今朝、羽田空港から仙台空港に戻りました。
向かって右側の窓の席にしたのは、ひょっとしたら閖上が見えるから。そして下増田も見えてくる。そう思って左側の窓にしました。
花曇りの仙台空港は少しもやがかかっていましたが、閖上が見えてきました。
これまでずっと見慣れてきた閖上漁港や仙台空港の周りの風景は激変していました。まさに空爆のあと。街は平たくなりぽつりぽつりと残った建物が痛々しく、寂しそうでした。とたんに涙がこぼれてきました。どれだけの命があの瞬間この大地で失われたのでしょうか。ずっと行方不明だった朝日パーキングのオーナー菊地清さんの遺体も昨日発見されました。いつも仙台空港に降り立てば、出口のところで寒そうに僕たちの帰りを待ち、預けていたクルマを返してくれる。
「先生たちがよ、全国で歌ってがんばってんだから、俺たちも支えないとな~」
そういって「駐車場」として支えてくれた菊地さんは1キロも流された館腰橋の近くで発見されました。いったんは仙台空港に避難した菊地さん。周りの人みんなをクルマに乗せて空港に運んだのに直後「重要な書類があるから」と言って戻ってしまった。戻った人はみんな帰らない。それが津波の恐ろしさです。
もう、空港で出迎えてくれる人も、診療が終わってギリギリ駆けつけてクルマを乗り捨ててもそれを拾って駐車場に置いててくれる人もいない。ステージの大事な支援者がまた一人亡くなってしまいました。
仙台空港の駐車場はいつ復活するのでしょう。
今日は1日外来でした。1分の隙もないくらいに患者さんがやってくる外来の1日です。今日、開院以来の外来者数、95人を数えました。心療内科と内科で半々くらい。副院長の奈実香先生は今日から陸前高田の移動診療に参加しています。代わりにクリニックを守ってくれているのは、鹿児島から来て3週間も手伝ってくれている田中先生と、ロンドン留学中なのに戻ってきてくれた、山形県東根出身、自治医大卒業の高橋香先生の二人です。
最近はインフルエンザの流行も一段落して、落ち着いた内科だけど、24時間開け続けている「国際さん」には本当にたくさんの患者さんが来てくれるようになりました。ゴールデンウイークあけまで24時間体制を引くと決めた以上、がんばらなければなりません。
明日はいよいよ閖上小学校と、閖上中学校の先生たちの勉強会です。
子どもたちとこれからどう向かい合うのか、先生たちと一緒に勉強して「備え」を設けたいと思っています。そして来るべき「心理社会的ケア」の第一歩として、明日の勉強会は大切なものになるでしょう。週末には両小中学校の親御さん対象のセミナーも開催予定です。いよいよ、甚大な被害を受けた閖上の子どもたちの心のケアの仕事が始まります。
桑山紀彦
勉強会、頑張ってください。桑山さんに会って「頑張ります」という肉声を聞いたので、桑山さんには「頑張って」と言えると安心しました。わたしも頑張ります。キーワードは…「使命」。
菊池さんのご遺体が見つかって良かったです。
新聞でみる行方不明者の人数は、まだ、死亡者の人数より多い…
ご冥福をお祈りします。
24時間開けている国際クリニックを支えてくださっっている奈実香先生、田中先生、高橋先生、桑山君はじめスタッフの皆さん本当にありがとうございます。どうか少しでも寝る時間や横になる時間を作って体を休めてくださいね。「地球のステージ」の明子さん、優子さん、スタッフの皆さん本当にありがとうございます。全国にはこれからも今まで以上に地球のステージを待っている人が全国、いや世界中にたくさんいますよ。だから、今は無理をせずゆっくりとスタートして下さい。世界でただ一つ、唯一無二の尊い活動・・・あなた方の代わりはどこにもいませんから!
