました。
     学校へ行ってそのことを話しました。すると友達はジェニファーをバカにして言いました。
    「ジェニファーはなんてお人よしなんだ。バカだなあジェニファー。サンタクロ-スなんていないよ。プレゼントをくれるのはねえ、サンタじゃあなくて、パパやママが寝ているあいだに置いてくれるんだよ。サンタクロースというのはパパやママのことなんだよ」
     それを聞いたジェニファーは驚きました。泣きじゃくりながら家に帰ると、さっそくパパとママに尋ねました。
    「クリスマスにプレゼントをくれるのはサンタクロースじゃあなくてパパとママなんだって学校で聞いたけど、本当はサンタクロースなんていないの」
     ジェニファーは泣きながら尋ねました。
     パパとママは、困り果てました。ジェニファーになんと答えていいか分かりません。涙ながらに真剣に尋ねてくるジェニファーにどう話そうかと悩んだときです。パパが言いました。
    「ジェニファー、わからないことがあったら新聞社に尋ねるといいよ。だって新聞はいつも真実を伝えてくれるからね。嘘を書くと読者は読まなくなるからね。だからジェニファーの質問にもきっと本当のことを教えてくれるよ」
     ジェニファーはさっそく新聞社に、サンタクロースはいるのかという手紙を書きました。
     当時、ニューヨークでもっとも多くの人に読まれていた新聞にニューヨーク・サンというのがあります。ジェニファーはこの新聞社に手紙を送ったのでした。
     手紙を読んだニューヨーク・サンの編集長スコット・ジェイムズは困ってしまいました。サンタクロースはいるはずもない。しかし、八歳のジェニファーの夢も壊したくたくない。スコットは困りたてました。編集長が渋い顔をして困りはてていると、一人の記者が近づいてきました。
    「編集長、どうしたんですか。なにかよっぽど困ったご様子ですが」
     編集長に話しかけてきたのは入社二年目のマイケル・フォットフィールド記者です。マイケルはスコットにジェニファーの手紙を見せました。手紙を見たマイケルは言いました。
    「分かりました編集長。ジェニファーへの返事の記事は、ボクが書きます」。そう言ってマイケルはジェニファーの手紙を持って自分のデスクに戻って行きました。
     翌日は、クリスマス。ジェニファーは朝早く起きると、急いで新聞を取りに行きました。新聞を見てみると、マイケル・フォットフィールド記者からジェニファーへ次のような記事が載せられていました。
    「親愛なるジェニファー、お手紙ありがとう。
     人を思いやる気持ち、愛すること、人への優しさ、これらは目には見えません。
     ジェニファー、大事なものは目には見えないのです。
     サンタクロースはいるのです。」
     これを読んだジェニファーは大喜びです。もういちど自分の部屋にとって返すとベッドの下を覗きこみました。そこにはサンタクロースからの素敵なプレゼントが届いていました。
     今ではおばささんになったジェニファーは、今でもサンタクロースはいると信じています。
     クリスマスになると毎年ニューヨークでは、ジェニファーの手紙とマイケル・フォットフィ-ルド記者の記事が、ニューヨーク・サンの紙面に載るということです。
     人々はこれを、「ニューヨークの奇跡」と呼んでいます。
       和歌山   NAKAO

  4. 放送局としても、意図してこの時期に放送したものではないと思いますが、なんともいえないタイミングでした。
    確かに、先生のご指摘どおり、我々に危機感がなかったことは否めないと感じています。
    三陸沖については、昨年2~3月段階ですでに予測されていたものですが、揺れに関する情報はあったものの、
    津波に関しては、予測をはるかに超えた現実が起こってしまいました。
    まさに、「甘くみていた」といわれても、しかたがない状況であったと考えています。
    むろん、東北地方の方々を責める気持ちは全くございません。
    これは、政府や自治体の責任であると考えています。
    情報はあったのに、真摯に対応しなかった責任です。
    先日、電子博物館に関して講習をいたしました。
    そこで、私自身、「バーチャルはリアルを超えることができない。」「事実は小説より奇なり。」と説明しました。
    しょせん、人の想像力はシビアな現実には勝てない、と。
    確かに、今の世界のあり方は、人のもつ想像力を駆使して完成されたものです。
    人の想像力なくして、世の中の進歩もありえない、というのもまた事実です。
    しかし、現実は、人の想像をはるかに超えて極めてシビアです。
    もう失ってしまったものは帰ってきません。
    被災者の方々に、その事実を受けとめろとはいいません。
    ただ、今回運良く直接的に被災していない私たちは、このことをもっと真摯に受けとめるべきと感じています。

  5. 「ポニョ」を見ていませんが、津波を甘く見ていたのは私も同じです。漫画で見る高い津波とニュースで聞いた30センチの津波にはギャップがあり過ぎて、あるわけない、と思っていました。
    同じように、あの日まで、関西には地震が起きるわけない、と思っていました…。

  6. 「崖の上のポニョ」は私も映画館で見ました。
    アニメの表現としてどうなのか、私には専門的なことはわかりませんが、
    しばらくTV放送は自粛されようですね。
    宮崎駿監督のこれからの作品作りに今回の東日本大震災の津波、原発事故が
    どう反映されるか、注目していきたいと思います。

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