聞こえなかった黙祷のサイレン

 今日、3月11日が来ました。

 皆様、これまで多くのご支援を頂きありがとうございました。
 今日は、朝から慰霊碑の除幕式の準備で大わらわでした。
 でも、きちんと終わりました。
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 しかし残念だったのは2時46分に全くサイレンが聞こえなかったことです。遺族会会長の丹野さんが市役所に聞きにいきました。守衛さんが言いました。
「鳴ったけど、低くて聴こえづらかった」
 大切な大切な黙祷のサイレンは閖上には届きませんでした。
 参列の皆様、黙祷が1分30秒間遅れてしまったこと、本当に申し訳ありません。まさかサイレンが聞こえないなんて思いもしなかったので・・・。
 丹野さんも言っていますが、これってどういうことなのでしょうか。
 閖上の、名取市最大の被災地の、子どもたちの名前を刻む大切な式典と、みんなが心を一つにしようと思って待っていた黙祷のサイレンが、「閖上で聴こえない」なんてことがありえるのでしょうか。
 私たちはこれから何を頼りに危険を感じ、何を頼りに逃げるという行動を起こすといいのでしょうか。
 私も含め多くの人々がそのサイレンと共に想いっきり泣いて、天国にいる大切な人への想いをはっきりと確認したかったと思います。
 私と同じように、「サイレンが聴こえなかった」ということに疑問を持つ方、実はたくさんいるのではないでしょうか。これを大きな「課題」としていきべきだと思います。
 それにしても感動したのは参列の長蛇の列でした。400人はいらっしゃったでしょうか。いつまでも絶えないその人の列に、ご遺族の皆さんは一つの段階を越えられたと思います。
「我が子の名前を、この世界に刻んだ。決して忘れない。」
 という思い。
 抱き合いながら号泣し合えた櫻井さんの身体のぬくもりが忘れられません。
 私は司会を務める中で、
「これを冷たい石の慰霊碑にしたくはありません。人々が触り、その名前を呼ぶことで、ぬくもりのある暖かい慰霊碑にしていきませんか。」
 とお伝えさせていただきました。
 するとたくさんの人がその名前に直接触り、言葉を唱えてお祈りしていかれます。
 「いい慰霊碑ができた。」
 と思いました。
 縦方向に延ばした「碑」にすると、それを前に拝むことはできますが、触ることはできません。しかし子どもにも手が届く高さに名前を刻ませていただいたお陰で、みんな触っていかれます。
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 丹野さんが言いました。
「たくさん触ってくれるから、そのうち掘れてくるかもね。」
 そんな慰霊碑に、これからしていきましょう。
 そして、16時からは平成22年度閖上中学校卒業生による野球が、体育館で開催されました。
 「あの日を取り返せ!閖上中学校卒業生野球大会。」
 と称して、応援の女子と、なんと飛び入りのお母さんたちに見守られて男子は野球を楽しんでくれました。
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 今日は始まりです。
 2年目の始まり。
 これまでの「復旧」から「復興」へ。
 皆さん、これまで以上にどうか応援してください。
桑山紀彦

聞こえなかった黙祷のサイレン」への14件のフィードバック

  1. そう、まさしく始まりです。
    長く険しい道の始まりです。
    地球のステージが名取灯台の灯になって下さい。

  2. 桑山先生、林サン スタッフの皆さん。
    そして全国から私達に暖かい眼差しを向けて下さった方々。
    本当にありがとうございます。
    子供達が生きた証、慰霊碑を建立する事が出来ました。
    更地だらけの閖上の町、空っぽの学校。
    でも確かに子供達はそこに居るのです!!
    『津波が来るから早く逃げて!!』
    息子、義両親に言ってあげる事が出来なかった一言…
    生きてしまった、生かされた意味…
    息子の名を撫でながら考えます。
    聞こえるはずなのに聞こえないサイレン。
    昨晩、市役所に確かめに行きました。
    守衛サンに確認した所、鳴ったけど低くて聞こえずらかった。との返答。
    1年前あれだけの代償を払って学んだはずの防災無線。
    名取市は全く学習していない!
    津波を恨んで人を恨まず。心では解っているつもりでも身体は怒りでいっぱい。
    命の重さを全くわからない名取市には呆れて空いた口が塞がりません。
    もぅ二度と私達と同じ悲しみを持つ人が増えない様に。同じ過ちを繰り返さない様に。
    切に切に願います。