空からみる閖上の地は、まさに空襲のあと、砂漠の大地のようにも見えました。この土地が何年か後にまた緑の大地に戻ることを切に願っています。
昨夜、「まだ更新されないなぁ。」と思いながら、眠りにつき、深夜、何かの節に(トイレに行きたくなったんじゃ)目が覚め更新されているのを確認したんですが… 今、京王線の中です。仙台空港の、ポツンと…東北沿岸部、そういう光景を目にします。戦後の日本じゃないよね?2011年の日本だよね。って、いつも自分に問い掛けます。
子供をなくした保護者の方、保護者をなくした児童。大事な人をなくした、人だけじゃないよね。家も思いでも、宝物…
そこに、地球のステージが存在して良かった。
桑山さんはじめ、皆さんの心のケア‐が必要な時には私がいますから。 な~んちゃって。(いらんわといわれそうですが。)府中に着きました。
子どもさん達の心のケアの大切な勉強会になりますね。ひとりひとりの子どもさん達をおとな達が、長くずっと見守ってあげたいです。
閖上空撮見ました。何もなくなっていました。胸締めつけられます。土日に用事があって宮古市に行きました。土曜の昼前の大きな余震で走っていた高速道が通行止めになりました。予定が大幅に遅くなり宮古市に着きました。どなたかの大切な船も車も仰向けになっていました。電車も線路から飛び出てた。あちらこちらの壊れてしまった家の壁に「解体OK」の赤い文字がありました…宮古市は桜がほころんであと少しで満開になりそうです。帰りの高速道は段差で前を走る車が跳ねます。数日前の「亮子さん」を想いながら祈りながら帰って来ました。
桑山さん、「国際さん」の先生方、スタッフの方々皆さまも、どうかお身体を大切になさってくださいね。
閖上の様子、日本とは思えない光景です…
ご遺体が見つかったとのこと、本当に良かったですね…
息子の高校(大垣市)で3年間 幸運にもステージ1~3を聴くことができた、池田町在住の母親です。
毎日 ブログで先生の想いを読ませていただき、私自身も想いを巡らせ、
自分にできることは何かを考えています。
池田町では 昨年から 文化の力で町を元気にしようと、ロビーコンサートをしています。
16(土)は11回目のロビーコンサートでした。
このような時期にコンサートをしても良いのかと議論を重ね、
こんなときだからこそ、文化の力で支援していこうと開催されました。
出演者の方も 素敵な選曲をしていただけ、
北上夜曲や 見上げてごらん… 上を向いて… ふるさとなど
皆で歌い、会場が一体となった素敵なひとときでした。
中には 被災された方もおられ、それぞれがそれぞれの思いをめぐらせ 涙しました。
「地球のステージを池田町で」私の夢です。
息子も 是非聴きたいと話しています。
桑山さんからのメッセージをみんなに伝えたい…
実現に向けて 色々な方法を考えてみます。
私が所属する団体でも 小中学生~大人で 何ができるかを考えています。
被災地の皆さんと共に 私たちも元気にしていたいです。
毎日のようなブログ更新、とても嬉しいです。
先生も皆さんも くれぐれもお体大切に…
陰ながら 応援しています。
ただ読むだけで ただ見るだけで涙がとまりません。
でも たくさんの人に支えられ国際さんが24時間開いている。名取の人の支えです。
子どもたちを 大人たちを支え続ける桑山さんたち。
よろしくね!
私たちは 桑山さんたちを 支えるからね!
