失われた時の中で

 「昨日、ようやく息子のための仏壇が届いたんだよ。仏壇が来ると“いよいよ仏様になるんだな”って気がして寂しくなった。私を探しに来なけりゃ、今も二人で暮らしていられたのにな。息子は先に逃げた私のこと探し回って、津波にのみ込まれちまった。」

 74歳のおばあちゃんは、遠い空の向こうに目をやるように息子さんの話をしてくれます。
「その息子ののね、“その時”の様子がね、少しずつわかってきたんだ。息子はね、クルマに乗ってきてまず私の家の中に入っていったんだ。それでいないとわかると、隣の家に行ったみたいだ。この間隣の家の人と会って、それがわかったんだよ。それからいないとわかると大声で“かあちゃ~ん“って叫んでたそうだ。これも隣の家の人が教えてくれた。」
 今人々は自分の大切な人がどんなふうに亡くなったのか探し求めています。そしてその“最期の時”をどう過ごしていたのか知りたくなっています。それが、4ヶ月から5ヶ月目に見られる人間の心の動きのようです。
「そうやって息子の最期の様子がわかるようになるとね、無性に逢いたくなるんだ。今はまだお骨が仏壇の前にあるから救われてるんだ。菩提寺が流されちゃったから、お骨が預けられないことがかえって良かったのかもしれないんだよ。
 その息子のお骨に毎日お茶とご飯を備えるとね、涙がこぼれてくるんだ。もう4ヶ月もたってんのに、まだ涙が出るんだよ。わたしゃいつまで泣けるんだろうか。」
「涙が涸れてもう出なくなるまで泣いていいと思います。」
「そうだね、でもそのたんびに”ごめんね、ごめんね”って繰り返すのよ。“私が身代わりになって死ねばよかった。ごめんね私が生き残ってって思いでいるんだ。本当に私が死ねばよかったんだ。」
「でも生き残った人が、亡くなった人の分も生きていかないとな。」
「うん、それはわかるんだ。でもよ、この罪悪感は消えないんだよ。自分のために息子は死んだって気持ちはぜんぜん変わんないんだもの。」
「・・・。」
「でもね、息子なりに死期を予測していたんかもしんないんだ。だっていつもはクルマの中に置いてる免許証が、あの日に限ってズボンの後ろポケットに入ってたんだもの。警察の身元確認で、その免許証が決め手になったんだ。だから息子はどこかでこうなることを知ってたのかもしれない。」
「だったらますます息子さんの分も生きていかないと・・・。」
「んだな、息子に助けてもらった命だもんな。どこかでこれも決まっていた運命なのかもしれない。」
 そのおばあちゃんはじっと天上を見上げながら、自分の言い聞かせるように言葉を紡ぎ出しました。
「めげてもいらんねなあ。」
 最後にぽつりと言ったその言葉は息子さんに向けられたものだったと思います。
桑山紀彦

失われた時の中で」への7件のフィードバック

  1. 病気で母を亡くしても、「あの時、早く、病院行きいよ。」って言えばよかったなぁとか色々後悔してクヨクヨしました。自分を探しに来てくれて亡くなられたんだから…
    自分の身元がちゃんと分かってお母さんの元に戻れる様に免許証身に着けてらしたんでしょうね。涙はまだまだ流す様だろうけど、息子さんの分までいろんな事に取組めると良いですね。
    仙台空港 再開しましたね。復興な弾みがつきます様に。

  2. 息子さんを思うお母さんの心の痛みはいかばかりか。
    めげてばかりいられないと言われる気丈さで、ご自身を支えていらっしゃるように感じます。
    私も桑山先生に聞いていただくことで、辛さに折れそうな心を抱えながらも何とか生活してきました。
    一人で耐えられないときもあります。たくさん泣いて 泣いて心が空っぽになって。また辛さが蓄積されて泣いて。
    ふと気がついたら、泣くことが減っていました。
    そしてたくさんの人が私を心配してくれていることに気がつきました。心から感謝が湧いて、一人でいる辛さが減っていました。
    天国の息子さん、お母さんを見守って下さいね。

  3. おばあちゃんは、桑山先生に 聞いてもらってはじめて 落ち着いてきたのではないかしら
    と思いました。
    「これも 運命だった」と 胸に収めようとしているのですよね。
    「どうして、あんなに優しい息子が死ななければならないのか」
    とか
    「あの子のおかげで 私の人生は たくさん 幸せな気持ちにさせてもらったなぁ」
    とか
    この悲しみを 自分なりの「物語り」として お腹に収まるように 話を組み立てないといけないように思います。
    生きること 死ぬこと について 自分なりに「物語る」ことができるようになったとき はじめて 腑に落ちるのです。
    はじめて 前向きに歩いて行けるのです。
    おばあちゃんが、あたたかい、穏やかな持ちになりますように
    祈っています。

  4. 息子さんを亡くされた74歳のお母さんのお話、自分にも息子がいるので重ね合わせてしまい、何度読んでも涙がこぼれてしまいます。この運命に自分だったらどうして生きていくだろう・・・と。やはり、自分が死んでしまいたかったと考えると思います。想像するだけで辛い現実です。
    それでも、生命を与えられた人は、生きていかなくてはいけないんですよね。きっと、何かの意味があると信じて。
    3.11以来、「一瞬先は分からない」ということが実感として胸に焼きつきました。家族を見送る時、その後ろ姿に祈りを込めます。そして、自分の心の在り方を問うようになりました。

  5. 桑山先生へ
    私はゆりあげで人を亡くした一人でもあります。
    実は何で早く逃げなかったのよ!と思い続けていました。
    この人がふと夢に出てきて、にこっと笑っていました。
    その時にもしかしたら誰かを助けるため、呼びに行くために
    ゆりあげに戻ったのではないかなと思いました。
    今私は、災害支援を長期的な支援体制にするために、ネットワーク作りを始めています。
    専門分野や職業の壁を超えて支援しよう、忘れてないよという人達の力を集めて行きたいと思っています。
    桑山先生のブログは災害支援を手伝う地元出身の心理士として大変考えさせられました。
    又、人を亡くした一人の人間として、揺れる気持ちを認めたり、また鎮めたりすることもできました。
    ありがとうございました。

  6. 息子さんのことが少しずつ判明して、受け入れられるようになってきたのですね。
    桑山さんがずっと見守ってきた方なので、ちょっとホッとしています。
    大切な人に先立たれてしまう悲しみを思うと、いつまでも涙が止まらないですよね。
    これからもずっとお話を聞いてあげてくださいね。

  7. 今まわりにいる家族の命に感謝です。
    自分の命にも感謝です。
    おばあちゃんの傷が少しずつでも癒えますよう、祈るばかりです。

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