共感と同感

 今朝、彼女、聡子さんを訪ねました。

 お母さんが笑顔で出てきて、
「今日はとっても落ち着いています」
 聡子さんとも会いました。疲れた様子ですが、居間にいらっしゃいました。
「まだ涙が出てきます」
「泣きましょうね」
「はい、泣くと楽になることはわかっていました。でも時々涙が涸れるんです」
「涸れた時に、僕を呼んでくださいね」
「はい」
 芯の強い、意志のはっきりした聡子さんです。
 ただ必要な時にそばにいてあげられればいい、と思います。もちろん陸前高田なので、名取からは2時間30分。しかし遠い距離ではありません。そうやって、そこに住むものができる限り寄り沿えばいいのだと思いました。
 しかし、その同じ朝、いつものように医療系の支援者が集まっての会議の席、首都圏から入っている精神科の看護師が昨日集まったケースの皆さんの名前を黒板に書き始めました。
「心のケアの相談にきた人の名前を黒板に書く?」
 それだけで不信感を持ちましたが、その看護師なりの職責意識なのかと思い飲み込みましたが皆「呼び捨て」です。
 聡子さんの名前もありましたが「○○聡子」としか書いてありません。頭に血が上りました。
その黒板に書いている看護師のところへ行き、
「被災地を代表してあなたにお願いしますが、“さん”か“殿”をつけてください」
「あ、はい」
 その看護師は不満そうに頷きながらもすべての名前に「さん」をつけました。
 この風景は何?
 首都圏から来た精神科医師や看護師たちが、前の日心の問題と言うことでやっとの思いで相談にきた人の名前を黒板に羅列する。そして「さあ、どうしましょう」と話し合う・・・。
 つまりこの名前を挙げられた人たちは、この医療者たちにとって「ケース」なのです。
 許せませんでした。
 僕はもう治療者ではなくなっているのです。客観性も失っている。感情的で主観的な存在。僕にきついことを言われた看護師はあとで仲間と言うでしょう。
「あの名取から来ている精神科医、嫌だよね~。自分が被災地を代表しているみたいに言ってさ。現場のことは現場にまかせろって言いたいんだよ。でもその現場だけではまわっていかないから、私たちが遠くから来てあげてんのにさ」
 そう、その通りなんです。ここに「共感」と「同感」の違いが生まれてしまうんです。
 僕たちは昔から患者さんたちに「共感」しようとしてきました。少しでも共に感じられるように、と。でも僕はもう共感ではないのです。「同感」。同じように感じるところへ突入している。だから一緒に泣いてしまうのです。
 精神医療はできても「共感止まり」と言われていると思います。同じ経験をしなければ同感は得られないから、通常の精神科医には無理です。
 でも、ガザの空爆でも、今回の被災でもそうだったけど僕は図らずも「そこに居続けている」。だから「同感」が押し寄せてくるのです。もちろん聡子さんのように夫を失ったりはしていない。しかし、被災地に暮らし、被災地で仕事をし続けていると、いろんな「共感」がいつの間にか「同感」に変わっていくのです。だから「そこに居続けていること」は強いのだと思う。そして同時に客観性を失うのです。
 どちらがいいのでしょう。僕は日々模索です。でも、今本気でこの被災した人たちと一緒にいたいと思う気持ちをみると、どうやら僕は「共感」ではなくさらなる「同感」を求めて日々を過ごしていく道を選んでいるように思います。
 被災地の真ん中に心療内科を営むと言うことは、そういうことなんだと思います。そして、どこかの臨床心理士が「子どもたちの心のケアをします」などと安易に言わないように、びくびくしています。
 その時僕はきっとそのひとに思う。
「お前に何がわかる!」
 と。しかしすべてのケースに関われるわけではありません。だからいろんな人に任せていかなければなりません。しかし、臨床心理士や精神科医が”単なる”そして”うわべだけの”「共感」を持ち込もうとするのであれば、ぼくは断固とした態度に出てしまいそうです。
 「同感」は難しい。でもそこを目指す意識も必要ではないでしょうか。それはこの未曾有宇の災害で傷ついた人人の心のケアが、単なる日常的な臨床心理学や精神医学の範疇を遙かに超えたものであるという意識を持てるか持てないかにかかっていると思う。
 「自分の持っている力では足りないかもしれない」
 と思って人々に関わろうとする臨床心理士や精神科医には、信用して任せられるかもしれない。しかし、
「わたしは臨床心理士なのよ。僕は精神科医なのさ」
 というひとは、相手を傷つけるだけに終わってしまうかもしれません。だから要注意だと思う。
 明日、名取市教育委員会に約半年間の心のケアのプランを提出するつもりです。
 さて、これが陸前高田のたった一本だけ残った松の木です。
4/14-1
どうか、枯れませんように。
そして被災地の瓦礫をかき分けて走るフリード君。
4/14-2
どうかパンクしませんように。
 そしてついに今日仙台空港から大好きなANAが飛び立ちました。明ちゃんが泣きながら電話してきてくれました。
4/14-3
「ついに飛んだよ!」
 それだけで十分な言葉でした。
 そして僕たちは「同感」していくのでしょう。
桑山紀彦
 

