九州から来てくださっていた田中先生が帰られることになりました。
これまでの3週間、最も長く我がクリニックを応援してくださった田中先生が帰ることは、最初からわかっていたのですが、やっぱり現実のものとなると心の底から寂しく感じます。
熊本大学医学部の外科医だった時代、うちの副院長奈実香先生の指導医でした。その後熊本の人吉に近い僻地の診療所や喜界島の診療所を勤め、ひたすら「見て見ぬふりしない医療」を行ってきた田中先生は、この5月から先輩の薦めで福岡県の飯塚にある病院の救急部部長になる予定でしたが、その直前の3週間、びっちりとクリニックを支援してくださいました。
おかげさまで奈実香先生も、桑山も大いに余裕を持って医療に取り組むことができました。
隣の下増田小学校の避難所にいる春代ばあちゃんは、津波にのまれそうになっても九死に一生を得た人ですが、以来水が怖くてお味噌汁も飲めない状況です。その春代ばあちゃんともことのほか仲良くなった田中先生ですが、うちのスタッフが田中先生が土曜日で帰ることを伝えたらトイレで泣いていました。みんなに愛されてきた田中先生。でも帰る日が来るんです。
前列、向かって右から明ちゃん、田中先生、奈実香副院長、NICCOのめいちゃん。
後列、向かって右から優子ちゃん、NICCOの看護師永田さん、桑山、宗貞さん(看護師)、高橋香(かおる)先生。
僕たちここに残るものは、そんな時一瞬落ち込みます。でも次に思う。
「また来てくださいね」
と。そして田中先生は確実にまたくることを約束してくれました。それは決して言葉だけではない、本気でまた来ることがわかる、そんな約束でした。だから僕たちはまたがんばります。また田中先生が来る日を待ち続けて。そして田中先生が約束を守ってまた来た時、
「僕たちの仲間だ」
と思うのでしょう。
僕はパレスチナで逆の立場です。いつも短期で行って帰ってきます。帰る時いつもルーリーに聞かれる。
「ケイは次いつ来るの?」
「うんと、次は7月だな」
「わかった」
そして約束通り7月に行くと、
「待ってたよ」
と言ってもらえる。そうやってパレスチナで8年活動してきました。
外から来た人はやがて帰ります。でも、また次に来ればいいのです。来れる時に・・・。それでも十分現地に住む人はその人を信頼するのだと思いました。
僕は田中先生を信頼しています。田中先生は必ずまたこのクリニックに戻ってきます。
それでいいのです。
今日はテレビの取材が相次ぎました。
日本テレビの「スッキリ」。これは来週の月曜日朝8時~9時の間で放送予定です。
テレビ朝日の29日(金)震災50日目特番。これはニュース枠でおそらく特番なのだと思います。
TBSの番組。これも震災特番なのかな・・・。放送日時がわかったらお教えしますね。
そして5月13日(金)のNHK「クローズアップ東北」これは東北6県のみの放送ですが、25分枠で桑山のみを追いかけてくれたものです。
テレビの取材はいつもプレッシャーがかかり、特に患者さんへの配慮が気になって自分らしくできないことが多いので苦しいです。でも全国で応援してくださっている皆さんへ直接的に僕たちの日々を伝える方法として、テレビは有効だと思っています。ぜひ目にしたら、感想を送って下さいね。
まだまだ余震がひどいですね。昨日は震度4でした。今し方も余震がありものが落ちました。まだまだ落ち着かない。でも、それでも僕たちは前を向いて、一段一段ずつ歩いて行くほかないのです。
桑山紀彦
田中先生、また、来て下さい。東北国際クリニックに。私の病院じゃないけど…
看護士の永井さんかな?違うかもしれませんが、子供の元担任の知り合いの様です。
私は、東京で日常の生活を送ってますが、気持ちは名取に寄り添ってます。
田中先生、お疲れさまでした。飯塚に来られたらぜひまたお会いしたいです。小倉から近いので楽しみです。国際クリニックでお会いしたときの田中スマイルは忘れられません。4月29日は被災地訪問のスライドショーとトーク、そしてコンサートをします。「津波祈念館」の支援のために…。
大切な絆ですね!
みなさんの明るい写真顔をみてほっとしてます。
TV待っています。
九州からのお医者さまが
ボランティアにいかれていただけでも
なんだかうれしくなっているのに
田中先生が飯塚にこられるんですね。
飯塚市は年末の県同教の会場だった直方から車で30分ほどの町なので、ここ北九州からはとっても身近です。できれば、田中先生に北九州公演に来ていただけるといいですね。
地球のステージの「繋ぐ力」はどこまで広がるのかとても楽しみになります。
田中先生おつかれ様でした。どうもありがとうございました。
春代ばあちゃんの涙から、心を暖かく包んでくださる方だと伝わってきます。これからも、いろんなかたちで国際さんを支え続けていただけたらと思います。
月曜日の「スッキリ」録画予約しなくちゃ!
