涙の遠征4連続:前編

涙の遠征4連続
 この二日間は泣き通しでした。どうしてステージでこれほど泣けてくるのか。それはこの4回が特にドラマだったからだと思います。
 2日(日)、岐阜市内の華陽フロンティア高校。引きこもり、不登校、暴力事件、様々な問題で学校に行かなくなった子どもたちが集まる通信制の文化祭でした。誰からも「苦労するぞ」「聞けない子どもたちだ」と言われつづけ、直前まで正直びびっていました。しかし、ステージ1の中でも、フィリピン篇のロエナスの語りやソマリア篇の子どもを失う部分、東ティモールのアカペトの語り、旧ユーゴのニーナのハートマークなどと、シ~ンとなる部分は主に4ヶ所ありますが、そのシ~ンとなり方がぜんぜん違う。空気が震えているとはこのことだろうか。それを壇上の桑山と、会場にいる人たちの心の同調率(シンクロ率)で表現するならば、限りなく100%に近い同調の雰囲気がつくられていくのです。完全に引き込まれている。物音一つしない体育館。全体が一つになった感じが驚異でした。そして思ったんです。
 「彼らも苦労してきたのだ」と。
 学校で、家庭で、そして社会で。でもそれでもあきらめないで、何とか通信制の高校に行こうという意志を持って、今日、この体育館に集まってくれているんです。茶髪、耳、鼻ピアス。腰パンは当たり前。正直どこから見ても社会からははじかれてしまう様相で、今日も来ています。でもどこかで自分の復活を信じながら、いろんな人にいろんなこと言われながらも、今日このステージにきてくれたわけです。
 それは、「地球のステージ」に出てくる、「苦労しているけど、負けない、絶対に明日を信じようとしている登場人物」に、彼らが自分を重ね合わせ、思わず引き込まれているのだと思いました。現代ニッポンにも、ある意味では「難民」がいる。それは社会的な難民だけど、僕がアフリカやアジアの難民キャンプで逢ってきた政治的な難民のみんながそうであったように、実はたくましく、そして強くなろうと努力しているんですね。
 気付かれないように泣いていましたが、完全に「還ろう」の音程はずれていました。
 2日(日)の夜、岐阜県笠松市でのステージ。
 我が岐阜県民はどうだろう、といつも同県人同士の緊張感がありますが、主催した河合さんは1年8ヶ月前に娘さんがJICAのエッセイコンテストで賞をとり、その東京都内の表彰式で「地球のステージ」を見られました。終了後、物販売場にやって来られ
「笠松にもきてくれますか?」
「もちろん!中学校2年の時に片思いだった人が笠松洋子さんって言うんです!だから!」
 という、全く意味不明のことを言いながら別れました。そして今日。有言実行。多くの町民と共に実に暖かいステージとなりました。その笑い、涙、拍手、どよめき、感嘆は、「そうか、これが岐阜県人だったんだ!」とうれしくなる程で、自分がこんな豊かな人たちの住む県に生まれ育ったことが、誇らしく、また涙でした。
 3日(月)、朝10時から山梨県北杜市の中学校。
 ここはうちのステージ会員の中で数少ない甲信越会員の小須田さんの学校です。子どもたちは完璧に聞いてくれる、素敵な子どもたちでした。でも僕の心の中には、2年前初めて駒ケ根の青年海外協力隊訓練所の定期公演を偶然見て号泣しながら物販売場にやってきた小須田さんの姿がずっと思い浮かんでいました。
 「このステージをどうしても自分の子どもや地域の人に見せたい」
 そう思っても、なかなか学校側が動いてくれず、孤立しかけていた小須田さん。
 「自分は何も力のない、ただの一人の母に過ぎないのか」
 と自問自答してきた小須田さん。けれど埼玉公演に頻繁に顔を出し、長野県駒ヶ根市公演にはPTA会長を誘って参加。根強い交渉は岩をも通し、ついにこの日を迎えたのです。最初はPTAの誰もが「大丈夫だろうか」と思っていたのに、こつこつと人をつなぎ、加えて今回は見事なこの北杜市の映像と中学校のイベントにカメラを回し、素晴らしい映像を送ってきてくれました。それを撮影したビデオカメラも、今回のためにわざわざ購入されたものでした。
 「地球のステージ2」の「故郷篇2」では、なかなか地元映像は入れにくい構成になっているのですが、小須田さんの気持ちのこもりまくった映像は見事に半分以上の映像部分を置き換えることができるクオリティで、この「北杜市版:故郷篇2」は多くのお父さんお母さんの涙を誘っていました。もちろん小須田さんは感極まって号泣されていました。
 たった一人の母の気持ちから始まったこのステージ、少しずつ大切な人の賛同を得て、ついにうねりとなって実現を迎えました。
 最後までこのステージに消極的だった校長先生。PTAのお父さんの一人が言いました。
 「最初はね、“始まったら後ろのほうで見るから”とおっしゃっていたのに、結局最後まで前で見てくださっていたよ」
 そんな校長先生もわざわざ舞台袖に挨拶に来てくださり、
 「またお願いすることもあると思います」
と声をかけてくださいました。こうして、小須田さんの夢はかなっていったのです。
 会ってみると普通のお母さんなんです。でも、人間の一念はやはり岩をも通すことを知り、また涙、でした。
くわやまのりひこ

