粘土の行方

 今日のブログは参加してくれた一人一人の高校生に許可を得て、ブログに書くことにOKもらって書いています。ご意見のある場合は、info@stageone.orgまで下さい。

閖中の卒業生みんなとのワークキャンプ。それはまさに「絆を再確認しよう」というものでした。

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 ほとんどの卒業生が小学校1年生から9年間ずっと一緒。いや場合によっては幼稚園からずっと一緒に育ってきました。だからこの48人の子どもたちはそのほとんどが幼なじみであり、ずっと同じものを見て感じて大きくなってきました。

 津波の日、彼らは中学校の卒業式でした。午前中で式が終わり午後に入って閖上公民館で謝恩会が開かれていましたが、その最中に2時46分を向かえました。激しく長い揺れに「これはただ事ではない」とみんなが思いましたが閖上公民館も指定避難所なのでそのままそこで待機する人もいれば、家に戻る人、閖中に避難する人、様々でした。

 4時2分。閖中に津波の第一波がぶち当たりました。そして卒業生たちは様々な運命を辿ることになりました。48人いた同級生のうち3人が亡くなってしまいました。そして春を迎え残された45人はそれぞれの道を進んでいったのです。でも、それはある意味とても心に負担となる春でした。

 これまで9年から12年間ずっと一緒の街に育ち、一緒の学校に通い、一緒の修学旅行に出かけ、けんかしては仲直りをし、好きになっては別れたり、そしてまた付き合ったり。仲のいいみんなはいよいよ高校生になって離ればなれになっていったのです。何もなくても高校でばらばらになってしまうことで、寂しく感じ、不安や落ち込みがあるものです。でも、そんな門出の卒業式を襲ってきたのが津波だったのです。ある人は携帯をなくし同級生と連絡が取れなくなってしまいました。ほとんどの生徒が家を失い、避難所に暮らす人、アパートを借りる人、遠くへ引っ越した人。本当にばらばらになってしまったのです。こんな辛い高校への船出があるのでしょうか。

 だから僕たちは、りんりんを中心にみんなの所在を確認してまわりました。みんなの情報をよく持っているお母さんにつながり、そこで紹介してもらった人にまた次の人の所在を聞いて、丹念にコツコツと所在を確認していきました。そして必死に集めた連絡先につながって今回のワークキャンプが始まっていったのです。

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「ハマちゃん」

 そう呼ばれている人に悪い人はいない。僕は確信してきました。実際僕の同級生浜田君も浜ちゃんと呼ばれてみんなに愛されていました。そういえば映画「釣りバカ日誌」に出てくる浜ちゃんも人情たっぷりで、好人物です。目の前のハマちゃんもそうでした。その愛嬌と優しさ、素直さはいっぺんで僕たちスタッフの心をわしづかみにしました。ハマちゃんも閖中の卒業生です。

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 ハマちゃんは、実際に津波にさらわれました。ハマちゃんはその様子を話してくれました。

「オレ、閖上公民館にいたんすけどこのままじゃ危ないっていうんで、閖中に逃げようとしました。お母さんと妹はクルマに乗ってたんで、それで逃げられるかと思って、オレは閖中を目指したんす。

 でも途中で水が来て、あっという間に飲み込まれてある家の中に流れこんだんです。で、このままじゃ溺れちゃうんで目の前の壁からはがれてた断熱材ってやつを引っ張り出して身体にまいたんす。そしたら身体が浮くし、寒くなくて助かりました。そのまんま、何とか津波の中泳いでようやく助かったんです。

 でも、お母ちゃんと妹はそのまま流されて、結局助かりませんでした。」

 閖上に暮らしていた家族の全員を失ったハマちゃんは、お母さんの実家に身を寄せて今は県外にそのおばあちゃんと暮らしています。そんなハマちゃんが今回は来てくれたんです。一番遠いところからの参加でした。ハマちゃんは、今語れる時期に来ているようで、辛いだろうそんな話をちゃんと僕たちにしてくれました。勇気の人です。

 さて、昨日はそんなみんなとアンガー・マネージメント(怒りの管理)というワークショップを行いました。これは10Mほど先に丸い同心の円の板を置きます。

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 今回は須藤さんが手作りで4枚もつくってくれました。日本中に怒りが蔓延していると須藤さんも思ったのかもしれません。そしてそこに粘土を投げ込みますが、これは「怒りの管理」というものですから僕がノルウェーで学んだ時は本当に「怒りの放出」のためだけでした。

 でも、次にアメリカのボストンで学んだ時は怒りの放出だけでなく「愛」や「優しさ」の表現であってもいいという修正が加えられており、緑色の粘土が加わっていました。そこに僕は今回もう一色の粘土を加えました。それは黄色の粘土。それは「なんだかよくわからない気持ち」をぶつけたっていいじゃないか、という桑山なりの変法です。

 こうして信号機と同じ赤、緑、黄色の3色がそろいました。

 赤は怒り、あるいは後悔の放出です。

 緑は愛情、あるいは感謝の表現です。

 まずは、僕がさせてもらいました。僕は後悔していることがいくつかあります。それは後悔してもしきれないこと。

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 「ぼくはみんなが、あの3月11日の夜寒い教室で一生懸命おじいちゃんやおばあちゃんの看病をしているのをNHKの番組で見ました。それを見た時、すぐ横の下増田にいたのに、なんでそこに医者としていられなかったのか、それが今でも悔やまれます。みんなきっと“医者がいてくれたら”と思って不安でいっぱいだったろうに、なんであの時となりの下増田にいたのに、そこにいなかったのか、それが悔やまれます。

