「スカイルーム」の子どもたちと陸前高田へ!

さて、昨日、今日と閖上小学校の子どもたち、そして被災した下増田小学校の子どもたちと今年のサマーキャンプに行ってきました。

 目指すは岩手県陸前高田市です。
 これまでバスツアーは2回行ってきました。1回目は自分たちの被災した故郷へ戻る、「下増田&閖上ツアー」。第2回目は同じ県の被災地を訪れる「石巻ツアー」。「地球のステージ」の新理事となられた青山先生のご案内でした。
 そして第3回目はいよいよ宮城県を飛び出して岩手県へ。そして大きな被災地陸前高田に行ってきました。もちろん1泊2日の旅です。子どもたち全部で38人が参加しましたが、みんなよく頑張って最後までついてきてくれました。
 その詳しいお話しは明日するとして、今日は大切な報告があります。
 今から1年前の4月。被災して1ヶ月ほどの陸前高田にNICCOの仕事でいっていました。その時、突然依頼を受けた往診。それは、陸前高田の市役所に勤めていたご主人を津波で亡くしてパニックに陥っていた、若い女性のためのものでした。彼女のおなかには半年の赤ちゃんが宿っていました。もうお父さんの顔をみることのできないことの哀しさ、絶望から彼女は半狂乱状態でした。
 僕たちはチームで関わりましたが、もう一緒に泣くしかできず、点滴もなかなか入らなくて申し訳なかった覚えがあります。
 今日、そのお家を訪ねることができました。出ていらっしゃったのはお母さんでした。
「あの時は、ありがとうございました。もう私たちもどうしていいかわからなくて・・・。
 実は、ちょうど今日から勤めに出ることができるようになったんです。本当に偶然で今日から市役所の仕事に出ることができるようになりました。
 はい、子どもはちゃんと生まれました。”花穗(かほ)”と名付けました。
 おかげさまでその子がいることで紛れるんでしょうか、娘は立ち直っていっています。本当にありがとうございました。」
 扉を閉めてから、泣きました。
 この1年、夫を失った妻として、そして母親となって、ずいぶん心が重かったでしょう。でも、こうして人間は少しずつ前に向かって進んでいくんですね。それは決して夫のことを“忘れる”のではなく、きちんと“整理できていく”のだと思います。そして、もう一回がんばろうか、と思える日がくる。
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 こののどかで美しい陸前高田の街にも数えきれないほどの悲しみが去来しました。でも、それでも人間は立ち上がり、そして歩んでいきます。
 こうしてこの陸前高田に戻ることができて、そしてそれが我が名取の子どもたちと一緒に戻ることができて、本当に嬉しかったです。
 花穗ちゃんに幸多からんことを!
桑山紀彦

「スカイルーム」の子どもたちと陸前高田へ!」への5件のフィードバック

  1. ドラマの様な事実を知り感激しています。
    改めて3・11を忘れてはいけないと気付かされました。

  2.  昔の町医者、否、多くの医者、そして医学者でさえも患者の傍らに寄り添い、よく泣いたと聞いたことがあります。私の主治医も一朝事あれば泣いてくださると思います。
     科学の、科学者のアクションへの動機づけの最大のものは泣くこと、涙だと信じております。社会科学者の末席を汚す私ですら常にそう思い、細々ながら研究しております。そして教壇に立つ時には常に学生の傍らに立ったつもりで講義しています。
     もちろん涙すら出ない哀しみも多々あることでしょうが、涙が出るうちは滂沱と流しなさい。
     あなたは立派な医者です。

  3. 妊娠6ヶ月だと赤ちゃんが動く事も感じられ、元気づけられたかもしれませんね。
    お子さんから元気を沢山貰ってらっしゃるでしょうね。
    花穂ちゃんが生まれて来て、良かった!

  4. 命が命を支えているんだなって思いました。
    傍でお母さんも見守ってくださって…。
    花穂ちゃんの健やかな成長を願っています。

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