昨日は久しぶりに名取市長さんの所へ行きました。
災害復興の陣頭指揮をとり、どこよりも早い復興を達成しながらここまで踏ん張ってきた市長さんは、とっても気さくな方です。昨日は血圧を測りにいきました。少々高めで疲れているのかな、と思いましたが十分健康体でいらっしゃいます。そんな市長さんがおっしゃいました。
「名取はね、海側と山側の被害が全く違うもんだから大変だ。山側の皆さんの中には海側の被害がよくわかっていらっしゃらない人がいる。せっかく町が一丸になって復興しようとしているのだから、ぜひ市民が一体になってくれるといいんだが・・・。」
とても哀しそうでした。
そういえば昨日の外来で新患受診予定だったご夫婦。結局は直前にキャンセルになってしまったのですが、受診を求めてきたのは娘さんだったのです。
「うちの両親、津波前はとっても仲良くて、被災して家を失ってからも二人で避難所で助け合って暮らしてきたんです。でも、最近ひどい夫婦げんかばかりで。お互いがののしり合う。なんで?って私たち子どもも哀しくなるくらいいがみ合っているんです。二人ともまるで性格が変わってしまったみたい。」
まさに「裏目に出る時期」がきたのだと思います。
何をやっても裏目に出て達成感がなく、やるせなさばかり。いつもどこかでイライラしていて、他人に対して批判的になる時期。それが3ヶ月目の「裏目の時期」です。これまでの2ヶ月間は遮二無二がんばってきました。みんなで力を合わせて、みんなで心合わせてがんばってきました。でも2ヶ月が過ぎるとたいていのことが落ち着いていきます。そして心の中にゆっくりと「穴」が開き始めるのです。それはどこか満たされない「穴」。震災直後、みんなで助けっていた頃が懐かしく感じられ、その一方で被害を乗り越えた人と、そうでない人の差が顕著に出ています。
自分の心の中でも、良くなった部分とまだ引きずっている部分がまだらになっています。だからなぜかわさわさと落ち着かない時期。どこかで批判する対象を求めていて、ちょっとしたニュースキャスターのコメントにも怒りを感じたり、震災以降テレビなどによく登場している「震災ヒーロー」に対しても腹立たしさを感じる時期。
先月まではみんなで「がんばろう名取」「がんばろう東北」だったのに、ある人は東北にいてもほとんどのことがすっかり元通りなので、どこか「がんばろう」が他人事に聞こえたりする。一方で直接被害を受けた人たちは自分たちが忘れられていっているのではないか、という不安や不満が高まり、ちょっとしたことにも不満が出始める時期。マスコミもほとんどリアルタイムな報道をせず、ある意味日常の報道に戻っているからなおのことそう思えてしまうように思います。仮に真面目な震災や津波に関するドキュメントを作っても、今ひとつ社会全体に伝わってないような感じがしている頃。
ついに被災後3ヶ月目に入って人々のうっ積した怒りや不満、やるせなさや差別意識のようなものに火がつき始めているように思います。またしても暗い話で申し訳ないのですが、これはやはり現場に暮らしながら、日々の変化を身に受けつつ暮らしているとはっきり感じるものです。おそらく阪神淡路大震災のときも、この3ヶ月目の「何をやっても裏目に出る時期」を地元の人は感じていたはず。やはりすべてがドラマのように進んでいくわけではないようですね。哀しいかな人間の性(さが)のようなものなのかもしれません。
だからこそ、この時期だからこそもう一回日本人が、宮城県人が、名取市民が、気持ちを一つにしてもう一回この大災害の見直しを行い、改めて津波の映像を見ることによって被害の甚大さを再認識し、取り残されかけている人々にもう一回気持ちを向けるときではないでしょうか。忘れ去られていくにはまだ早すぎます。もちろん人間は忘れていく生き物ですが、これはまだ早すぎるように思います。だから、この時期こそ大切に、そして踏ん張りどころだと考えて一から災害の大きさや、時間経過、被害の全容、そしてその詳細を再認識したいと思うのです。だからまだまだ「復興」という言葉を先走りさせるのではなく、今はこの2ヶ月間の「再評価」の時期ではないかと。そして、
「あの時のあの人はどうしているだろうか」
といった振り返りを一つ一つ小まめにするとともに、まだまだ被災地では苦悩が続いていることを改めて日本中の皆さんが知り、「まだまだ大変だ」という意識が持続するといいですね。3ヶ月目以降は心の問題が噴出し、心のケアがもっとも必要になっていく時期だといわれています。それはこういったことが理由なのではないでしょうか。
