ミャッセ・ミャー村に来ていつも思うことがあるます。
それは人はどこまで善良でいられるのか、と言うこと。
ミャッセ・ミャーの村人はいつも笑顔で明るく、そして僕たちを迎え入れてくれます。
子どもたちに「夜空はきれい?」と聞くと、「とってもきれいだよ」と答えます。
もしも苦しい生活をしていたら、夜空なんて見る気持ちになれないし、食べていくために精一杯だったら、星空の美しさなんで吹き飛んでいるはず。でも子どもたちは夜空の星の美しさを知っています。
だからきっとこの村の善良さは「足りている」ということから来ているのだと思います。
そんな村に外国人である日本人が来ても、みんな素直な気持ちで歓迎し、暖かく迎え入れます。カメラなどの機材を置いていても、絶対に誰も取ったりしないということが肌で感じられるから、僕たちはこれまでただの一度も嫌な思いをしたことがありません。
でも、色んな思考の人間がいるのが社会というものです。
例えばこの日本人を受け入れているイェイェさんの家族に対して、もしかしたら、
「なんであの家族だけがそんなことしてんだ。一体いくらもらってんだ?」
みたいなことを言っている人がいるかもしれません。
みんなで村を歩いていても、
「オレたちは見世物じゃない」
と反発する人がいるかもしれません。
前にイェイェさんにそういった「反発」のようなものはないのかと聞いたら、最初意味がわからない様子でしたが、
「全くない。全て歓迎!」
と答えました。この自信はなんだろう…と思う。
それは、北海道の滝川市で取材させていただいた国際交流協会の山内さんがおっしゃっていた、
「足るを知る」
という言葉につながっていくと思うのです。自分たちの生活において充足していると思ったら、あとは多くを求めない。もしも余剰があったら、それは人のために使う。その思考がこの村の人にはある気がするのです。
決して美化するつもりはありませんが、彼らから感じるものは人としての誇り、尊厳です。それがあればたとえ村としてのインフラが日本と比べて整っていなくても、「生きていくためには十分」であると判断したら、あとは多くを求めない生き方ができているのだと思います。
それでも村には不備があります。それを村長さんやイェイェさんはこれまで明示してきました。それがまず「教育の機会」「水の整備」「健康の維持」だったのです。だから僕たちはできる範囲ではありますが、「教育の機会」の均等化のための奨学金事業と、給水システムの修繕に協力してきました。
残るは「健康の維持」です。これがそろえば、この村はより一層「幸福」に近づくのだと思う。
出雲から参加の川上真樹さんの里子さんのお父さんは3年前に亡くなっていました。その日の夕方までは元気だったのに、突然夜の11時に右胸の痛みを訴え、そのまま家で亡くなったそうです。肺気腫か、大動脈解離か…。いずれにしても例えば村にクリニックがあり、常駐の村の医師や看護師さんがいたとしたら、タウンジーの町までクルマを出して運べたかも知れません。
もちろんそれでも助からない命だったかも知れないけれど、何もできずに家の中で苦しみながら亡くなっていかなくても済んだかも知れません。
だから、村長さんが「クリニックがほしい」というのがよく理解できます。もちろんすぐに何かできることではありませんが、できることから関わっていこうと思います。
「足るを知る」
なかなか現代の日本ではできないこと。
コンビニの食品ロスは平均で1日6万円という報告があります。食べられないけれど、陳列棚におにぎりがないと見た目にまずいということでたくさんのおにぎりが並べられています。そして捨てられていくおにぎりが1日6万円相当…。
こんな日本でいいのだろうか、と考えるきっかけを与えてくれているミャッセ・ミャー村。答えは出ないけれど、自分たちが住む日本という社会に対して、「これでいいの?」という視点を持つことの大切さを与えてくれます。
「すぐに答えは出ないけれど、考えることを止めてはならない。」
今回のスタディツアーで得た一つの発見だったと思います。
桑山紀彦
今日日本では成人の日、名古屋市守山区の金城学院大の環境ビジネス論という講座での先輩授業を聴講した記者の記事が東京新聞の社説で述べていました。その最後に「大人とは当事者になれる人、今日だけでなく明日のこと、自分のことと同じくらいに次世代の未来について考えることのできる人ではないのかと。。新成人の皆さんにも今日を機に、伝えたいものを探してほしい。伝えたいものがあるひとは、伝える場所を見つけてほしい。」とありました。桑山さんの「考えることを止めてはならない」とともに今年の心構えとして意識していこうと決めました。原発の事、閖上の事、etc、春には60歳です。真面目に残りを考えて大人に成ろうと思いました。ステージのことを広めていけるよう地道に仕事も頑張ります❣️
足るを知る~ものすごく参考になる話でした。
理屈としてわかっていてもなかなか出来ません。
日本では常に満ち足りた気持ちにならず不足感を引きずっているのでしょうか!!