閉鎖していない、バイロピテ診療所

ダン先生は今日も外来で診察を続けています。

一部報道とは異なり、バイロピテはダンを慕って、給与未払いにもかかわらず働き続けている10人ほどのスタッフと共に外来のみ、診療を続けています。

朝から近くにある私設の看護&助産師学校の生徒さんがやってきて、熱心にダンの講義に耳を傾けています。いつもの風景。でも病棟は閉鎖され、出産するお母さんもおらず、朝のラウンド(回診)はこの看護学校の生徒さんたちへの講義に変わっています。

そして9時過ぎから始まった外来。

数は半減してはいますが、いつものようにダンは手際よく患者さんを診ていきます。処方もしていますが、お薬の在庫はある限りのみ。特殊なお薬は処方せんを渡して街の中の薬局で買うように指示しています。

あくまで「いつもの診察」を貫こうとするダンの姿勢がそこにありました。

「この国はまだまだ発展途上だ。お金がなくて病院に来られなかったり、お薬が買えなくて苦しむ人もまだまだ多い。自分の役割はそんな東ティモールに医師として貢献することだ。」

「この19年間で150万人の人を診察し、4000人の赤ちゃんを取り上げてきた。」

瀕死の状態になっているバイロピテ病院を背負ってなお、ダンは医師としての役割を果たそうとしています。

街の中では国会議事堂の前の通りで大学生たちが自主的にカンパを募っていました。

「バイロピテ病院が危機。お薬が底をつきかけている。是非あなたの力でバイロピテ病院に寄付を!お薬を購入するために!」

ダンの活動がこの国の多くの人たちに感謝と尊敬を持って受け入れられていることが感じられます。

しかし一方でダンが言いました。

「フロントラインはパレスチナとミャンマーで活動している。医療は、医師は必要ではないか?」

「ミャンマーのミャッセ・ミャー村には医療が必要だ。」

「おお、まずは言葉を覚えないといけないな、そこで働くには…。」

どこかで自分の居場所を探そうとしているダンがそこにいました。目は笑っているけれど、実は本気なのかも知れません。そしてつい、

「本国、アメリカでは孫が生まれた。ワシもじいちゃんだ。」

それが故に「故郷へ帰ろう」とは決して言わないダン。でもどこかでそんな人生も模索しているのかも知れません。

1999年の騒乱のまっただ中にこの国に入り活動を初めて19年。本当に150万人というこの国の人口の1.5倍の患者さんを診察してきたダン。国民の中で彼の名前を知らない人はおそらくいないでしょう。ダンが取り上げてきた4000人の赤ちゃん。その子どもたちは成長して最年長では19歳になろうとしています。これほどまでにこの国に貢献してきた医者はいません。一体どれほどの人の命を救ってきたのか…。

でも、我が盟友アイダが語りました。

「ダンはここで仕事を終えるべきだと思う。東ティモールは成長してきている。もう緊急医療のフェーズは過ぎ去り、外国人の医師が中心となって診察をする時代は終わっていると思う。精一杯の感謝と尊敬を込めて、ダンがバイロピテ診療所での活動を終了することが”道”なのだと思う。」

医学生時代からつながり、ダンにアメリカに送ってもらい勉強してきたアイダ。日本に2回も来ている彼女はいつもダンと一緒に歩んできました。150センチに満たない小柄なアイダと190センチの長身のダン。二人が並んでいる姿を後ろから見ていると、まさに「世界」が歩いている感じでした。

「いろんな思いはあるけれど、人の命のためにまっすぐに生きてきた二人。」

雲に隠れ最後まで姿を見せなかった富士山のふもとを雨の中歩く二人を見ていて、憧れました。

その最大の友であり理解者であるアイダが言うのです。

「東ティモールのこれからの発展のために、ダンは今の仕事を辞めるべきだ。」と

 

2011年3月11日、津波で被災したけれど沿岸で唯一残った我が「東北国際クリニック」。翌日から2ヶ月間24時間クリニックを開けて診療を始めましたが、全て「無料」の診療でした。

でも3週間が過ぎた頃、電気も戻り、水道も復帰して周りのクリニックが診療を始めた時に、私たちは無料の診療をやめ、避難所の巡回診療も回数を減らしてきました。なぜならそれ以上無料のクリニックでの診療や巡回診療を続けると、周りのクリニックの営業を妨害することになるからです。

津波直後の動乱を必死にやり抜いた自分たちはとても寂しかったものです。国際協力で培った「見て見ぬ振りはしない」という思いを日々実現して来られたからです。でもそれも終わりを告げ、いろんなことが「通常」に戻っていきました。例えようもない空虚な思いを抱えたことを今も思い出します。

これまでの自分の役割が変わること、終わることはこれからの人生においてもたくさんあるでしょう。私たちはいつもその時「変革」を迫られ、苦渋の中で「変わっていく」ものなのでしょう。それが例えば被災からの復興であったり、国の発展であるとしたら、それは断腸の思いであっても受け入れていかなければなりません。

いま、ダンはその選択の時が来ているのだと思います。

奇跡を信じてバイロピテ病院で医師として活動する自分を守り続けるのか、それとも東ティモールの発展を認めて、後身の東ティモール人医師たちにこのクリニックを譲るのか、大きな選択を迫られています。

私たち「地球のステージ」は…。

アイダと共にこの国の発展を信じていきたいと思っています。

桑山紀彦

閉鎖していない、バイロピテ診療所」への1件のフィードバック

  1. 混乱のティモールを支え続けてきたダン先生!ダン先生から学ぶこともまだまだあるのも真実なら、いつも、傍らでダン先生を見てきたアイーダの言葉も真実‼大きな岐路‼ですね。
    大学生が自主的にかんぱを募ってる事、ダン先生が診察を続けている事、看護学校の学生が講義を受けて受けている、今の姿を知れて嬉しいです。

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