危なっかしい縁の下ですが・・
まあ ないよりましですよ。
仙台空港が「復活」する少し前、仙台の友人が車で見に行ったそうです。私と最後に「またね」って手を振ったのがそこ。「ここに山形のお医者さんが引っ越して来たばかりでね~。世界中に行ってる人でね・・・」と話したんです。一面の田んぼを見ながら、「いい所だねぇ」と話したのが、随分昔のように思われます。
仙台空港周辺を直接見たその友人は、電話の向こうで「泣く力もない」といったありさまでした。
「潮かぶって、ガラスも何もごたまぜの田んぼを、もとのようにするのは・・・」と言って、絶句。
日本の戦中、戦後を生き抜いて、「仙台空襲の時は、歩いて多賀城まで逃げた」と話しながら、「このままでは、死なんからね。日本には、昔から結(ゆい)の力がある。結を結びなおすのが今なんだから。負けないからね、死なないからね」と・・・。
稲穂の波が揺れるまで、遠く北海道からですが、微力ですが・・・お手伝いしてゆきます。
約束です。
まさに空爆
飛行機からの動画を見ました。まさに空爆直後の映像のようです。
地球のステージの映像でみたり、ニュースなどで見ることができる紛争地域の風景そのものです。これが桑山先生の現実だと思うと辛くなります。
頑張って、と言ってもそれは空々しく響きます。ここに多くの人々の喜びがあり、笑い声があり、生活がありました。それが津波という一瞬のできごとにより失われたのです。
前を向いて、明日を見つめて、日本の力を信じて、といっても悲しみは消えるものではないでしょう。
平穏で、平和な日常に暮らす僕たちのしなければならないこと、考えなければならないことが多くあります。
そのことを忘れないよう日々暮らさなければなりません。
コメントを書くことも、その一つだと思っているのですが・・・・・・・。
和歌山 中尾
動画を見ました。本当に何にも無くなっちゃったんですね。
失ったものの大きさを改めて感じています。
菊地さんが見つかって良かったです。行方不明はつらいですから。
今や地域を守る砦となった「東北国際クリニック」
桑山さんやスタッフの皆さんも疲れ切っていることと思いますが、地域の期待は大きいようです。
続けることの重さを感じます。どうか倒れないように気を付けてくださいね。
一昨日、地球のステージ益田実行委員会をやりました。
12月の公演に向けてのプロジェクトです。
いろいろ課題がわいてきてますが、12月を楽しみにみんな燃えていますよ!
本日、「備え」のスタートラインに立たせていただいたものです。
私、手のひら大きい方なんですが、お話のあと握手させていただいた先生の手は、私の手をすべてくるんでしまうかのように大きく感じました。
私にしかできないこと、私だからできることを今日まで毎日考えていました。
光をさしていただいた気がします。
これからの長期戦、よろしくお願いします。
閖上中 一番背の高い教員より
17日の公演ありがとうございました。私も涙が止まらなかったのですが、隣でマイクが私以上に泣いていました。京都でインタ-アクト地区大会の公演もして頂けるとのこと、楽しみにしています。桑山先生、スタッフの皆様お体を大切に無理をなさいませんように。
閖上中、一番背の高いせんせいへ
我がクラスの生徒のことを思って涙される先生をみて、僕は思いました。
「僕たちはきっと今よりも強くなれる」
と。長い道のりかもしれませんが、一緒に歩いて行きましょう。21日に学校へ来れない子どもたちのことを胸に刻んで。
空撮の動画、見ました。
菊地さんの人生、歩さんの人生、何千人もの人生へ突然の終止符。
現実だと受け入れることは難しい。
そして、それが東日本の太平洋側に何百キロも続いてる…何万人の方の人生、その父、母、子、友、同僚、ご近所、、、どれほどの痛み どれほどの涙
真実が見えると…ごめんなさい。なんの力もない
『涙そうそう』2番の歌詞は、涙の意味が重なって聞こえます。
【質問】
コメントではないのですが、桑山ドクターにお尋ねがありまして、このスペースをお借りします。
カナダのトロントからですが当地の県人会から義援金をお送りしたいのですがカナダ人が送りやすい様にカナダに先生の口座がありますでしょうか?
どうぞお体に気をつけられ頑張って下さい。地球の裏側から応援しております。
岩村恭子
岩村さま
トロントから、ありがとうございます。
残念ながら、さすがに桑山カナダに銀行口座は持っていません。申し訳ないところです。
一応宮城県ではNo1の七十七銀行の口座に海外からもお送りいただいておりますし、場合によっては郵便貯金の口座でも海外からの送金、大丈夫だったりするので、お試しいただけませんでしょうか。
今日も明ちゃんが避難所用の大型冷蔵庫を購入しました。皆さんの義援金で、避難所の環境を改善させていただいております。
桑山紀彦