あの日の出来事

 「私は宮城県北部で緊急援助隊に所属し、3月11日、夕方から現場に入り、救援しておりました。

 街に入ったときはまだ地震の直後であり、私は地震の救援を想定しておりました。しかし街に入った直後に防災無線経由で釜石に津波が来たと言いう知らせが入り、我々は緊張しました。すると河の向こうに白波が立っているのが見えました。
“来たか!”
 我々は緊張し、まず身につけていたカラビナを使って河の土手にあるガードレールに結びつけました。クルマに結びつけると流されるので地面に固定したものに身につけるべきだと判断したためです。
 津波は河を一気に遡上して私たちの足下に迫りました。その瞬間
“オレは死ぬんだ”
 と思いました。その勢いはかつて見たこともないものでとても人間の力で乗り切れるようなものではなかったからです。しかし幸い津波は土手に沿って流れ、私の足下に水がかかった程度でした。
 しかし第2波がやってきたのです。それは第1波よりも高く力がありました。一気に私たちの元に押し寄せ、腰まで水に浸かりました。その瞬間二度目に、
“オレは死ぬんだ”
 と思いました。そして不思議にその時女房のことを思いだし、もっと仕事ばかりじゃなくて、女房と温泉など行ってやれば良かった、と思ったのです。自分はこの仕事をしてもう40年近いですが、いつも忙しくてあまり女房のこと、かまってやれなかったことを後悔したのです。しかしこの第2波もそれ以上私を襲うことはなく、流されはしませんでした。
 その時です。3人が流されてきたのです。そして近くの枯れ枝の溜まったところの必死にしがみついていました。
 私は手を伸ばしましたが、届きそうもありません。消防車にあるロープを使ってもなかなか思うようにそこへ届かないのです。
”もう少しがんばれ!“
 声をかけましたが、3人とも力尽きたように次々と波に飲み込まれていきました。
”助けて~!”
 そう叫びながら、3人は流されていきました。
 私は今まで人の命を救おうと仕事してきたのに、この3人の命が救えませんでした。それが今でも後悔の念として心の中に残り続けています。
 津波の2波目を受けた時に
“もうダメだ”
 と思った自分は生き残り、本来人を救援するはずの緊急援助隊の自分が人命を救えず、ただ茫然と流されていく人を見送ってしまったのです。
 結局14日までの4日間、全く休むことなく救援の仕事を無我夢中で染ましたが、常に頭を離れなかったのは、
“もう死ぬ”
 と思った自分と、3人を救えなかった自分の存在の情けなさでした。
 それ以来、自分はいつも自分に問いかけるようになりました。
「自分の人生ってなんだったんだろう」
 と。
 命の危機にさらされたときに、
「もっと別のこともして、ゆとりのある人生を送るべきだった」
 という思いが強く感じたことと、3人を救えなかった時に、
「なんでちゃんと職責を果たせなかったのか」
 と思ったことは、実は相容れない感情です。その全く反対の感情の二つの間に挟まれて、毎日が苦しくてしょうがありません。どちらか一つだったら、悩むにも楽だったでしょう。でも今この2つの気持ちの間に挟まれて、苦しくて苦しくてしょうがないのです。」
 あの時誰よりも早く入り、多くの破壊と遺体を目にし、触れて合掌とともに収容していった自衛隊の皆さんや救急隊のみなさん。やはり心には大きな負担となっています。
 誰よりも強い人のように見える彼らにも、今回の大災害は大きな心の負担になっていると思います。
桑山紀彦

あの日の出来事」への7件のフィードバック

  1. う~ん…。合掌…。
    亡くなっても…無くなったんじゃないと信じるしかないし…そうでないと…人生に意味は見出せない気がします…。

  2. 惨状を目の当たりにして、何も出来ず地元に帰った自衛隊員の方のお話を耳にした事があるけど、確かに、被災者の方と立場は違えど、大変な思いをされたでしょう。昨日は出勤直前に岩手の方で大きな揺れと共に津波警報が出て、胸が苦しくなりました。宮城辺りでも少し大きな地震があったし。いつおさまるんでしょう。

  3. 救助を使命とされる仕事の方々の苦しさは、計り知れないと思います。
    想定外、未曾有の言葉が出てくる今回の震災は人の力や思いをも、もぎ取ってしまいました。
    遥か昔から人は自然のやさしさに守られ、自然の厳しさと戦い生きてきました。
    人は自然には勝てないとつくづく感じます。
    心に重い負担を抱えていらっしゃる方々の戦いは、まだ終わることは難しいかもしれませんね。
    どうぞお時間をかけて癒されますように。傷ついたお心を責めるともっと辛くなります。
    桑山先生も辛いお話を受け止められる日々大変なお仕事だと思います。辛かったことを安心して話せ、聞いていただいたことで今の私があります。
    今苦しさを抱えていらっしゃる皆さん、どうぞ一人で耐えないでください。信頼できる人にお話ししてくださいね。
    強い余震が忘れようとしている感覚を戻します。
    一日も早く安心できる日が戻りますように。

  4. 苦しい気持ちを持ってしまった人のそばにいる人に伝わりますように。
    理屈はいいから、納得しなくてもいいから、その人に触れてあげて下さい。
    その人が言葉にしたら、隣にいてあげて下さい。

  5.  こころに傷を持った人たちの話しを聞くのは辛いことだと思います。それが治療に繋がるのだとわかっていても毎日、人の死に際してして、自分がなぜ生き残ったのか、その責め苦に苛まれる人々の物語は、聞く方にとっても、辛く、悲しく、やりきれない、耐えがたいものだと思います。
     お医者さんも病気になると聞きます。苦悩は伝染すると聞きます。
     医者は他人の病気を治すのが本分ですが、治療の過程で自分も病に冒されます。特に、こころの病の治療では往々にして治療中の医者に伝染することがあるそうです。
     どうか、どうか、こころも、体も、大事になさってくださることを、切に願っています。
     
         和歌山  中尾
      

  6. 自ら死を覚悟するほどの状況下で他人を助けられない自分を責めるのは辛いことですね。
    いつか物語に紡ぐことができるようになるのでしょうか。
    長い間、寄り添ってくれる方がいることを願っています。
    桑山さんも激務から解放される時間を作って、休息をとってくださいね。
    梅雨入りしてお天気も不安定です。どうぞ倒れませように。

  7. この不条理さをどう理解すればいいのでしょう?
    誰も悪くないのに、みんなが辛い思いをしている現実を。
    人間の死への恐怖の歴史は古く、数千年間に渡って、様々な形で抗ってきた痕跡が残っています。
    だから、死への恐怖は誰にも批判できるものではないはずです。
    しかし、自分の死と他人の死を同時に経験してしまった悲劇は、生き残った人にとって、
    逆に、重荷になってしまっているのも事実。
    これを不条理といわずして、なにを不条理といえばいいのでしょうか?
    このような方の話を聞くたびに、ならば、この世の条理はなんのために存在するのか?疑いたく
    なる気持ちにかられます。
    ホントに、悔しい。
    この世の条理に対して。

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