これからの消防車

 今日はコープこうべ第4地区の3年目になるステージでした。

 神戸はユニセフ兵庫県支部の事務局長の福井康代さんがずっと関わってくださっている地域です。ユニセフは生協とつながって実に有機的な活動をしていますが、ここ兵庫県も活発なコラボレーションでいい仕事をされています。

 そんなコープ神戸は、今回の震災と津波でも実に積極的な活動をされています。

 我が名取市の閖上にもみやぎ生協の閖上支店がありましたが壊滅してしまいました。江里ちゃんのお母さんもこの閖上支店で働いていたのです。太君のお母さんはお店の中のクリーニング屋さんで働いていました。地域に密着し、地域の人々がそこで生活を支えていた閖上支店はもう今はないのです。そこにコープ神戸は早いうちから関わり支援してきました。僕たちもコープ神戸からいろんな支援を受けましたが中でも嬉しかったのはコープ神戸制作のオリジナル版「メロンパン」でした。これがおいしいんです。これまでのメロンパンの常識を覆してあの表面のごわごわを取り除き、甘すぎない味に整えてヒット作品となったものです。それが被災地にたくさんやってきました。僕たちは久しぶりにパンらしいパンを食べたことをよく覚えています。

 こうして、阪神淡路大震災で地元を支えたコープ神戸は東北の震災への関わりも非常に熱心です。やはり生協は活動であり、暮らしや食の安全から世界の平和まで考える頭脳活動集団であることがよくわかります。特に活動が活発な「生協ひろしま」「コープ神戸」「みやぎ生協」が僕たちのとてもよきパートナーです。

 さて、夜久しぶりに桜井美裕紀(みゆき)さんと話しました。美裕紀さんはあの赤い消防車で救援の末に亡くなった桜井歩さんの奥様です。

「お変わりないですか?」

「ようやく落ち着いてきて、私も日中働きに出られるようになりました。」

「よかった。ところで赤い消防車の件です。」

「はい。」

「実は山形南高校の高校生が心を込めて、一生懸命砂を取り除き、サビを削ってぴかぴかにしたんです。」

「本当ですか!わざわざ来てくれて磨いてくれたんですね。」

 これまで美裕紀さんにはお話しする機会がありませんでした。

「はい、それはそれは丹精込めて磨いてくれました。」

「夫も喜んでいると思います。」

「はい。そこでお願いがあります。8月末に山形南校等学校の学園祭、“南高祭“があります。そこで、赤い消防車を展示させて頂きたいのです。それは、仲間が心を込めて磨いた消防車を、今の時代の高校生に見てほしいと思うのです。

 あとは、歩さんの生きざまをちゃんとこの社会に伝えていきたい、そんな気持ちで展示をしたいと思うのです。」

「そうですか・・・。実は明日名取市の消防団と署員の合同慰霊祭があります。3人の消防署員と15人の消防団員が亡くなったわけですから・・・。うちの北釜の3人だけじゃないんです。」

「そうでしたか・・・。」

「夫は、消防車をみんなに見てもらうことに賛成していると思います。自分の生き方や自分の目指してきたことをいろんな人に知ってもらう事は、夫の願いだと思いますから、私は大丈夫です。」

「もしかしてその展示の時に美裕紀さん、いらっしゃって話を少ししてもらう事はできますか?」

「話せるかどうかはわかりませんが、ぜひ行かせてほしいと思います。」

 強い心の持ち主、美裕紀さん。いろんな複雑な思いもありますが、乗り越えようとされています。

「森さんはどうされていますか?」

「奥様は15日に4人目を出産されました。」

「本当ですか?」

「はい、娘さんを産んだんです。」

 森さんは亡くなられた3人の方のうちのお一人の奥様です。お腹に赤ちゃんがいる6ヶ月目でご主人を亡くされ、この赤ちゃんはお父さんの顔を見ないで産まれてきました。

 この新しい命のためにもこの消防車は大切です。いつかその娘さんが大きくなっていく日々の中でこの消防車に触れてほしいと思います。お父さんが最後の最期まで「自分らしく」活動されたその絶命の消防車です。その娘さんのためにも消防車はメンテナンスをしっかりして、多くの人に見てもらいたくさんの感想を頂きたいと思っています。その娘さんがものごごろついた時、消防車に何を思うか大切なことだと思う。明日森さんの奥様とは直接話します。

