今日で春代おばあちゃんの外来が終わりました。
津波の到来を予感して最初自転車で家を出発し、迫り来る津波が見えて自転車を捨てて必死に逃げたけれども、土手に登る時に津波に足をすくわれ、もうダメかと思った瞬間、
「ばあちゃん、手!」
と言われて思わず伸ばした先にあった「手」。その手に救われて一命を取り留めたは春代ばあちゃんはその後長く津波に悩まされてきました。
水に対する恐怖がひどく、湯船には入れないのはもちろんシャンプーもダメ。釣り堀の黒い水に吐き気を覚え、お味噌汁の表面でさえ恐怖の対象になってきました。
毎晩のように津波に持って行かれる夢を見てはうなされ、午前中はとても起きれず昼夜逆転してしまい苦しんできたおばあちゃん。
自分がさらわれそうになった道には一切近寄れず、典型的なPTSD(心的外傷後ストレス障がい)の症状に苦しんできた春代ばあちゃんは、ついにその症状のほとんどを消退させ、晴れ晴れとした笑顔で僕の前に座っていらっしゃいました。
「すっかり大丈夫ですか?」
「はい、もう大丈夫。」
「津波の夢は見ませんか?」
「いっぱい見てきたからね。もう最近はぜんぜん見ないわねえ。」
「湯船もシャンプーも大丈夫?」
「はい、もうすっかり大丈夫。」
「耕谷道は?」
「ほほほほ、できれば避けたいわね。でも通れますよ。」
「すごいなあ・・・。」
「でも、良くなるのにこんなに時間かかっちゃいました。」
「いや、とっても早いと思います。」
「そうねえ、先生と明ちゃんがいっぱい話聞いてくれたからねえ。」
「よく語ってくださいました。」
「なんだかここへこなくなるもの寂しいわねえ。」
「いえ、これでいいんですよ。」
「また何かあったら来てもいいかしらねえ。」
「もちろん。いつもここで待っていますよ。もう親戚のようなものですから。」
「ありがとさまねえ。」
春代ばあちゃんはさっそうと去って行きました。ようやく、最近外来で「On Demand(必要なときにくる)」となる人が増えてきました。新患受診は相変わらず多いけど、こうしてよくなって外来が終了する皆さんもいらっしゃるから、励まされるし、その数でいっぱいいっぱいになりません。
でも、今はっきりと「3の倍数でみんな悪くなる」という公式が見えてきました。
3ヶ月目、6ヶ月目、9ヶ月目。
見事に人はこの周期で悪くなっています。生体リズムなのか、心の動きのリズムなのか。3ヶ月目の6月11日前後。子どもたちが一気に吹き出した感じが強かったけど、はっきりとした「山場」がありました。続いて6ヶ月目、9月11日前後。
「半年」ということで記念日反応のようなものが起きて、外来新患数がどっと増えました。
そして9ヶ月目、12月11日前後。また今外来新患数が増えています。
まさに悪夢、フラッシュバックのような「侵入症状」。午後の4時くらいに気持ちがわさわさして居場所がなくなったり、あえて津波の映像や話しがとても苦手になっている「回避反応」。不眠や寝汗、腕のしびれ感や過度の驚愕反応などの「過覚醒」の3代症状が典型的に観られています。
このまま行くと、あと3ヶ月後の3月11日前後の「心の危機」は一体どれほどすさまじいものになるのか、予想だにつきません。だからこそ今のうちに心のケアに取り組み、
「この世に行けない場所なんてない」
「この世に語りれない話なんてない」
「この世界に思い出したくないことなんてない」
そんな気持ちを心の中に持ち、しっかりとした「吐き出し」と「整理」をして行く必要があります。
今日は文化会館でジオラマ制作第二部「あの日のことを個人ジオラマで創ろう」の第2回目でした。
子どもたちは何を創るのか。
多くの子どもたちが、あの日避難して津波に襲われた閖上小学校の3階からの光景を形にしてくれています。
来週からは色塗りですね。
みんなに聞きました。
「なんで、今この”津波の日のこと“をあえて創るんだ?」
「えっと、いろんな人にあの日の出来事のことをわかってもらうため!」
「そうだね、他には?」
「忘れないでいるため・・・。」
「みんなこれ創りたくない!って人いる?」