同じ市民同士で変な批判や陰口が出てきたり、仲良かった夫婦がけんかばかりするようになったり、子どもがイライラするようになったり・・・。何となく被災地全体を「批判的」という黒い雲が覆い始めている感じがしているのは、僕だけではないように思います。
だから今こそ、心を一つにして乗り切るべき時期にきているのだと思います。
そんな中、今日は山形南校等学校の合気道部と新聞部がきてくれました。みんなの友達、和子ばあちゃんの家の周りと畑の瓦礫撤去、赤い消防車の清掃とサビ取り最終仕上げの仕事をしてくれました。それに先だって仙台空港周辺と閖上を時間をかけて案内しました。その最中に一人の高校3年生が言いました。
「今日、ここに来られて良かったです。テレビだけ見ていると“大変なことになった”ということはわかりました。でも実際に被災地来て、この瓦礫の中に人々が生活で使っていた一つ一つの“品物”を見たことで、それが人間の苦しみだったのだと言うことがわかりました。隣の県にいるのに、何もできない苦しさがいつもありました。でもここに来ることでようやく自分の中で苦しみや哀しみを共有しようという心を持とうと思えました。」
高校生20人を案内できて、本当に良かったと思います。
桑山紀彦
時間が経てば解決して行く。って言う話ではなく、ホントに何度も大きな山があるんですね。乗り越えて名取も再生したいですね。
現地で直接被災し、また被災者の人たちと接っせられて日々変化していく状況を見ていくことは、遠くで間接的に被災地を見ている僕たちには想像もできない重い日常があるのだと思います。「頑張ってください」という僕たちの言葉は、桑山先生が抱える現実には桑山先生の苦しみを理解した言葉とはなっていないのかもしれません。それほどまで今回の震災は大きな犠牲を払っています。でもいえることは、どうかその現実をこのブログに書いてください。僕たちも被災した人たちの痛みをこのブログで知ることができますし、マスコミ報道では決してしることのできない被災者の苦しみを実感をもって知ることができます。桑山先生の書き込みを通して日々の苦しみや悲しみが伝わってきます。そのことで僕たちも被災した人たちと共有できるのです。また僕たちの日常にも反映できます。
東北はいい意味でも悪い意味でも、日々変化の中にいまあるのだと思います。日々の過程を通してしか復興がないのだと思います。通らなければならない「道」なのだと思います。ゆっくりですが必ず通らなければならない道なのだと思います。それを毎日見続けている桑山先生は辛いと思いますが、このブログを書くことで少しは癒される面もあるのではないでしょうか。偉そうなことを言って申し訳ありませんがそんな気がしています。
僕たちはこのブログをしっかり見ていますので、どうか被災地の人々の力になって上げて下さい。
和歌山 中尾
今日茨城のステージに参加して、改めて伝える大切さを再認識しました。
確かに、テレビでは【心の変化・葛藤】は見えません。3か月足らず早くもとは心配です。
最近の報道は原発・放射能ばかりで、遠隔地では自分たちに降りかかるであろう心配で被災地の苦悩への関心は低くなっています。人のうわさもなんとやら~やっぱり人ごとなのかも・・・
フランスに委託する放射能汚染水の処理費用が20兆円かかるとか、東電の売却資産の写真とか、国会の批判合戦とか、ドラマ仕立ての個人ドキュメントなど、マスコミもニュースバリュー重視の感じで少々無責任。阪神の復興に10数年かかった教訓を先頭切って報道してほしいよ!!
そして、地球のステージの伝える力と拡がりを信じています。
確実に時間の経過はありますが、心は時間が過ぎれば回復するとは限りません。
失くしたものが大きさ、震災前の心身の状態の個人差で、皆が元気になりたくてもなれないと感じています。
私はとても小さいことに感謝できる感覚を感じられると、自分の回復を感じます。今笑顔になれたと思えるまで、1年以上かかりました。
神戸の皆さんが新聞によく寄せていただく言葉に「焦らないで。必ず回復します。」と。
同じ痛みをわかって下さる方々がいます。
今苦しい皆さん、一人で考えこまないで苦しいときは少し勇気は必要ですが、助けてと声を出して欲しいと思います。
やっぱり 桑山さんはすごい!