 だから、僕は後悔の気持ちで・・・、

 閖中にいたみんな、あの夜何も出来ないでほんとうにごめんね!」

 赤い粘土は真ん中を少し外れたけど、ちゃんと鉄板にあたり、ビシッって音がしました。そしてみんなが拍手してくれました。すっきりしました。

 でもこれはなかなかみんなの前では易々とはできません。高校生のみんなはやっぱり立ち止まっていました。

「負担をかけてしまったかな・・・。」

 と思いましたが、これは強制ではありません。

「僕はいいな。」

「私はやらなくても大丈夫。」

 と思っているのであれば、それはぜんぜん構いません。でも何人かの高校生がすっと立ち上がって粘土を握ってくれました。その中に浜ちゃんがいました。

 ハマちゃんはやおら立ち上がり、少し緊張した面持ちながら僕のところへ来ました。

「どの色の粘土?」

「えと、緑で。」

 そしてハマちゃんは勢いをつけて粘土を投げ込みました。


「おかあさん、いままで、ありがとう。」


 粘土はビシッと鉄板にあたりました。天国のお母さんに届いたと思い、みんなで泣きました。

 ハマちゃんの勇気。ハマちゃんの心。ハマちゃんの願い。ハマちゃんの想い。みんなの心に伝わりました。

 これだけでも、このキャンプを開けて本当に良かったと思った瞬間でした。

桑山紀彦

粘土の行方」への5件のフィードバック

  1. ワークキャンプの手法、興味深いです。
    これからも、できる限り、具体的に紹介してください。

  2. 浜ちゃん、あんたは偉い!高校1年生なそ?「お母さんありがとう」なんて!幸せなお母さんじゃ。
    連絡先を探し当てるの大変じゃっ他じゃろう。大変じゃった分、実を結んだものはたくさん!
    みんなにとって、本当にいい時間になったじゃろうね!

  3.      世の中の闇
     ああー暑い、おー暑い。こんなに暑けりゃエアコンの効いた部屋でゴロゴロしていたいのになあ。夏休みなんだからグウタラ生活をしたっていいじゃあないか。学校もそのためにお休みになっているんじゃあないか。先生も生徒もグウタラしてお休みください。そういって長い休みにしているのではないでしょうか。そうに違いない。と、ボクは思うのですが。ところがそんなグウタラしないで働けというのが社会なのである。
     今日も研修という名のお仕事に出かけたのであります。
     研修先は裁判所と検察庁というとっても怖そうなところである。研修テーマは「法教育」。教師に法律というものを叩き込む研修である。
     ここで普段私たちが知ることのできない裏社会に出くわしてしまったのである。
     午前中は和歌山地方裁判所での裁判の傍聴であった。公判は窃盗事件。
     裁判所事務官から事件の概要を聞き法廷に入ると、すでに弁護人と検察官は席に付いている。ドキドキしながら後ろの傍聴席に座り開廷を待った。しばらくすると被告が手錠をし、さらに腰紐で繋がれたまま警察官と法廷に入って来た。被告人の顔を見ると四十台半ばと思われる人の良さそうな普通のおばさんである。こんなやさしそうなおばさん、いったい何やったのかと思ってしまう。しかも手錠や腰紐などとはあまりにも理不尽ではないのかと思もってしまう。可哀想なぐらいである。
     検察官の読み上げる起訴理由を聞いて驚いた。このおばさん、なかなかの者なのである。窃盗と聞いて何百万円盗んだのかと思っていたのであるが、盗んだのはスーパーでのサツマイモの天ぷら、しかもたったの四個、総額にして二百八十円なのである。万引きというものなのである。(万引きは窃盗罪となる。金額は関係ない)。このおばさん、これまでも万引き経験があり今回で八回目になるそうである。しかも前回は執行猶予の判決が出ており、その判決のわずか二日後に今回の犯行に及んだというのである。検察官もついに堪忍袋の緒が切れたということらしい。
     おばさん曰く、買い物をするためにスーパーに行ったそうである。買い物をするためであるから当然お金は持っていた。財布には三千円入っていたのであるが、惣菜コーナーに来ると、急に三千円を使うのがもったいないと思ったというのである。二百八十円を使わなければ自分のお金は減らないと考えたというのである。(そうりゃそうだ!)
     検察官は質問をする。
     「万引きをなくすため、スーパー側は防犯カメラを設置したり警備員を雇ったりして大変な経費を使っていることを被告は知っていますか」
     「はい、それを捕まったとき、スーパーの人から聞きました」被告は割りと平然と答えている。
     「それを聞いて、被告はどう思いましたか」
     「二百八十円を守るために、何十万円も使っている。それは大変な出費だなと思いました。こんなに経費を掛けるのだから万引きはいけないのだなあと思いました」悪びれた様子はない。
     なんという被告の思考回路なのだろうと呆れてしまった。物を盗むということの罪悪感がまったくないのである。経費の損得勘定の思考しか働かないのである。そんな人がこの世にいるのだと呆れるやら驚くやら空いた口が塞がらない。三千円を減らしたくない、だから盗む。しかし、これが私たちの住む社会であるというのも現実なのです。
     地震も津波もない平穏平和な生活の中でも、こんな闇の世界に生きている人がいるのだという現実を知りました。
     私たちは表の社会だけでなく裏の社会があるといことを知った一日でした。
        和歌山   なかお

  4. 浜ちゃんは素敵な人ですね。最初ににぎった粘土の色が『感謝』の色だなんて!これからも周りの人から自然に愛される人柄で明るくたくましく生きていって下さいね。陰ながら応援しています!

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