ダルウィーッシュと再会しました。
それがエジプトのカイロであることの不思議さ。そう、彼は封鎖されているガザを巧みな交渉術で切り抜け、なんとカイロの大学院で福祉の修士を取る勉強をしているのです。
昨年11月にやってきて、1ヶ月のビザが切れ現在は未登録滞在ながら、多くのパレスチナ人が同様にエジプトで生きている現実で考えると、彼はパレスチナ難民としてカイロで勉強している状況にあるのです。
「正直、この休暇がなかったら自分はおかしくなっていただろうな」
ダルウィーッシュが言っているのは、昨年1月のガザ戦争とその後6月に降り掛かった監禁事件です。
「あの監禁は自分の人生の中でも最も辛いことの一つだ。今でも思い出すと眠れないんだ」
屈強なダルウィーッシュをしてそういわしめるハマスによる多数の一斉監禁事件。暴力が人の心を蝕んでいます。それでも、彼はあきらめずガザの外へ出ました。ハマスの許可、そしてエジプトの認可がないとできない芸当をこなしてしまうその能力に脱帽です。
こちらでは、アパートを借りて一人暮らしをしています。近くには家族同然で暮らすホダ一家がいます。ホダは10年ほど前交通事故で半身が付随になりました。しかし、障がいを持つ人たちにとても優しいアラブの文化に支えられ、現在も学校の先生の仕事をしています。実は2年前にダルウィーッシュから、
「ホダという半身不随の女性がカイロにいてな、車いすが古くなって、しかもそれが重くて大変なんだ。日本から軽量のものを送ってくれないか」
といわれ、募金で日本国内で購入し、空輸した経緯があるのです。ホダはその日本からの車いすを大切に使いながら、笑顔を見せてくれます。
ホダと、後ろにダルウィーッシュ
ダルウィーッシュが面倒を見ているのか、見られているのかよくわかりませんが、彼女の足として積極的に外へ外へ連れ出そうとしているのが伝わってきて、さすが福祉をライフワークとする彼らしいと思いました。
これからどうするのか、という問いに対しては、
「とりあえずあと二つ試験を受けて2月末にはラファに帰るよ。でも試験の結果次第では長男がカイロの大学の医学部に来るかもしれないからな。それまでいるということも考えないでもないよ」
エル・アマル学校は、ダルウィーッシュの日々の業務連絡で十分回っており、逆に彼がエジプトにいることで、欧米各国のドナーもダルと会いやすいというメリットもあります。悩むところだとは思いますが、彼なりの結論を出すでしょう。
今後も、我が「地球のステージ」は子どもたちの心のケアをエル・アマル学校とともに行っていくことを確認。次回は試験時間やその後の夏休み、ラマダーンの影響など考え6月末に行うこととなりました。
まだ、イスラエル軍から入域許可が出ていないことを話すと、
「何言ってんだ、オレなんて生涯”許可の出ない男”なんだよ。くよくよするな。きっと道は開ける。6月はラファで待ってるぞ」
さすが、のダルウィーッシュでした。
木曜日の午後に帰国します。
桑山紀彦
先生の笑顔を拝見できてほっとしました!
ダルウィーッシュとの再会が叶って良かったですね。
彼はとても前向きで、勇気づけられます。
障がいのある人にやさしい社会を日本でも、と思います。
おかえりなさ~い。もう無事に帰ってますよね。先生、あきさん大変おつかれさまでした~。
お久しぶりですが、ブログは毎日見せていただいておりました。
先生の笑顔は嬉しくなります。
先生とあきさんの行動そのものに深い意味を感じ励まされます。
本当にありがとうございます。
そしてステージ行きたーい。 です。