共感と同感」への23件のフィードバック

  1. 心に様々なものを抱える。
    誰かに聞いてもらいたいと思える様になる。
    でも、誰にでも話せるわけではないし、そのタイミングだってある。
    やっとの思いで話すことができた時、聞いてもらえただけでよかったと思える。共感してもらえたら、もっと嬉しく心強い。
    ”同感”は、最上級ではないでしょうか。
    頭に血が上ってしまったとおっしゃる桑山さんのお気持ちが、痛いほど伝わり、変な言い方ですが嬉しくなりました。
    軽々しく”同感”と口にしてはいけないかもしれませんが、
    このブログという同じ場所に集まっている皆さん、そして桑山さんの周りにいらっしゃる仲間の方々は、みな、いつでも桑山さんの気持ちに”同感”しているのではないでしょうか。
    ではまた、あした。

  2. 聡子さんのそばに、お母様がいてくださって、よかったです。
    桑山さんのそばに、「飛んだよ!」と泣きながら電話してくれる明子さんや、「国際さん」の仲間がいてくださって、よかったです。
    私の大好きな「あっちゃん」の故郷に、たった1本でも松の木が、生き残ってくれて、よかったです。
    そうして、今日も、こうして、桑山さんを通して、少しでも現地のことを知れて、私はよかったです。
    どんなに飛んでゆきたくても、今の私は仙台に行けない。
    どんなに電話で話を聞いて、友人たちと一緒に泣いても、それは「共感」でしかないのかもしれない。
    それでも、なんにも知らないで、知らんふりをして、札幌で平穏に過ごしているより、こうやって泣いていたいと思います。
    あの日から、何度、雪が降ったでしょう。
    そのたびに、「東京の奴らに、この寒さがわかるか!」と、何度、空に向かって吠えたことでしょう。
    東京にだって、本気で心配して、必死で動いてくれている人達がいるんだって、頭ではわかっていても、その憤りは止められなかった。
    「しみるも、しばれるも、知らん、おめらに何がわかる」って。 私は、安全な札幌に住んでいますが、全然「客観的」になれません。
    きっと、ずっと、なれないと思います。

  3. 外から援助に来た医者に体の傷は治せても、心の傷を打ち明けることはできない。ー桑山さんは以前そうかかれてましたね。そう思います。
     私は以前、児童福祉現場のSWとして働いていました。問題や悩みを抱えている子どもたち、大人の人たちと関係を作っていくのは時間がかかりました。「あなたに私の気持ちはわからないでしょ?」と言われたこともあります。
    でも、呼び捨てをしてしまった看護師や医師たちに、現場の現実を知らせる役目も必要だと思います。桑山さんのような存在がなければ、共感と同感が実際の現場にしっかりとあること。それを外から来た人たちが、気づくこと。気づいた上で、どう関わっていくことができるのか。考えていかなければいけないのだと思います。そうでなければ心のケアは外部からは援助できないことになってしまいます。
     