「(シーン)・・・。」
「オレ創りたい」
「オレも・・・。」
みんなちゃんと心の準備をしてくれています。
今後の展開を待っていてください。
桑山紀彦
おはようございます。今、多摩川を渡りました。雪をかぶった富士山がきれいに見えました。今日は私の立ち位置前に調布で降りる高校生がいるので身動き出来なくなる時座れそうで幸せ(^-^)v 3の倍数、いつか任地に行く前の協力隊の若者に話されていた事を思い出します。3の倍数月に何故か必ず壁にぶつかるから休みを取ったり、日本に連絡したらするといい。知ってるだけで悩まなくてすむよ。って。春代おばあちゃん良かったです。「何かあった時」にはいつでも行ける場所もあるし。 東北の皆さんがドンドン春代おばあちゃんのように前進出来ますように。
「釜石の奇跡」に学べ
和歌山県教育委員会は、県内の学校すべてに「津波防災教育指導の手引き」を配布した。
ここに書かれているのは「釜石の奇跡」に学べということである。今回の東日本大震災は和歌山県にとっても他山の石ではない。そう遠くない時期、東南海・南海地震が来るというのである。
過去の例を上げると、昭和19年、マグニチュード7.9の地震が紀伊半島から東海地方を襲った。昭和東南海地震である。このことき死者・行方不明者は1、223人。
さらに、戦後まもない昭和21年には、マグニチュード8.0の地震が再び紀伊半島を襲った。これは昭和南海地震といわれる。このときの死者・行方不明者は1,330人であった。あれから60年余り、いつ大地震が起こっても不思議はないのである。
釜石では中学生が率先して幼稚園児や小学生を連れて避難所へ避難した。さらにここでは危ないと急拠判断をしなおし、中学生がもっと高台へ、もっと遠くへと小さな子どもたちやお年寄りを導いたのである。その結果、同市では約300人の児童生徒が津波にさらわれることなく生きのびたのである。「釜石の奇跡」と呼ばれている出来事である。
釜石市では群馬大学片田敏孝教授の指導のもと、”想定にとらわれるな”、”状況下で最善を尽くせ”、”率先避難者であれ”の避難三原則を掲げ防災教育を徹底していたのがいかされたのである。
和歌山県もこれに倣えと、県のお偉いさん方が、いっているである。これはもっともなことである。お偉いさんたちも、たまにはいいことを言うのだああああああー、と、思うのである。
和歌山 なかお
雪が降りました。
あの日の事を思い出して涙が溢れました。
忘れかけていた津波の匂いも思い出してしまいました。
春代おばあちゃん、元気を取り戻せて良かったですね。
優しい明ちゃん、ありがとう。
雪が降り出すとやはり「あの日」が蘇ってしまう人が増えるでしょうか。
辛いです。これから寒くなりますから、余計に心が重くなりますね。
桑山さん、よろしくお願いします。
心の治療~目に見えない部分を的確にとらえて結果がでてほっとしました。本当にご苦労様です。
おばあちゃんも、子供たちもずっと見守ってあげてください。
3倍の危機!勉強になりました。
科学では説明できない、潮の満ち引きなんてことも関係あるのでしょうか?
『3の倍数で悪くなる』という公式ですが、
よく運転免許を取ったときに、1か月、3カ月、1年、3年目は
事故を起こしやすいので気をつけるようにと言われましたが、
こういった数の周期というのは、人間の心のメカニズムと
関係あるのでしょうね。
桑山医師の「心のケア」は目に見えないものとの取り組みだから、
傍でみていても、どうなるんだろうってところでしょうけれど、
目にみえないけれど確かなものをつかむことができると
春代おばあちゃんのように結果がはっきりわかるんですね。
ちょっと、抽象的すぎるコメントですみません。
私の心の想いをどう表現したら・・と悩んで、
こんな言葉になってしまいました。
3倍ですか。 そっか~、良くなったり、また揺り戻したように悪くなったりする時に、そういう事を頭の隅っこに置いておけば、焦る心を少しなだめることができるかもしれませんね。
いいことを知りました。
春代おばあちゃん良かった!本当に良かった!