生の声を聴く大切さを教えてくれる。
私の中で正しく判断する目が(私なりに)育つような気がする。
人が 誰のせいでもない出来事で苛立ったり、喧嘩したり、ホールにはまるのは辛い。
こちらの復興支援活動を手伝って昨日イラッとした。
ボランティア70人ほどいる。彼らは 素晴らしい人ばかりだ。
しかし トップの一言で本性みたり。がっくり。イベントは 今日。足が重い。
がっぽり お金入れてもらわな。と言われた。とても悲しくなった
違うんだな~ 違うんだなあ~ 真心込めたイベントだったら 東北の人たちを思うイベントだったら・・・来てくれはる人はわかるはず。
でも 手伝うって決めたのだから真心を東北の皆さんに!で 今日は乗り切る。
桑山さん みんなのこと 思っているよ。
私の住むこの小さな地区も7割強津波で流されてしまい、桑山先生が講演してくださった中学校、小学校と幼稚園が山の上なので無事で、中学校の体育館が避難所となりました。
今は校庭の仮設住宅でやっと暮らせる方と、まだ体育館の暮らしの方がいます。
私はあの日、幼稚園におり、小学生の子供の無事を確認し、中学の息子を確認しようと行くと担任の先生から“家に帰ってませんか!?”と言われ、青ざめました。慌てて、小学生に戻り、“長男を探しに行きますから…”と子供を先生に頼み車を走らせ、来てダメと合図する人を振り切り、水面が橋ともうギリギリ、右手に青黒い壁がちかづく橋をアクセル全開渡りました。
家に祖父母と幼稚園児の末っこと長男が無事で、ほっとしたのも束の間、津波が近所の庭先まで来ており、慌てて家よりも小高いコンビニへ避難しました。
その後に橋が流され、町が流されたようだと聞こえてきました。
まだ水も電気も使えない場所もあります。日本中の、世界各地の方々からたくさんの支援を頂いて、なんとか踏ん張ってます。
残念ながら、やはり3ヵ月目のイライラも出てきています。家が無事だった少数への風当たり…。
悲しいけれど、人間ってこんな風になってしまうのかと、津波が本当に憎いと思います。
今までコメントする気持ちになれなかったのですが、自分もイライラして何でも批判的になっている事に気づき、桑山先生の“3ヵ月目の…”で、ブレないように言葉に出してみました。
名取市内に住んでおります
どうすれば良いのか…震災後いつも考えていました
そして先生のこのブログに辿り着きました
職場には私のように津波の被害を全く受けず生活出来ているものや家を流されて避難所から通勤している方など様々です
最近聞こえてくるのはやはり不満…怒り…
聴いていることしか出来ません
そしてその度被災者の気持ちを解ることなど到底出来ないと思い知らされます
いつも『そんな風に感じていたんだ』と思ってしまうからです
落ち込みます
こんな風に普通に暮らせてほんとに申し訳ないな…とTシャツ一枚お茶一本買うのに躊躇して買えない市民もいますので
わかってとは言えないけど今じゃなくていいのでいつか知って欲しいかな?いやいいかな?
先生の病院の前を通る度元気をもらいます
名取市に来てくれて居てくれてありがとうと心の中で手を合わせます
先生いろいろありがとう
お体ご自愛くださいね
深刻な現状を知ることができました。
被災者の方々が落ち着いていく時期は、それぞれ違いますね。
この2ヶ月を振り返って、もう一度みんなで気持ちを一つに出来たらなぁと思いました。
この深刻な状況に、みんなで気づくことも大切ですね。桑山さん、冷静にていねいにブログで知らせてくださってありがとうございます。
新緑から梅雨の季節に入りますが、皆さま、お身体を大切にしてほしいです。
復旧が進むにつれてそれぞれの違いが浮き彫りになってしまうんでしょうね。
私も改めて被害の大きさを皆で再認識することは大事なことだと思います。
宮城県ユニセフ協会のIさんからお知らせいただきました。
宮城県ユニセフ協会では東日本大震災の写真パネル30枚を作成し、
貸し出しも行っています。詳しくは下記HPをご覧ください。
http://www.unicef-miyagi.gr.jp/
是非、全国で活用いただければと思います。
被災地に暮らす人々を忘れずに心を寄せて支援を続けていくことが、
一日も早い復興につながると信じています。
父親と、弟家族が山側で暮らしています。
私が東京から帰省したら、
お嫁さんが「したのほうに迷惑かけないように下水気にしてんだ」と言って、お風呂を2日1回、トイレは便のときだけ流すことをしていました。
また、弟はみやぎ生協職員です。私が帰省したときに閖上店のことを落ち着いて話してくれたけど、弟の気持ちを感じ取ってしまって、店長さんがどんなに苦しんでいるだろうかと・・心臓がバクバクします。