  3. たくさんのテレビ番組を見ました。そしてたくさん泣きました。
    いま尚深い悲しみに苦しんでいる方々を知るにつけ、とてもとても胸が痛みます。
    けれども、その苦しみの中にも、もどりつつある新な日常や、笑顔があるでしょう。それが本当に励みであり、ご苦労に対する救いでもあるように感じています。
    被災された皆さんは、今日はあの日を思い、たくさん泣かれた事でしょう。たくさん泣いてください。わたしたちもたくさん泣きました。泣いた後には、希望に向き合えます。
    こどもたちの未来の閖上のジオラマは希望の象徴のように思いました。
    被災地、被災者から、1日も早く復興地、復興者となられる事を、強く願っています。
    311を忘れた日は1日もありません。心はいつもみなさんのそばにありたいと、改めて思った1年目の3月11日でした。

  4. 桑山さん、丹野さん、名取市の皆さん、
    長い長い1日だったのでは、と推察していました。
    これまでの沢山の準備や話し合い、気苦労もおありだったことと思います。ゆっくり休まれてくださいね。
    防災無線について、自治体の対応、命の重さについて言及があり、自分も、最近思うことがあったので、共有させてください。
    実は最近、書類として、身内の「住民票の除票」が必要になり、住んでいる自治体の窓口に、手続きに行く機会があったんです。
    そこで、金曜日の午後という時間帯ということもあったとは思うのですが、とにかく、1階の自治体職員がみんな暇そうにしていて、しかも、こちらが、亡くなった身内のことを思い出しながら、慣れない書類申請にとまどって、いっぱいいっぱいの気持ちだったのに、、4~5人の職員さんの世間話がとまらないんですよね。 勤務時間中だと思うのに、聞いていて、とても不快な気分になりました。
    最近、大阪市の橋本市長の改革がいろいろ話題を呼んでいますが、(政治や手法など、詳細については賛否あると思いますが)、、だけど、中には、とても一生懸命で、親身に対応してくれる人もいるけど、でも、“公務員って、民間に比べて、甘いのではないか”って、すごく感じました。
    被災地でも、そうでない地域でも、日本では失業者が増え、雇用の創出がますます大切になってきているのに…。 自治体職員だったら、そういう仕組み作りというか、アイディア捻り出しとか、営業行ったりとか、地域住民のために、いくらでも仕事はあると思います。
    以上、私が今月体験した、ちょっと残念な出来事でした。

  5. 震災後1年。さまざまな状況の東北の各地を、1年前から振り返る報道の1日でした。
    まるで昨日のことのように感じました。
    癒されることのない辛さを抱えている方々のご心痛はいかばかりか。どうか1日も早く穏やかな日がきますように。
    自分に今できることは何かを考えて、1日を過ごしています。
    たくさんの善意の心に支えられて、今生活できていることに感謝を忘れないでいたいと思います。
    最近自分の力を使う充実感を感じるようになれたこと、嬉しかったです。本当に些細なことだけど、生きている限り再生する力あるのかなとやっと思えるようになりました。
    桑山先生 スタッフの皆さんお疲れ様です。
    共に泣いて下さる方々の存在はありがたいと思います。
    たくさん流した涙は天国まで届きますように。

  6. 参列させていただき有難うございました。
    とても温かみのある慰霊碑だと感じました。
    閖上中学校の先生方も校長先生を始め大勢みえて献花をされていました。
    天気予報では雪が降るようでしたが、時折会場に日差しが輝き、
    私は皆さんの魂が天から降りてきたように感じました。
    慰霊碑を建てて終わりではなく、慰霊碑を守り伝えながら
    これからの活動がスタートするんですね。
    ともに過ごさせて頂いた時間を胸に大切に抱いていきたいと思っています。

  7. ブログ拝見しました。微力ながらお役に立てて嬉しいです。
    こちらの地方紙の一面に載った写真が
    閖上中で津波到達時刻に合わせて黙祷する人々
    とあったのはそういうことだったのですね。
    各地の様子とともに閖中の慰霊碑のことも記事にありました。
    黙祷する人々の傍らに横たわる漁船。。。
    本当に これからも・・・なんですね。

  8. 桑山 紀彦 様
    「冷たい慰霊碑を暖かい慰霊碑に・・・・」
      本当に感激深いメッセージです。
      これから本当の復興です。
      心から応援をしています。