22日(金)の同番組で、名取市日和山の桜が映っていました。閖上小中学校の生徒さんが4月11日に植えた桜の苗木と看板。そして自衛官の久米功記さんが閖上の方の心のよりどころになればと瓦礫の中から救いだした蕾のついた桜の木。久米さんは桑山さんと似た雰囲気をお持ちの方でしたよ~
次のコーナーで紹介された九州新幹線CMも感動でした。3月12日が開通日だったため数日しか放映されず幻のCMに。
沿線からたくさんの方が力いっぱい手を振ってくれます。九州から元気が届きます!!!JR九州のHPから見られるそうです。
反響が大きく、九州での再放映決定とか。田中先生が熊本へ戻られた頃にはテレビから流れているはずです(^o^)
田中先生が戻られるのは福岡県でした!
ごめんなさい。
桑山さんの3月11日以前の活動が、11日以後のためだったような気がしてならない。
クローズアップ東北の映像、見たいなぁ…
東京に住んでた時、よく「島根って東北ですよね」なんていわれたものですが、電波も勘違いしてこっちに飛んでくれないかなぁ…
田中先生、有難うございました。クリニックにとって大変心強い3週間だったと思います。
新しい病院でのご活躍をお祈りしております。
さよならは別れの言葉じゃなくてまた会うまでの遠い約束♪という歌詞を思い出しました。
こうして思いが深くなっていくんだなとしみじみ思っています。
4月23日午前9時56分、ローソンのロッピーの前に僕は並んだ。しかし幸いなことにそこにいたのは僕ひとりである。僕は腕時計を見ながら10時になるのを待った。
今日は5月28日と5月29日、横浜アリーナで行われる福山雅治コンサート、チケット販売日なのである。
腕時計の針が10時を指すと同時に僕は画面のタッチパネルを押した。各項目にOKを出しながら予定の福山雅治横浜アリーナ公演の画面まですすむ。日付入力画面に来て、28日のタッチパネルを押すが、どうにも前に進まない。混雑のためもう少したってから操作してくださいと出てくる。ちくしょう。頭にくる。しかたなく翌29日にタッチしてしてみた。しかしこちらもまた繋がらない。なんてこった。頭に血が上ってきた。ヒア汗が流れているのも分かる。おそらく横浜だけでなく東京はじめ関東一円からアクセスしているのだろうと思う。必死になって家族四人分のチケットを確保するのが僕の今日の命題だ。しばらくしてやっと5月29日のチケット購入に繋がった。あーあ、やれやれ。ところがである。一人が購入できる枚数は2枚までとなっている。なんてこったあ。福山くんはやはり凄い。しかたなく、ステージサイド席をとにかく2枚確保。後の2枚はそれならと、前日28日にしてそれなら家族分はなんと確保できる。さっそく、メインメニューに戻り、も一度、福山雅治横浜アリーナ5月28日公演獲得するため、ロッピーと格闘した。またまたである、肝心のところへやって来ると、またアクセスが集中して繋がらない。やっぱりなー、福山人気はすごいなー。そのときには、僕の額には汗がにじみ、タッチパネルを押し続けていたため、指先はすでに赤みを帯びていてさらにすこし痛い。どれだけロッピーと格闘してるのといいたくなる。
数分の格闘ののち、やっと5月28日、福山横浜アリーナコンサートにたどり着く。このときすでに遅かった。座席指定はすべてSOLDOUT。残っているのは立ち見のみとなっていた。
福山君、君はやっぱりすごいよ。脱帽。
しかたなく、立ち見2枚を購入する。
さて、あと我が家では、座席指定か、立ち見かをめぐり、壮絶な戦いが始まることとは明らかである。博愛精神のボランティア活動をする人なんかいるはずもないだろう。
この戦いに、たぶん、僕は、敗れるだろう。
和歌山 なかおより
昨年12月12日、海老名市で地球のステージを拝見しました。
桑山先生のような方がおられる事に感動し、それ以来自分にも何かできる事はないか考えるようになりました。
震災後、ずっとブログを読ませていただいています。
“普通の生活”を続けている私が、本当に何とコメントしてよいかわからないのです。
お身体を大切に。
それ以外は言葉になりません・・・