     私は現在カナダに住んでいます。今回の地震の揺れも、みなさんの抱えている気持ちも肌で感じることはできません。やきもきしながら、募金をし、早く余震が終わってほしい、大地を鎮まってと祈ることしかできません。でも、対岸の火事で終わってはいけないと思っています。桑山さんの素の気持ち、被災した方々の心の声を聞けること、聞かないといけないと思っています。しんどいとは思いますが、ブログ続けてくださいね。
     「お前ら何がわかる」ー言って下さい。言えずに、心を閉ざしている人がたくさんいるはずですから、桑山さんはその人たちの代弁者になってもいいはずだと私は思います。
     

  4. 仙台空港から飛行機が離陸し、着陸する映像を見ました。就職先にに飛び立ち若者が、飛行機から津波で壊れてしまった故郷を目に焼き付けて頑張りますとコメントしていました。
    桑山さんが言う通り、後で「むかつく」的な発言あっただろうなぁと想像つくけど、誰かが言わないと分からないし、桑山さんは被災地代表したお医者さんだしどうして、‘さん’か‘殿’つけて欲しいか話してあげたらいいんじゃないかなぁ。今後被災者の方との関わりが良いものになるんじゃないかと思います。

  5. 桑山先生が被災地の中にいて、同じ揺れを体験し非常なまでに辛い体験をされた方々を親身に診察されている今。
    患者さんに同感されながらも、医師としての客観性もお持ちと感じています。
    医療従事者は自分の感情とは別に、冷静な部分を持ち合わせていてほしいと私は思います。
    黒板に呼び捨てで名前を書くのは日常当たり前にしている、業務の一つでしょう。
    心療内科医がきてくださる避難所は避難している方の人数の多いところなので、実際私は受診できず実態はわかりません。
    たび重なる余震で避難所にいる人も、在宅の人も不安や悲しみから抜け出せずにいます。どこの避難所にどのような医療支援があるという情報がほしいです。
    「お前に何がわかる」  過去紛争地域で桑山先生が少年に言われた言葉でしたね。厳しい言葉でした。わかろうとする気持ちを持っていていただければ充分です。
    昨日1カ月ぶりに、津波に被害にあった離島の実家に行けました。
    重機も人の手もまだ入ることができず、細々と自分達の力だけで避難生活を続けています。3月11日のままの風景、たび重なる余震に心は萎えている人々。
    ライフラインの目覚ましい復旧がある、街中と未だ入浴もままならない地域の差に愕然として帰ってきました。

  6. 私は専門家でもないし、この大災害も直接被害に遭ったわけでもありません。
    ただ自分は昔、鬱で精神科に通った時、先生は最初は私の話を『聴いて』くれている感じで、なんでも全部話していました。
    ところが何度目かに「michiさんの取り組みどころはね、」みたいな感じで、『客観的』に、そして専門家として上から目線で(私にはそう感じられた)言われたのです。
    それからは、もうあまり話す気がなくなり、自分で自分の状態を観て、薬を増やしてもらったり減らしてもらったり、それだけの診察になりました。
    なので桑山さんのその姿勢は、患者にとってはとても貴重なものだと思うのです。

  7. 今回、沢山の方が辛く悲しい思いをしていると思います。
    そんな中で先生も心身共にお疲れかと思いますが、あえて本音を言わせていただきます。
    私の知人は不安障害で以前から通院していました。
    名取市に住んでいますが直接津波の被害はありません。
    知り合いは沢山亡くなりましたが、身内はみな無事でした。
    先日診察に行った時のことです。
    先生に話しをしている途中で次の予約の紙を出されて、カウンセリングを終了させられたそうで、スゴク落ち込んで帰って来ました。
    自分より大変な思いをしている方が沢山いるから仕方がない、と言い聞かせながら泣いていました。
    元々心の病を持っている人達はどうしたらいいのでしょう?