涙の遠征4連続:前編」への4件のフィードバック

  1. 桑山さん、昨日はお疲れ様でした。
    感動の高根中学校のステージ、ありがとうございました。
    私も昨日今日と泣いてばかりです。
    今日は嬉しいメールをいただき泣いて、このブログを読んで泣き、昨日の感動が蘇ってまた泣いています。
    それまで寝ても醒めても仕事ばかりで、仕事以外のことを考える余裕も動く時間もなく過ごしてきた私が、ようやく自分の時間をもてるようになった頃、駒ヶ根で地球のステージと出逢いました。若い頃にちょっとだけ考えた青年海外協力隊で海外支援に行くということを現実にした若者を目の当たりにして感動し、ステージの内容に泣きまくり、桑山さんの爽やかで謙虚で気さくな様子にまた感涙し、ぐちゃぐちゃのまま、初めて桑山さんにお会いしましたよね。2年前のあの日は私の記念日になりました。
    それからは、「高根中でのステージ」を目標に毎日がありました。仕事の付き合いという狭い世界でお山の大将になっていて、地域にほとんど知り合いや友人がいない私は途方にくれた日々もありましたが、1人また1人と大切な人とのつながりが持てていって、昨日のステージにつながりました。今は素敵な友人がたくさんできて、感謝と感動の日々です。地球のステージと出逢えたからこそ、穏やかで幸せな日々を過ごせるようになりました。
    「地球のステージが私の生き方を変えてくれた」と言っても過言ではありません。
    全国の、ステージを呼びたい、でも一緒に頑張る仲間がいないと弱気になっている方、たった1人から始めた体験とノウハウは少しばかり伝授できますので、気軽にお声かけくださいませ。

  2. 今まで11年地球のステージをやってきましたが、ここまで毎回「涙」が印象的だったステージはなかったかもしれません。
    1回目の「華陽フロンティア高校」。幅広い生徒さん対象ということで始まるまでドキドキものでした。でもそんな心配はよそに、シーンと聞いてくれるみんな。ひとりひとり自分の人生を精一杯生きようとしているのは一緒だな、そう思いながら後ろから見ていました。そしたら、桑山さんからメールが(公演中、こまごまとした業務連絡はメールでやってるんです)、「なきそう」と。その透き通るような静けさと真剣さに「そうだね」と返しました。案の定歌声は見る見る泣き声に。でも踏ん張って踏ん張って最後までがんばった桑山さんでした。音響を担当してくださった矢追さん、音程不安定な中いい音をありがとうございました。一人一人のまなざしが心に響いた2時間でした。
    そしてその夜は、笠松町でのステージ。会場につくと実行委員の方々が暖かく迎えてくださいました。今日の日をずっと楽しみにしていました!そう言って多くの笑顔が出迎えてくださいました。公演が始まると、本当にみんな心で聞いてくれているのが伝わってきます。そしたらまたまた桑山さんからメールが。「またまた泣きそうや」と。もう歌声は涙声に。故郷岐阜での公演だったので感動もひとしおだったんだと思います。本編が終わって終了と思いきや、会場からアンコールの拍手が。会場の皆さんと一緒になって「カガーン・ヴァレイ」をつくりあげました。玄関先で見送ってくれた皆さんの姿が見えなくなるまで、車から身を乗り出して手を振る桑山さんでした。音響を担当してくださった橋本さん、久世さん、涙声の中のオペレートありがとうございました。
    そして、翌日は高根中でのステージ。頑張って頑張ってようやく開催を迎えたこの日。私たちにとっても記念すべき日になりました。最初はおひとりで始められたんですよね。地球のステージ?なにそれ?って反応ですよね、初めは。でもそこを地道に説得され現実のものとした小須田さん。その気持ちが痛いほどわかるから本当にこの日が大切な日になりました。今でも、地球のステージを初めて見た日を記念日として、毎月その日にちをつながりとして大切にしていてくださっています。強い志が人を動かす力になる、桑山さん声はやはり涙声でした。
    この日の音を出してくださった小口さん、中西さん、涙声の中ありがとうございました。
    日常に流され周りの小さな喜びに気づかなくなることがあります。今はすぐ過去に変わってしまう。過去といえばなんかネガティブなイメージがありますが、その積み重ねが今の自分だったりします。だとしたら今を必死に生きること、こうありたい、こうしたいと思ったらその思いを捨てずに小さな努力を重ねていけば必ず自分の手で勝ち取ることができる、そんな大事なことを教えられた気がします。現状維持でも大変なこと、でもそこから一歩踏み出して何かに挑戦していこうとする姿から勇気をもらいました。そんな素敵な人々が周りにたくさんいます。その出会いに感謝します。