 今後は佐々木市長と話し、この消防車をもう一回名取市の所属に戻し、その管理を桑山がさせて頂く方向で検討していきます。そうすることでこの消防車をどう動かしていくのか、どう活用していくのか常に「市の判断」に基づくものとして公平になれます。

 そんな話し合いの中で来たる8月28日(日)、山形市の南校等学校で初めての消防車の展示が可能になるかもしれません。そこから多くのものを感じていくことでまたみんなの気持ちがつながるといいと思っています。

 天国の歩さん、見守っていてください。

7/17-1

 今日の名取の夕暮れです。まるで、空から見守られているような・・・。

桑山紀彦

これからの消防車」への5件のフィードバック

  1. 今日も また、一旦書き込んだコメント消してしまって今、落ち込んでしまいました。
    広島から神戸 お疲れ様でした!
    歩さんの消防車、前進しているんですね。忙しいのに感心するばかりです。
    さっきはテレビで見た南三陸町の蛸漁の事書いたんですが、私にしては力作!同じもの書けん…
    明日は、祭日ですが、診療はお休みですか?ゆっくり身体を休めて下さいね。と言ってもゆっくり出来る桑山さんでは無いでしょうから、お休みだからこそ出来る事、精力的に動いて下さい。 おやすみなさい。

  2. 明日も午後からは通常診療ですね。夕方には増田小学校の生徒さん(少数)対象の心理社会的ワークショップと、そのあとはある亡くなった閖中生のお家を訪ねます。
    休んじゃおれんもんな~。

  3. 森さんの赤ちゃんに、お父さんの勇気と優しさを伝えるためにも、「津波祈念資料館」設立は実現せねばなりませんね。7/9の奈良女子大学でのステージ後、赤い消防車をイメージした「津波祈念資料館」の募金箱に¥116,754もの募金が集まった(「地球のステージ」には¥108,373でした。グッズも¥44,300の売り上げがあり、150人あまりの参加者には本当に感謝です)ことからも、桜井歩さんの物語を将来に生かす、という趣旨が多くの人の心をとらえるものだということがわかります。
     できるかどうかはわかりませんが、奈良女子大学附属中等教育学校の学園祭(9/17・18)でも、「赤い消防車」の写真を掲示して、「津波祈念資料館」のことをPRできればなあと思いました。

  4. 終戦直後、敗戦で打ちひしがれた日本国民を勇気付ける出来事があった。
     焦土の中で練習し、世界に立ち向かった一人の日本人がいた。不遇の中でも世界選手権で優勝し世界記録を次々と塗り替えた男。世界のメディアは彼を「フジヤマのトビウオ」と呼んだ。古橋広之進は敗戦で傷ついた日本人のこころに勇気を与えた。あれから七十年。
     決勝戦前日のミーティングで、なでしこ達は東日本大震災のビデオを見ていたという。
     自分たちに何が出来るか。被災地の人々に勇気と希望を与えたい。なでしこ達の気持ちは一つになった。
     相手はアメリカ。これまで二十五戦してゼロ勝二十ニ敗三分。一度もかったことがない世界ランク一位の強豪。
     孫子に曰く「敵を知り、己を知らずんば、百戦して危うからず」。
     なでしこ達は、自分たちに出来ることを、力の限り精一杯おこうことで意見が一致した。平均身長なでしこ162cm、アメリカ170cm。
     撫子は秋の七草の一つ、淡紅色の五弁の花を咲かす。 
     小さな、なでしこは、強いなでしこになった。
     そして、大きな花を咲かせた。
      
      和歌山   なかお

  5. 歩さんたちの消防自動車の写真を17,18日と2日間展示させていただきました。
    ガザの写真、子どもたちの絵のパネルと一緒に震災地名取の写真を12枚。
    市役所のエントランスホールで、多くの人が足を止めて見入っていました。
    お子さんを出産された方がいらしたんですね。大事な形見の消防自動車ですね。
    美しい夕焼け空。きっと空から見守ってくださっていますね。

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