タハニはイラク、バクダッドで生まれました。
フセイン独裁政権の中で、様々な危機を乗り切りながら家族と共に生きてきましたが、ついにイラク戦争が起きました。同じイラク人といっても、シーア派とスンニ派では考えも習慣も大きく異なります。戦後、国内は急速に分離し、どこにも安定したところはない状況に追い込まれていきました。
そんなタハニが17歳になった時、事件が起きました。
いつものように高校に行き、勉強して下校しようとして校門をでてすぐに、複数の男達が突然タハニを取り囲み、誘拐しようとしたのです。タハニは必死に抵抗しますがあまりの恐怖でほとんど動けない状況だったといいます。
その光景を見つけた学校の警備員が、銃で空をうち威嚇すると男達は慌てて逃げ去りました。
タハニは危うく誘拐を免れたわけですが、この時の恐怖から全く学校にも行けず、外にもでられなくなってしまいました。
家族は話しあい、イラクにいては家族全員が殺されるという判断のもと、隣国ヨルダンに逃れました。案の定、その後にイラクに残った伯父が殺害されてしまいました。タハニが小さい頃からずっと慕ってきたおじさんでした。
そのことを知るとタハニはますます家から出られなくなってしまいました。
今もタハニは家に閉じこもり、全く外にでられない生活をしています。唯一、姉が誘った時にカウンセリングに来れるくらいです。
それでもタハニはもう8回もカウンセリングの場所には来れているのです。
担当の精神科医、バハー医師が言いました。
「この場所が今のタハニの唯一の”世界”だ。ここを守りながら、いつか彼女が社会に戻れるように何が私たちにできるか、一緒に考えないといけない」
今回は京都に本部のあるNICCO(日本国際民間協力会)のスーパーバイザーとしてヨルダン事業にかかわりました。
普段は心理社会的ケアで、明るい子どもたちと演劇を練ったりしているわけですが、こういったカウンセリングのケースには未だ癒されないイラク戦争の後遺症を引きづった人たちがたくさん入ることを痛感します。
木曜日の夜には帰国しています。
カウンセリングルームにて
桑山紀彦
先生、あきさんお疲れ様です。なんだか心が張り裂けそうな思いでブログを読みました。タハニが何か悪いことをしたわけではないのになぜこんな思いをしなければならないのか・・・。一部の大人のしたことで子供たちの心が壊されていく・・・絶対に許せないことだと思います。平和な国日本にいる私たちに何が出来るのでしょうか?正直私には見当もつかない。情けないことです。ただ、1人でも多くの人にこのことが伝えたれたら・・・きっといい考えを持った人が現われるかも知れないと思いました。3人寄れば文殊の知恵です。1人でも多くの人にこの事実を伝えていきたいと思います。どうぞ気をつけてお帰りください。
痛々しいです。ブログを開くたびずっと考えていましたけど考えがまとまりません。と言いますか・・わかりません。
タハニを脅かさない唯一の環境なのでしようがカウンセリングに来れているのは少し安心します。
ショックのあまり言葉を失った女の子がモト彼からの電話に出たくて話す事が出来たというケースがありましたけど、それもきっかけであり何がおこるかわからないと思います。
あきらめないで関わり続けるしかないのではないでしょうか・・?
先生がアリッサに関わった時のように・・・。
こんな戦争の傷跡があること、心の病への理解を知って欲しいですね。
私にはこの現実がまだ理解できません。私は日本以外の世界を知らないんです。だから、彼らの気持ちも苦しみも分からない。地獄のような戦場を私は知りません。それがいま、この世にあることも信じられません。
3年前、私は中学生の時私を変えたある大きな出会いがありました。それが地球のステージでした。彼らの笑顔は私の心に深く響きました。それから私は世界へ行って彼らに会いに行きたいと思い始めました。今の私があるのはあの時見て聴いた彼らの笑顔のおかげです。だけど、ほとんどの生徒たちは理解してくれませんでした。中には寝てる人や映像を見て笑う人もいました。私は怒りと悲しいでいっぱいでした。でも、私も彼らと同じです。だって私は本当の彼らを見ていないから。だから、私は見てみたい。本当の彼らの姿を。それをこの目で見て、今ある現実と真っ正面から向き合い、救いたい。今の日本は平和すぎです。今の若者たちは戦場をしらない。もちろん、私も。
だけど、それじゃあいけない気がする。私たちだけ平和な世界にいて、知らん顔しているのはだめだと思う。だから、どうか沢山の学生たちに若者たちに伝え続けて下さい。私は、世界は、人間はもっと温かいものだと信じてます。どうか、体に気をつけて頑張って下さい。私も頑張ります。