  8. 桑山さんのおっしゃること 分かるような気がします。
    患者さんと同感される姿 ブログで、TVでも感じていました。
    でも 桑山さんの 体やこころが心配です。
    明ちゃんよろしくお願いします。
    大阪からも抱きしめていますよ!
    いってきます

  9. 人間がどん底の時すがるのは精神科医ではなく神か仏。藁をも掴む思いで人は教会や寺に行くのではないでしょうか。ですから荒れた地で踏ん張る牧師や神父。被災地の真ん中に心療内科を営む言うことは魂を救う同じ作業ではないでしょうか。

  10.         共感と同感について
     通常、こころに悩みや不安をかかえる人は、癒してもらうために、臨床心理士や精神科の門をたたく。そのとき、相談者は共感をもって臨む。自分がクライアントと同じ環境や同じ経験をしているからではないからだ。
     しかし、相談者もクライアントと同じ体験や同じ環境のもとにおかれた場合、共感ではなく、同感になるだろう。
     クライアントが訴えることが、自分のこころの痛みとして理解できると思われる。しかし、平穏な日常のなかにある、臨床心理士や精神科医師は、やはり共感の範囲でしか、こころの痛みを理解できないのではないだろうか。ここには限界が当然ある。
     また、どこか、よそよそしくなる。
     そこに、桑山先生の苦しみや哀しみもあるのだと思うのですが。
       そういう、僕も、やはり、よそよそしい、のだろうと思う・・・・・・・。
      和歌山   中尾
       
     

  11. 桑山先生へ。
    ありがとうございます。
    誰かに「共感と同感」について言って欲しかった。
    東北のことを知らない、言葉も文化も知らない
    心の専門家達が、どんどん被災地に入って
    傷を癒しますと話をして、1週間もすれば帰って行く。
    同じ専門家として許せなかった。
    自殺遺族の支援をしていますとか、
    阪神大震災で心のケアを支援した経験があると
    それを振りかざして被災地に乗り込んでこられる方々へ
    申し上げます。
    正直、なにそれー、う-、やんだ。
    帰ってけねがやー。
    わがってねえくせに。
    わがってる人はここさはこねんだ。
    ずっつあんの話ききだいだど。
    津波さのまったんだ。
    なになんだが。
    これ、意味分かりますか?
    遠方からどんどんこられる専門家達に。
    自殺とか阪神とか一緒くたにしないで欲しい。
    被災体験はそれぞれ固有の物だ。
    東北はこれまで築いた心のケアの歴史を糧に、
    風土と文化を誇りに頑張っているんだ。。
    もしも、どうしても心のケアをしたいと被災地へ
    乗り込んでこられるなら、東北の支援者の後方支援に
    回って欲しい。

  12. のりひこさん
    もう言葉が見つかりません。あなたも含め現地のみなさんの心が心配です。
    泣いてください。たくさん泣いてください。私もあなたのコメントに涙しています。
    きっと私たちはもっともっと泣かなければいけないんだと思います。
    あなたのブログの言葉のひとつひとつが多くの事を教えてくれます。
    見過ごさない。人ごとじゃないんだ。私たちひとりひとりがしっかり噛みしめていかなきゃなりません。
    のりひこさん
    あなたがこの地域の主治医です。
    号令一家いいじゃないですか、避難所の人々はちゃんと分かっているはずです。感じているはずです。誰よりもそばで診察していることを
    明日に向かって・・・いきましょう。

  13. 腹立つなぁ…でも
    怒るな!桑山!
    同感してる桑山さんのブログを読むことで、私も同感してる気持ちになります。ひたすら同感して、それを私たちに伝えてください。

  14. 本日の朝日新聞夕刊に桑山さんの紹介記事が載っていました!
    写真が超真面目な顔で、失礼ながら笑っちゃいました。
    桑山さんも被災者なんです。だから同感なんですよね。
    外からの支援は「シェア」さんがされているような
    医療スタッフへの支援がいいのかもしれません。
    してあげたい気持ちをぐっと堪えて、
    してほしいと要求されることだけするのが大事かも。
    それにしても被災地が広いので十分なケアができるか心配です。

