大好きな名取市長

  今日は昼に名取市長、佐々木一十郎(いそお)さんに会いに行きました。

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 今回の震災で得られたものはいくつかありますが、その一つが佐々木市長との交流だったと思います。24時間開け続けていたあの2ヶ月間、よく夜の市役所に伺いお鍋をごちそうになったり、いろんなお話しをさせて頂きました。とにかく二人で、

「ここは踏ん張ろう。」

を合い言葉に出来ることをし続けてきたと思います。僕は佐々木市長の頑張りに触発されて、この市長に負けないように出来るだけのことを精一杯やろうと思い、その24時間診療、巡回診療、救急受け入れ、保健センターとの連携、そして心のケア事業へと入っていきました。

「この街は我が町。我が町のために出来ることをやるのだ。」

という思いで、すべての精力を名取だけに集中し、本当は陸前高田などにも関わるべきでしたが、あえて名取一本に絞っていった経緯があります。もちろん自分が働く街ですからそこが「基盤」なのですが、市長というとても高い位置にいらっしゃる方との親密な気持ちのやりとりがいつも僕の支えでした。

 そんな市長が先日18日の名取市合同慰霊祭の席で配布された式次第に、以下のような文章が書かれていました。


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 まさに品格と精神性を感じるものです。市長の言葉に明ちゃんもリンリンも涙して帰ってきました。公職にありながら尊い精神を失わず道をまっすぐに進まれる佐々木市長の元だから、ここまで急ピッチに名取市は復興していると思います。奇跡といってもいいと思います。行政における首長の志向で大きく市のあり方は変わると思いますが、先日の海老名市の内野市長と、名取市の佐々木市長は数少ない尊敬する政治家です。代わりに中央政治に巣くう政治家の愚かさがますます露呈して、まるでタレントのような気分の中央政治家にこの両市長の爪の垢でも煎じて飲んで頂きたい、と思いました。

 すると海老名市の内野市長から事務局に電話が、

「やはり、名取市長に直接会って、今後の支援を検討したい。」

さすが内野市長。動きが速い。で早速佐々木市長に会いに行ってその話をすると、

「それはありがたい。ぜひお会いしたいなあ。」

とのこと。でも日程が合わず内野市長が宮城県にいらっしゃる日、佐々木市長は東京出張です。残念。でも絶対のこの両市長にはお会い頂きたいと思っています。佐々木市長とは「津波祈念資料館」の構想について話、快諾を得、現在宮城県からも打診が来ていることを話して、今後県、市、そしてNPO法人「地球のステージ」と企業体がタイアップを組んで今までにない記憶のための資料館の建設を進めていきたいと思っています。

 さて、夜は千葉県柏市にある麗澤大学のステージでした。


麗澤大学にて

 

 呼んでくださったのは学生団体ですが、そのバックアップをするのは内野兄貴分、元JICAパレスチナ所長だった成瀬猛(たけし)教授です。いつも成瀬さんとはいろんなつながりの中で活動をさせて頂いていますが、活発な麗澤大学の学生さんと共に「災害特別篇」を上演しました。成瀬さんは津波後早いうちにステージ事務局にやってきて第1回目のサッカー大会のメンバーでした。「ひげじい」チームを率いて、なんと優勝したのが成瀬さんのひげじいチームだったのです。「見て見ぬふりしない」成瀬さんの行動でした。

 

 そして7月2日(土)、ついに第2回目のサッカー大会が開かれます。

 我が友人、サッカーの元日本代表北澤豪さんとサッカーアニメ「稲妻イレブン」のチームがクリニックのすぐ横下増田小学校のグランドに来てくれます。夢が実現していくなあ。そして、赤い消防車を磨いてくれた山形南校等学校のサッカー部のみんなもアシストとして入ってくれます。少しずつ少しずつ、進んできました。

 

 これからも佐々木市長との一体感の元、いろんな活動を名取を中心に広げていければと思っています。

桑山紀彦

大好きな名取市長」への11件のフィードバック

  1. 式次第の挨拶、後で(明日)パソコンで読ませて頂きます。名取市長と海老名市長の仲を取り持つなんて、桑山さん、仲人としても一流なんですね\(^O^)人(^O^)/ お忙しいお二人なので、日を合わすのが大変でしょうが、一日でも早く実現する様、祈っています!