  3. はじめまして、こんにちは。
    私は、華陽フロンティア通信高校の2年生です。先日は学園祭でのステージありがとうございました。正直何をやるのかまったく知らなくて「きっと寝ちゃうなぁ~」なんて思いながら体育館のイスに座ったのですが、結局一睡も出来ず、瞬きも出来ず、ただただステージを見詰めていました。
    出てくる一枚一枚の写真や、桑山さんの声、いつもはどこからか話し声が聞こえてくるのに、あの日は静かで、ふと隣を見ると同じように真剣に前を見詰める友達がいて・・・。
    自分は、教科書や本で、世界の人々がどんな状況で、一日に何万人が亡くなって・・・とかはある程度知っていました。しかし、いつも「数字」や「文章」でしか人間を見ていませんでした。それは分かっていても、やっぱりそれだけの人の命の重さは私にはなかなか実感がもてずにいたんです。だけど、桑山さんの言葉一つ一つや、写真一枚一枚には、確かに人の命の重さや、人の温かさが詰まっていて、その人たちを取り巻く環境に驚いて、綺麗な瞳に見惚れて、【私にも何かできるんじゃないか】・・・と初めて思いました。
    こんなにも力が余っている一人の若者(私)が一歩を踏み出せば、きっと世界の何かが変わると思うんです。それが十歩になって、百歩になって、ゆっくりだけど確実に、前に進んでいく一足の靴にでもなりたいなぁ・・・なんて思いました。
    つたない文章で伝わりにくいとは思いますが、あの日の感動を素直に書いてみました。
    忙しい日々をお過ごしだと思いますが、どうか体には気をつけて、あの素晴らしい歌声、素晴らしいステージを続けてください。桑山さんとは違う形になると思いますが、私もどこかできっと、何かできるんじゃないだろうか?という気持ちを心に持ち続けて、一歩進んでみようと思います。
    続編も是非見てみたいと思いました。どこかで機会がありましたら必ず見に行きます。ブログも見させていただきます。
    では、長々と失礼しました。出会えたことを嬉しく思います。ありがとうございました。   12/9

  4. 10月6日の岐阜・笠松での発表を見に行こうかどうか迷っていました。それで、ネットで「地球のステージ」を検索してみたところ、難民写真販売(?)をしているので驚きました。
    私が岐阜の「哲学カフェ」でお見かけした河合さんは、そんな感じのことをする人じゃなさそうだし、おかしいなあと思い、検索を続けていると、このサイトに出会いました。
    フロンティア高校の生徒さんとつながりがあって、あの学校はどンな学校なんだろうとの疑問を持っておりましたから、上の文面を読んで少し安心しました。
    最近つくづく思うのですが、
    《 教育は可能性の最前線 福祉は不幸の最前線 》
    との印象を強く持っており、それに応えようとしない大人連中の不甲斐なさ(私とてその一人?)を情けなく思っていました。
    6日の発表が私の期待に応えれくれるものかどうか一抹の疑念がなきにしもあらずですが、フロンティアの生徒さんの上の言葉を信じて、足を運んでみようと思っております。

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