舞鶴の人々

 今日は京都府舞鶴市の中学校でのステージでした。

 ここは舞鶴実行委員会の橋本さんたちが、毎年定期公演で呼んでくださっている街。でもそれはもとをただすと千葉県四街道市に住む大川愛子さんが、まさに人の絆でつないでくれた人々です。
 大川愛子さんは「地球のステージ」の大切な支援者ですが、元々の生まれがこの京都府北部にある網野町というところでした。近くの街としては宮津(天橋立があるところ)、そしてこの舞鶴があります。
 その舞鶴で愛子さんの友人が橋本さんで、2年前からステージを呼んでくださっており、今回はその橋本さんが常に願っていた
「自主企画公演を見た学校の先生が、自分の学校にステージを呼んでくれること。」
 が実現した日でした。舞鶴で初めての中学校単独公演が成功したのです。
 生徒さんたちはとてもよく聞いてくれて、最後の生徒会長の挨拶も立派でした。
 この青葉中学校は「折り鶴プロジェクト」と称して、なんと閖上中学校に千羽鶴を送った学校です。遠い京都の中学生と、閖上の中学生がつながっていたのでした。だから、今日の「地球のステージ1~震災特別版」はことのほか、生徒の皆さんにとって身近なものになったようでした。
 さて、この舞鶴には古い、大切な友人がいます。
 「おおえ乳腺クリニック」院長、大江先生。
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「おおえ乳腺クリニック」in舞鶴
 山形大学医学部の同級生で仲がよかったので、いい友達です。そんな大江先生に会うことが出来ました。
「いや~すごいタイミングやな。今日の朝な、ミーティングで“これまでの1年間の支援、本当にスタッフ一丸となってありがとう”と話したんや。」
 そうなんです、おおえ乳腺クリニックからは毎月きちんと支援金が送られてきてもう12ヶ月が過ぎようとしているんです。きっちり必ず月に1,2回。送金されてくるんです。それは大江先生が、
「そうすると決めたんや。」
 それにスタッフの皆さんも大いに協力して下さって今日までやってきました。
「でもな、これからどうするか、それを話し合おうと思ってたんや。」
 率直な想いですね。
「これからの支援、どうするといい?」
 それはおそらく全国の皆さんの思いと同じだと思いました。
「そうだな・・・。これまでの1年間、本当にありがとう。離れているからこそ、そこから届く思いにいつも励まされてきたよ。
 1年を区切りに、毎月の支援をやめるのも一つだと思う。十分だったし、この1年間続けてくれただけでもう本当に嬉しかった。
 でも現場は「更地」なんだ。なんにも無い。動く気配もない。おそらく1年が過ぎるのをじっと待っている人もいると思う。オレたちも実はそうだ。
 これまでの1年は“復旧”だった。マイナスをなんとかゼロに持っていく日々だったよ。でもこれからが“復興”だ。ゼロをプラスに変えていきたいと思っている。
 具体的には、子どもたちの活動は、ちゃんとした演劇にまで昇華していきたい。
 大人たちの活動は、閖上あみーずの安定展開と、「子どもを亡くした親の会」、そして、閖上と北釜にいよいよプレハブを建てて「集会所」をつくって、「語り部の会」の定期開催や、いろんな活動を展開していきたいと思っているんだ。
 これからが正念場。2年目までをちゃんと見ててほしいし、応援していてほしいと思うんだ。例え500円でも1000円でも十分だ。どうか見届けてくれないか。」
「わかった。桑山の気持ちと方向性は十分わかった。今までと同じというわけにはいかないかもしれないけど、これからの1年間も続ける方向でもう一回スタッフと話してみる。」
「ありがとう、大江。」
 持つべき者は友人、同期、そして絆。
 1年目を目前にわたしたち「地球のステージ」が皆さんに訴えたいことです。
よろしくお願い致します。
桑山紀彦

舞鶴の人々」への4件のフィードバック

  1. マイナスからゼロへ・・・そしてプラスへ向かっていくんだね。分かったよ、紀君!微力だけど自分のできる形で関わらせてもらうね。

  2. ステージは人のつながりで広がっているんだなあとつくづく思います。
    ステージを一度見てもらえれば、良さをわかってもらえるんですよね。
    舞鶴の中学生も被災地へ思いを寄せているんですね。
    支援もまだまだ必要なんですね。時々、ブログでも支援を!と書いてくださいね。

  3. 10日の毎日新聞に閖上中学の除幕式の記事がありました。
    「わ・す・れ・な・い」ことを訴えていました。
    まだ復旧と言えるような段階じゃありません。
    広域な被災地の全体は国・県・市の行政に任せて、スピーディな対応を祈るのみです。
    先端で支援を行う「地球のステージ」の見える活動を今後も応援していきたいと思っています。

  4.        被災地の企業、経営者の声(3月8日付け朝日新聞朝刊より再録)
     
     何もかもが流された。
     人も、住む家も、働き場所も。
     再建し、収入を得なければこれからの生活が成り立っていかない。それぞれの被災地の企業の1年後の声である。
     菊池電子工業ーーーーいまは従業員は過剰になっているが将来は投資をして生産規模を拡大するので、解雇する予定はない。
     さいとう製菓ーーーー菓子の販売はまだ前年割れ。全国から通販は増えているが、得意先が津波で流されたのが大きい。
     小松建築事務所ーーー今は復興特需だが、3~5年後には仕事がなくなる。そうなったときに仕事ができるように、いまは信用を勝ち取るとき
     長谷川建設ーーーーー復興計画はハードも大切だが、ソフト面をどうするか私たち企業家が考えないと意味がない。まず人ありきだ。
     宮城交通ーーーーーー復興の基本は被災者の自助努力。まず自分たちからできることを実行する姿勢を示すことで、公助は後押ししてくれる。
     仙台プロパンーーーー公費負担とされた建物の解体や瓦礫処理がなかなか決まらず、復旧を急ぐため、自己負担を覚悟で処理を進めた。
     スマッシュ&ムラカミー印刷機の損傷はあったが、従業員の結束は高まり、一丸となっている。それを維持していくのが私の仕事。
     こあ建設ーーーーーー会社の敷地にテントを張って寝泊りした従業員にボーナスを出した。給料も震災前より2,3割上げた。
     渡辺鉄工ーーーーーー20年かけて機械をそろえたが、津波で8割がスクラップに。また一生懸命、地道にやっていくしかない。
     柴田鮮魚ーーーーーースタートラインすらまだ見えない、苦しい状態。それでも地元で働く場を作ることが経営者の使命だと思う。
     かねまん本舗ーーーー水産加工品は放射能検査を行って安全性は確保されている。県もメディアも正確な情報を発信して、力を貸してほしい。
     各社長さんの奮闘ぶりと、これからの再建にかける熱い思いが伝わってくる。業種により、復興への道筋に差があるようだが、これらの社長さんの意気込みに東北の経済の立て直しに未来が見えるような気がする。
     和歌山 なかお

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