今年の4月22日に「閖上の記憶」をオープンさせてもうじき半年になります。
その間、「番人」と呼ぶスタッフが3人となり、交替制もとれるようになって火曜日と金曜日の休館日以外は空けられるようになりました。
その後5月からは「語り部」の皆さんが登場。もちろん第一号は閖上中学校遺族会の丹野さんです。現在約5人の語り部の皆さんが毎週日曜日の午後2時30分から語りを続けてくれています。
そしてついに「記憶の三役」と呼んでいる第3の役割、「案内人」が誕生しました。
それは、実際に訪問してくださった皆さんのバスに同乗し、閖上の要所要所を案内する人のことです。第一号は小齋正義さんが引き受けてくださました。
小齋さんは閖上2丁目にお住まいでしたが、その豪奢なお家はすべて流され、ご自身も九死に一生を得ていらっしゃいます。最初閖上公民館にいて、「どうも危ない」ということで閖中に逃げたすぐ後に津波が襲ってきたのです。もちろんその一晩は閖中に孤立していらっしゃいました。
そして翌日に救出。避難所の暮らしを経て現在は箱塚屋敷の仮設住居にお住まいです。
奥さまは閖上あみーずのメンバーで洋子さん。
仲のいいご夫婦で、以前の地球のステージの中では主人公のお一人でした。
「自分はもう一回閖上に家を建ててそこで死んでいきたい。」
とおっしゃった小齋さん。その後の経過の中で最近はなかなかどうするといいのか迷っていらっしゃいますが、ついに「案内人」を引き受けてくださいました。
この日は埼玉からの皆様を案内されて、閖上を所狭しと案内されました。
(閖上中学校慰霊碑前)
事前にみんなで案内ポイントを話し合い、写真を用意してより詳しく、よりリアルに説明を試みました。初回とは思えない堂々たるそのお姿に、リンリンも感動していました。
これからどんどん小齋さんには活躍して頂いて、閖上にいらっしゃる全国の皆様に本当の閖上で起きたことを伝えて行ければと思っております。
(日和山にて)
是非皆さん、ご依頼ください。ご依頼は「地球のステージ」のリンリンこと、林由美(よしみ)まで。
お待ちしております。
桑山紀彦
色々な役割分担で閖上の皆さんの居場所ができてきてよかったと思います。男性はどうしていらっしゃるのかと気になっていました、あみーずのように手仕事がなかなかみつからなくてアルコールや煙草などに向かう人が多いのではと。皆様のご活躍お祈りします。
ついに閖上を案内してくださる方が誕生したんですね!
ちゃんと伝えれば、ちゃんと理解する人が増えると思います。
勝手な解釈で納得しないで済みます。大事なことだと思います。
小齋さんのご健康をお祈りしています。
いつかまた、閖上を訪れたいと思っています。
前向きになって勇気をもった小齋に拍手を送ります。