もう何度、こうしてガザに来たでしょうか。
2003年2月。初めてガザの地を踏んだのはその後「地球のステージ」の初代現地駐在員となる寺畑由美さんと一緒でした。彼女は西岸ではなく、このガザ、特に南部ラファでの活動を強く望んでいました。そしてその年の5月、彼女はそれまで勤めていた「西岸での活動のみ考える」団体を辞め、「地球のステージ」のスタッフとなり、ラファの街に駐在する日々が始まりました。その時点で既にエル・アマル社会復帰協会の代表、ダルウィーッシュ氏と懇意にしており、住居もスタッフも、活動内容もすっかり自分なりに考えていました。
このガザ地区、ラファで活動するために存在するような人でした。それから強制退去を受ける2008年2月まで、彼女はラファの人々に愛され、多くの友人をつくりながらもやむなくこの地から撤退していきました。
それでも、根性で国連の現地採用スタッフとなり、ガザの大学の大学院に通いながらあと4年間を過ごし、アメリカに渡っていきました。土のように存在し、風のように去っていった彼女は今でもラファの人々に、
「由美は次いつここに還ってくるのか。」
と聞かれる存在です。おそらくこのガザ地区でも最も有名な日本人でしょう。
そんなガザに僕たち「地球のステージ」は再び事務所を置き、現地駐在として前田那美子を置くことができました。
きょうはそんなガザに再び戻ることができました。
エレズまでは那美子さんの運転するクルマで向かいました。
隔世の感があります。だって自分たちが使っている自家用車でエルサレムからガザまで行き、そこの駐車場にクルマを停めてエレズの検問所に入れるのですから。
すでに許可証はとってあるので、スムースにイスラエルサイドは抜けることができて、ハマス側のチェックポイントに向かいました。
そして現地スタッフの長、アーベッドの出迎えを受け、ハマスの入国「小屋」に行くと恐ろしいことが…。
アーベッド「参った!今日からケイの名前が変わってしまっている!」
桑山「何?どういうこと?」
アーベッド「ほら、この入域許可証を見ろ!桑山ノルタ彦になっているぞ!」
桑山「何?ノルタ彦?」
アーベッド「そうだ、今日からケイはノルタ彦で通さなければならない!」
桑山「う~ん、なんか古代の神様みたいな名前になっているなあ。」
日本人の名前はパレスチナ人にはなかなか大変なようです。あり得ない発音で名前が書かれているので、思わず自分にとってなじみの深い発音に変えてしまうんでしょうね。まあ、「桑山ノルタ彦」も結局は「Nortahiko」と読んでくれた訳ですね。
アーベッドが言いました。
「いや~、名前にはびっくりしどうしだよ。だって、現地駐在の那美子は、”ナミ”って読むんだろ。これってアラビア語で”寝ろ!”って意味だよ。いきなり今度の日本人駐在が”寝ろ!”さんだって言うからびっくりしたよ。
それから ナミの前にくるはずだった”ハルコ(晴子)”はアラビア語で”くしゃくしゃにしてつぶせ”って意味だよ。もう日本人の名前っていったいどうなってんだって思ってたよ。」
相変わらず、ユーモアに長けたアーベッドでした。
アーベッドの奥様(イスラーム)手作りの料理
夕方ダルウィーッシュに会いました。これから最低3年間、一緒に活動していくことができ、エルアマルの休職を余儀なくされていた4人の人材を雇用することができて、子どもたちの心のケアが日頃の授業に加味できて、こんな光栄なことはありません。
長年の友人ですが、こうしてカウンターパートとなれて本当によかったと思っています。
ダルウィッシュと
明日には事務所の最終決定をする予定であり、日曜日には第1回目のセミナーを開催します。
忙しくなりますが、またガザの仕事が毎日の活動になりました。皆さん、是非応援ください!
桑山紀彦
世界の日本人という番組でネパールのカパ村で一人の女性が助産施設を建てるために頑張ってる。
ネパールは新生児死亡率が高いと知りました。
その女性は桑山さんと同じで「そこに必要としてる人がいるから」と言ってました。
Dr・Kすごくうれしそうですね!
永年の夢が一歩進んで希望が膨らんだのだから当然ですね。
これからはさらに大きな実りが待っている事でしょう。
更なる困難もあるでしょうが・ノ・リ・ヒ・コ・え・て下さい。
ホントに隔世の感ですね!無事にたどり着けて良かったです。
いつか寺畑由美ちゃんの笑顔に再会できますように。