  2. 今回の原発の事故でエネルギー政策の大転換を迫られていますよね。次世代エネルギーは何でしょうか?
    新しいダイエット方法見つけました。怪我のリスク減るかもしれません・・・。
    先日友人の結婚式の余興でAKB48さんをやりました。このダンスの練習で体重2キロ減りました。http://www.youtube.com/watch?v=r5McGB552Dc

  3. 陸前高田を慰問した今村組の若いダンサーが若者同士の交流を通じて、普通が当たり前でなくなった現状を知って、目覚めさせられる場面を見ていました。慰問した方が力をもらったうれしい放送でした。
    そのあと、原発、政局といやな場面を見せつけられてうんざり!
    夜はうれしいブログの知らせ。
    人のつながりの強さ、次々と生まれる希望、今日はすっきりした気持ちで寝られそうです。

  4. 先ずは自分の住んでいる区市町村のことを知り、住みよい街にしていくことが大事なのですね。
    桑山さんが名取市に腰を据えて踏ん張っているからこそ、津波祈念資料館にも明るい兆しが。
    東北地方も梅雨入りしました。毎日激務が続いていますから、どうぞご自愛くださいね。

  5. ちょっと時間が空いてしまったので…
    サッカー大会、子供達楽しみでしょうね!桑山さんはその場にはいらっしゃらないかなと思いますが、信頼をおけるスタッフがいて、安心してステージが出来ますね。私の故郷の皆さんに、世界の事、そして東北で今、起こっている事を伝えて下さい。サッカー大会、月一ペースでなんて大変ですかね?
    今朝はいつもと違う立ち位置の辺りのイスが空き座りました。なんと隣りに長男の同級生のお母さんがいて眠る予定でしたが 新宿まで喋り通し… 更に離れた所にニトリの短期ねバイトで一緒だった大学生が…(通信で勉強中で昼間働いてます。)同じ車両でも、位置が変わると随分と風景が違いますね。いろんな事をする時も、少し目線をかえるとGood ideaが浮かぶかも!と思いました。
    節電に伴うクールビズを今、観察中です!

  6. 両市長さんの思い嬉しいですね。
    サッカー大会も いろんな人の 力が結集して 行われるんですね。
    桑山さんやスタッフのみなさんの地道な活動の賜物ですよね。
    東北も梅雨入り。お身体に気をつけてくださいね。

  7. 「必ず取り戻す。」
    市長の言葉として最高だと思う。
    それを桑山さんを支援することでアシストできる私がいる。
    感動だ!

  8.    月のウサギ
     人はここまで、できるのだろうかと思う。そうまでしなくても自分のできる範囲で精いっぱい全力で行えばいいのではないかと思っている。そうではない話が「月のウサギ」という寓話である。仏教の「本生経」の中にある説話であり、「今昔物語」にも載っている話しである。
     サルとキツネとウサギがとても仲良くしていました。三匹はとても仲が良く、かつ信心深かった。帝釈天がそれを見て、彼らの信心が本物かどうか確かめようとした。そして行き倒れになった老人を装って三匹が来るのを待った。やがて三匹がやってきて、「どうしたのですか」とたずねる。老人は「お腹が空いて死にそうだから、何か食べさせてくれ」と言う。
     サルは木に登って、木の実をたくさん取ってきました。キツネは川に入って、魚をたくさん取ってたべさせました。ウサギは何もできません。それでみんなに怒られました。「あんたは口だけで、何もできないじゃないか」と。そうしたらウサギは「おサルさん、薪をたくさん取ってきてください。そしてキツネさん、そこに火をつけてください」とお願いしました。そして自分がそこに飛び込んで、自身の体をその老人に供したのです。帝釈天はもとの姿に戻り、その心根を大変に憐れんで、慈(いつく)しみの心をもって、ウサギを月に連れていって供養しました。
     究極の自己犠牲です。
     自己犠牲の行いとはこのようなものなのでしょうか。
     それぞれが、それぞれの立場で、自分にできる範囲で、精いっぱい、根気強く、こころを尽くすことだと僕には思えるのですが。     参考文献(五木寛之・立松和平「親鸞と道元)より引用
       和歌山  中尾

  9.  名取市の佐々木市長と海老名市の内野市長のお二人が直接会ってお話をされる光景を想像すると、熱いものがこみ上げてきます。本当に真の政治家ですね。
    海老名市のすべての小中学校で「地球のステージ」を開催することにされた内野市長の話を読んだとき、熱い心と強い信念をもった市長さんだと感動しました。
     サッカー大会、飛んで行って一緒にボールを追いかけ、下増田小学校のグランドを走りまわりたいです。
    でもそれは難しいので、雨が降りませんように、そしてみんな怪我なく大いに盛り上がることを広島の地から祈っています。

  10. 下益田に住むものです。
    クリニックには家族でお世話になっています。
    youtubeにて
    http://www.youtube.com/watch?v=cAT8z5A-nN4
    ゆりあげが地震直後から津波に襲われる前の写真が
    使われたスライドを作成されているのを見つけました。
    地震直後の様子は貴重だと思いますので、アポをとられて
    津波祈念館の資料としてはいかがでしょうか?

  11. 絶対に忘れません。
    悲しいけれど。
    亡くなった人のことも、かつての街も。
    ずっと、ずっと私の心の中に。

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