  9.       江里ちゃんへ
     昨日、TBSの震災特番「こころのケアー」の中で、桑山先生と一緒に写る江里ちゃんを観ました。
     子ネコを製作している江里ちゃんが、とても淋しそうに写っていました。
     江里ちゃんはいいます。
     「こうして、子ネコを作っていても、気分が晴れないんだよね。津波のことを思い出してしまう。最近は夜もうなされることが多くなって起きてしまうし」
     江里ちゃんはとっても辛そうでした。
     ボクには、江里ちゃんのためにしてあげられることは何もありません。そんなボクでも、ひと言だけ言いたいと思います。
     「江里ちゃん、笑って」。「笑えないかもしれないけど、笑顔でいてほしい。笑顔のキミが可愛いから」。
     だから、嘘でもいいから笑ってほしい。笑っていると、元気になれるから。
     江里ちゃん、「笑ってください」。
     それがボクからの、”お願い”。
     子ネコの江里ちゃんから、笑顔の江里ちゃんへ。
     
               和歌山   なかお

  10. 昨年12月に閖上に行きました。小学校の体育館では、丹野さんにもお会いできました。日和山や中学校に行きました。閖上は身近な街になりました。昨日は遠くから、閖上を思い、黙とうさせていただきました。また閖上に行きます。慰霊碑、触りに行きます。
    島根で圧倒的な購読シェアの山陰中央新報の第1面、紙面約半分の大きさの写真で「閖上中で津波到達時間に合わせ黙とうする人たち」が紹介されてました。島根と閖上、つながってるんだ!と朝から興奮してました。それにしても津波到達時間より1分半遅れてたんですね・・・。
    名取市の対応にガッカリだけど、でも・・・
    ふんばれ!桑山!ふんばれ!

  11. 今朝もテレビで、閖上中学校の昨日の様子を見ました。
    伝えたい気持ちは沢山沢山あるのだけれど、一年が近づく度、何とコメントすればいいのかわからず書けませんでした。
    11日は遠く離れた場所から黙祷をしました。
    黙祷中に、涙が出てきました。
    子供も同じく、涙を滲ませてました。
    そして今、遠く離れた私たちは何をすべきなのか考えました。
    伝えたい気持ちは沢山あります。
    が、気持ちを伝えるより、やはり少しでも閖上の皆さんが笑っていられるように、私は新たにこれから募金しようと思いました。
    この一年間、幼稚園や学校や色んな団体を通して東北地方に募金してきました。
    けれどここから先は、直接自分の名前でこの身近な閖上の皆さん宛に募金しようと思います。
    伝えたい気持ちは、そこに込めたいと思います。
    皆さんのこれからを、微力ですが応援します。

  12.  桑山さん、スタッフの皆さん、丹野さん、本当にお疲れ様でした。
     私達笠松の桑山応援隊は、河合さん親子をゲストに迎え、花依ちゃんを始め中学生スタッフ小学生スタッフも来てくれて、東に向かい黙祷をしました。
     そして、これからの支援の仕方を確認し合いました。
    地球のステージ6を笠松でやることはもちろん、私達は私達が出来ることをやっていきます。
    「忘れないこと」を心に刻み、これからもエールを送り続けます。

  13. おはようございます。
    3月11日、私もいろいろな番組を見ていました。
    桑山先生がお知らせしていただいた11時20分からNHKと、15時からの番組も・・・
     
    本当にこの一年、私のようなものが振り返ることなんて東北の皆さんには失礼に当たると思うのですが、私なりに私の中でこの一年を振り返りました。
    学校と子ども達の顔を見れる近い位置にいるPTAに携わり、今年は何かを新しく始めるよりも、今を大切にしていこうと4月スタートしました。
    やはり3月11日は「忘れない」「忘れてはいけない」一日なのです。遠く離れていても、誰かのことを思いやり、時間を大切にすごせることは、私自身も成長させてくれているように感じます。
    それを心にしっかりと刻み、私なりのエールを皆さんに届けられればと思っています。
    桑山先生、スタッフのみなさん、くれぐれも体調崩されませんように・・・。

  14. 丹野さん
    お辛い気持ちを抱えているのに
    きちんと犠牲者の代弁をされて
    いて
    素晴らしい方ですね。
    「強い方だなぁ。」
    と思いました。
    私も息子を亡くしましたが
    いつまでもくよくよメソメソしてはだめだなぁと思いました。
    励みになります。
    ずっと心を寄せて応援しています。

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