奈良県大和郡山市にある、名門郡山高校。
ほぼ2年ごとに開催されているこの高校で先の6月8日、3回目のステージがありました。
実は、郡山高校は思いでの深い高校です。
5年前の初回はあまりに暑い7月の公演で、「講堂」という非常にぎゅうぎゅうな会場は灼熱地獄と化しており、その後立命館や同志社に進んだ卒業生と会うと必ず、
「あのステージは暑かったよね~」
と話に花が咲く、とても因縁の初回ステージでした。
しかしそのとき2年生だった有紀ちゃんは、文系志望だった道を大きく変え医学部を目指すことになったのです。彼女の強い意志でした。
そんな有紀ちゃんはこの春に福井大学の医学部に見事合格。
3月に福井へ引っ越しする前に、東北へ会いに来てくれたのです。
会った瞬間の会話は、やっぱり
「あのステージは暑かったよね~」
というところで盛り上がりました。
人間とは不思議なもので、困難と、それを切り抜けた経験こそが一番記憶に残り、すがすがしく感じられるように出来ているようです。
今年はさほど暑くなく、さわやかにステージが過ぎていきましたが、やはりすばらしい感想をメールでもらって、さすが!の郡山高校でした。
素直でまっすぐな高校生に会うと、やっぱりほっとしますね。
そんなうちの長男、高校2年生の翔也は、先月サッカーの試合中に接触により前十字靱帯を断裂してしまいました。1年生の頃からレギュラーで、ずっと同じ仲間で試合を切り抜けてきたのに、ここへ来て大きな挫折です。
桑山がパレスチナに行っている6月22日に靱帯を移植してつなぐ手術です。まさにあのフィギュアスケートの高橋大輔がたどった道です。
走ることも、もちろんボールを蹴ることも出来ないのに、毎日毎日サッカー部の部活動に参加し、ただひたすら立ち尽くしながら、仲間に声をかけ続けています。
それでも3年生が引退して、いよいよ翔也の2年生に代替わりした先月、翔也は部長に選出されました。走れないのに、蹴れないのに、試合に出られないのに。
さぞ悔しい思いと共にボールを目で追いかけているであろう息子の思いと、郡山高校の高校生の姿がダブります。
やっぱり人間、困難あっての生きもの。その困難にもちゃんと意味があって、超えたときに大きな意味を帯びてくる。そしてそれを超えたときにまた人間は優しさと素直さを取り戻す、と信じています。
桑山紀彦
総会後のミュージカルのあと、客席の脇のほうに、松葉杖をついて立っている翔也君を見つけました。
てっきり捻挫かな?と思って声をかけたら、手術を受けないとならない旨。本当に驚きました。
私の息子と同い年で、一度成田で会っていますので、時々話題にのぼります。
この怪我を乗り越えたらきっと、ひとまわりもふたまわりも大きな部長になっていることでしょうね。どうか、お大事にしてください。
お父さんも息子さんも素晴らしい。
翔也君毎日部活に立ち続け、仲間を支える姿を想像するだけで涙がでます。
プレイできない辛さ。客観的に仲間のプレイを見る機会と、とらえられていらっしゃるのでしょうか。
術後もリハビリ大変だと思われます。お会いできないけれど、たくさんの応援団が回復を願ってますよ。
桑山さんも(お父さん)お体お大事に、ご活躍期待してます。
いつも桑山さんのブログに励まされます。
ありがとうございます。
[やっぱり人間、困難あっての生きもの。その困難にもちゃんと意味があって、超えたときに大きな意味を帯びてくる。そしてそれを超えたときにまた人間は優しさと素直さを取り戻す、と信じています。]
まさにその通りと思います。困難を与えられるのはその人にその困難を克服して更に成長する能力があるからと判断されているからと思います。
翔也君、お父さんの留守中での手術、心細いかもしれませんが、お父さんの心は翔也君の
ことで一杯。 あなたのことを一番に思いながらのガザ入りでしょう。お父さんとは
つよ~く結ばれているから大丈夫。
今は辛いかもしれないけど、
あとで、翔也君が人生を振り返った時に
今回の怪我が大きな意味を持っていたことに
気つくでしょう。
お祈りしてますよ。頑張ってね。
わざわざ紹介していただきありがとうございます。
最近では、北陸の医療系学部が集まって医療について話し合ったり交流する合宿に参加したり、中村哲さんの講演を富山まで見に行ったりしています。そこで熱い考えを持つ多くの医療者の方と語って、刺激をたくさん頂いてます。
また予定をやりくりして講演を見に行かせてもらうので、桑山さん、優子さん、お会いできるのを楽しみにしています。桑山さんみたいに、様々な人に対して平等に接することのできる良い医師になれるようがんばります。
余談ですが、私は奈良の帝塚山高校出身ですよ(笑)