3月31日、初愛媛県公演。
この日はあの「港屋のおばちゃん」も参加するという記念すべき公演になりました。桑山さんの旅の原点でもある「港屋のおばちゃん」。娘さん二人と会場にいらっしゃいました。この日は全国から会員の方も駆けつけてくださり、「仲間」というものをとってもありがたく感じた忘れられない一日となりました。
この日はステージ1でしたが、故郷篇の曲を「民宿港屋」に変え、ステージに会員の方にもあがってもらい桑山さんを支える形で歌ってもらいました。
本物のおばちゃんの前で歌った「民宿港屋」。感極まるものがありました。
おばちゃんも本当に嬉しそうで、愛媛でステージができてよかったなあ、そう思う瞬間でした。
ステージ終了後は、おばちゃんは写真攻め。日本一有名な「おばちゃん」。
いつまでもお元気で。
ステージ終了後、おばちゃんと
私にとっても愛媛公演は、忘れられない日となりました。
とうとう「港屋のおばちゃん」に会うことができたんです。
ステージ2でしか会えなかった、1枚の写真のおばちゃん。
さぞやお年を召した方かと思っていましたが、実際はそんなことはなく、優しそうなご婦人でした。「おばちゃん」と言う響きで、勝手に想像していただけで、実際は当時、今の私よりずっと若かったんですよねえ・・!もし、私がおばちゃんだったら、絶対に「おねえちゃん」と呼んでもらっていただろうなぁ・・。謙虚な方です。
会場の松山大学カルフールには「港屋のおばちゃん」と書かれた紙が、客席に3枚貼ってあります。「どんな人なんだろう?」とドキドキしながら、座るのを待っていました。
娘さん2人も来て下さり、その3人の席の周りには、待ちわびていた人たちが集まってきました。かわるがわる写真を撮ったり、握手を求めたり。おそらくおばちゃんには、初対面の方たちだったでしょうが、熱気のようなものや、想いは伝わったと思います。娘さんも、こちらの想いは伝わっってましたし、「地球のステージ」を、こっちの子供たちにも見せたいとおっしゃってました。
人って、どこで、どう繋がっていくか、全く分からないなぁと感じた、貴重な1日でした。
素敵ですね。
人が人を傷つけてしまうことも沢山あるけれど
たった一人の人との出会いが、その後の人生を大きく変える
なんてこともある。
そんな出会いが更なる出会いを呼ぶ。
「地球のステージ」ってまさにそんなものだと思いました。
いつか私もお目にかかりたいです。「おばちゃん」
とても素敵な愛媛での公演だったそうですね。akiさんやキャサリンさんのお話からとても伝わってきます!!私も愛媛に行きたかったなぁ~(>.<)
行ってまいりましたよ~初の「四国」・・・私にとって
そして、「地球のステージ」初愛媛公演。
「地球のステージ」のきっかけがフィリピンのロエナスであり、世界放浪の旅の原点になったのが自転車による日本一周、旅での人々との出会いの大きな出来事が「港屋のおばちゃん」だったのでしょう。ステージで何回も出会った「おばちゃん」は、桑山さんの紹介の通りの『あったかい人』でしたね。「人っていいなぁ~」と思わせてくれたおばちゃんは、想像以上のすてきな方でした。「一晩だけの民宿」での出会いと語らいが、26年ぶりの感動の再会につながりました。全国から応援団が駆けつけました。ステージの1番はいつもは「願い」で終わるところが、4番での最後「民宿港屋」に変え、初の試み:応援団がステージで一緒に歌いました。桑山さんを支えるつもりが、コーラス隊のほうが桑山さんに支えられた感じでした。泣いてしまって歌えないのではないかと心配しての試みでしたが、さすが桑山さんは『プロ』になっていましたね。(あっぱれ!)(拍手、拍手、拍手) 人との出会い、その関わりを大切にしている「おばちゃん」は、「並み」じゃなかった。写真や手紙、「宅配便の不在連絡票」などをとっても大切に持っていて、わざわざ持ってきて、「先生」とた~くさんお話されていましたね。
おばちゃんが持ってきた赤いサイン帳、みんなのメッセージが書かれたことでしょう。とっても楽しみにされていたそうです。また元気をもらっちゃいました。
翌日の広島公演は、会場を埋め尽くすたくさんの人に「地球のステージ」を見ていただきました。桑山さんは声高に「平和」を訴えてはいません。ステージを見た私たちが、平和の大切さを感じるのです。世界中の人々が仲良く手をつなぎたいですね。人々の優しさが世界の平和に結ぶつくのに、いまだに実現されていないのはなぜでしょうね。ひとりひとりが意識を持つことでしょう。日本で暮らす私たちとは違った暮らしをしている人たちに思いをめぐらしましょう。先進国日本にいてできること、考えてみませんか?
2日間とも「ユニセフ」が関わっての「地球のステージ」でした。大勢のユニセフの仲間に会うことができ、とても有意義でした。
今、ドクトルKはオーストラリアです。土曜日には帰ります。
港屋のおばちゃんは、それこそいろんな苦労をされていますが、それを一つの「糧」にして生きてきた人だと思います。
娘さんにどうしても聞きたかったことを26年ぶりに訪ねてみました。
「自分の家が民宿をやっているということは他人が自分の家に入ってくるようなものだけど、プライバシーが無くなったりと、いやなことがありましたか?」
すると、娘さんははっきりと応えられました。
「いいえ、本当に楽しかったです。旅人のお兄ちゃんとトランプをしたり、遊んでもらったりと、民宿は本当に楽しかったです」
その答えが聞きたかった~!
二人姉妹ですが、下の妹さんが、18歳の僕と会っています。その時16歳。ドキドキする年齢ですよね。でも、そんなふうに言ってもらえて、本当に幸せでした。
ありがとう、港屋のみんな!