  15. 12年ほど前、当時3歳の息子が自閉症の診断を受けました。
    一番わかり合えたのは、やはり同じ診断の子どもを持つお母さんたちでした。
    子どもを「ケース」と見る専門家に苛立ちを覚えた経験もあります。
    専門家の方々が、自分の方が偉いんだというオーラを出していたので、私は怒れませんでした。
    あの頃の私の代わりに、どんどん怒って下さい。
    桑山さんが怒りを感じるのなら、それが正しいのだと思います。
    新聞、読みました。
    先日のNEWS23も観ました。
    立派に「医師」してましたね~^m^

  16. いつもブログを拝見しテレビニュースなどでは解らない被災地での本当の様子、被災された方の気持を、桑山さんの言葉の端々に感じることが出来ます。怒ることは本当のことを知らせる事であり、どんな仕事や行為も人の気持ちを考え感じることから始まるのではないでしょうか!応援してます。

  17. もう、なんというか、絶対的に超えられない壁を感じます。
    私には「同感」はもちろん「共感」さえできていない気がします。
    「しよう」とか「します」とかも言えない感じです。。。
    自分の考えてること、思っていること、浮かんでくる言葉
    すべてが嘘っぽくて、絶望的です。
    3.11以降、「見つめ続けること」だけでもいいかもしれない、とか
    思ったりもしましたが
    今ただわかるのは「私には何にもできないんだ」ということだけです。
    被災していない私がこんな風で、本当に情けないですが
    率直な気持ちです・・・。

  18. 僕は「絶対に越えられない壁がある」とは、やはり思わない。
    超えられないかもしれないけど、「超えたい」という気持ちを持つことで十分だと思うからです。
    被災地に入っている専門家の中に、その「超えたい」と思えてない人がいることが気がかりなんです。自分の心の状況に気付いていない人たち。
    でも、それでも「現地に行こう」という気持ちを持ってきてくれた人たちなんだ、と思うと、そうなんだろうなあ、と思えてくるんです。

  19. 陸前高田の方だったのですね…
    名取の方かと思ってコメントしてしまい申し訳ありませんでした。
    医療現場では、患者を呼び捨てなんですか
    ちょっとショックです。
    仙台空港から飛行機が飛びたったように、少しずつですがみんなで歩んでいくんでしょうね
    少しずつ…焦らずに

  20. ブログを書き続けてくださることに深い感銘を受けています。わたしは17年前から北九州の自宅で日記広場を開き、日記広場たよりを書いています。そこにこのブログで知り得たことを書かせていただいています。歩さんのこと。小3のFくんのこと。また月に一度大分の俳句誌「樹」に小文を書いていますが、その6月号所載の作品展望にも、一緒に泣いてしまうお医者さんのことを書きました。伝えずにはいられなかったのです。
    遠く九州で、私たちになにが出来るかを考えています。
    私の属する友の会(婦人之友愛読者の会)も「わたしはここにいます。私を遣わしてください」と祈りながら、鍋帽子を作ります。
    家庭は簡素に社会は豊に これが友の会創立者羽仁もと子さんの願いです。いまから簡素な家庭生活を日本中の人々が実施することで、日本は立ち直っていくと信じます。
    ホームレス支援機構の会員でもありますが、絵本を集めて送っています。一冊の絵本を子どもとおとなが見合うとき、読みあうとき少しの平安が漂うことを祈ります。
    でも、復興の事業に1社のみの関与という黒い噂に、腹立たしい想いです。

  21. はじめてコメントさせていただきます。
    今回の記事を読んで、なぜか自分の仕事と照らし合わせてしまいました。
    「相手の立場になって考える」それだけで、違った見方ができるはずなんです。
    看護婦さん、自分の名前が呼び捨てされたら、どう思うのでしょう?共感以前の問題ではないのかな。それだけ、大変な現場だというのも理解できるのですが、名前って大切なものですよね。
    その点を指摘された桑山先生は、客観的…というか被災者の方の立場が見えているので、心強く感じました。
    桑山先生は、声を大にして言っていいと思います。
    「あなたたちに何がわかる」って。
    義務感を強く持ちすぎている方々に、被災者の方の気持ちを想像するきっかけになると思います。

  22. ことしも母の植えてくれたフリージアの花が庭のそこここで咲き始めました。
    母が旅立って20年近くになるのに、毎年忘れずに咲いてくれます。
    その母が末期の癌だと宣告されたとき、うちの母に限ってあるはずがないと、妙な確信を持っていたのに、案に相違して多分もう手の施しようはなかったようです。
    検査のあと、
    お医者さまは「まず患者さん(母)の体力をもう少し、回復させましょうね。それから治療をがんばりますから。」と説明してくださいました。そのあと看護師さんに案内されたのは病室ではなく、外来の診察室の前の廊下のようなところでした。今でもはっきり覚えているのは看護師さんが私の手に握らせてくれたガーゼの感触と、黄昏の廊下で並んで一緒に長椅子に座って、泣いている私を見守ってくださっていたことです。泣いても仕方がないのに涙があふれて止まらないのです。
    5分か10分か、泣くだけ泣いた私に、「大丈夫ですか?さあ、お母さまのところに行きましょうね。」とやさしく声をかけてくれた看護師さん。
    あの時の看護師さんの心遣いと、一緒に待ってくださった時間のおかげで、母の看取りまでの気持ちを保てたのだと想います。
    そこには、マニュアルではない理解してもらえている安心感がありました。桑山さんの表現でいうところの「同感」だったのかもしれません。結果はわずか一週間のちに母は亡くなったのですが、その時も先生は「力がおよばずに申し訳ありません」と言ってくださり、看護師さんは「お母様はほんとうにがんばられましたね」とかけてくださったことばも素直に受け止めることができました。そこにも、弱音を吐かずに耐えた母へのいたわりと尊厳がこめられていたからだと思います。
    それから不思議なことに、何度も大切なお子さんを亡くす人を支えることになり、その時の経験が私にはお手本になっていました。何度も一緒に泣くだけの時間も経験し、専門家でもないのに、心をこめて寄り添うことで少しずつ少しずつ日常を取りもどして行かれる残されたご家族を見てきました。
    母の看取りの時に一緒に悲しんでくださった(と私は思っています)看護師さんには今でも感謝しています。
    でも、父を介護事故で亡くした時は介護施設の責任者には丁寧な「誠に遺憾です」ですまされました。やり場のない想いを抱えての看護の400日の父の意識の戻らない時間の支えはやはり看護師さんたちの温かさでした。事故を起こした施設は保身に走り、何のサポートもないままでしたが、植物状態のハイケアの患者を引き受けてくださったのはERの先生の判断と看護師さんたちの力でした。
    あとで聞いたところ、ERの先生はお父様をなくされたばかりの方だったそうです。
    今の被災者の方々と状況は違いますが、突然の不幸に立ち向かうには人はほんとうに非力です。あのときに、受け入れてくださったドクターがおられなければ今の私はいない気がします。
    桑山さん、どうぞ寄り添ってあげてください。事務的な対応に患者や家族はとても敏感に傷つきます。いつかたちあがれるために、今は一緒に泣いてあげてください。
    でも、ご自身のおからだも大事になさってください。全国のステージを待つ仲間たちのために。東ティモールの、パレスチナの仲間たちのために。そしてご家族のために。

  23. 日にちが過ぎてからのコメントで、すみません。
    この文章は、重い、です。
    私には上から目線の習慣もあるし、したり顔してふれられることへの嫌悪も、両方ある。
    近づき過ぎたら目がくらむ、とブレーキをかけることも知ってるし、寄り添ってこそ人は心を開くんだ、とも学んだし。
    今の私はモニターの傍らで観ている者の一人。見て読んで、受け取って、考えて…わかったつもりになって慢心することのないよう居たいです。

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