母の言葉

今日は故郷飛騨高山にいます。
 今日2月11日は、4??歳の誕生日。
 う~ん歳はとりたくないな~。でもガザから還ってきて何が一番したい?と聞かれた時、それまでは絶対「お寿司が食べたい!」というのに、今回はさすがに「故郷へ還りたい」と強く思ったので、還りました。
 そして、帰国して初めてお袋に会いました。
 「オレはなぁ、みんなに言われた。”息子を戦場に出した母親としてどう思う”ってなぁ。このニッポンに生まれて、そんな経験をしたのは自分だけなんやと思うと辛かったわい。
 先の太平洋戦争の頃、多くの母親がこうして”息子がどうか戦争で死にませんように”って願っておったんやなあ、ってことが良~くわかった。
 そんでとにかくテレビやら新聞やらが見れんかった。
 ”あんたの息子さん、こんなにがんばって、活躍しとるぞ”って言われるけど、わしゃそれを見るたんびに心臓が止まりそうで止まりそうで・・・。
 戦場に息子を送った母親はこうやって、一つ一つにほっとしたり、不安になったりしとったんやなと、ようやくわかったんや。
 そんな母親ができることは、祈ることしかできん。”どうか無事に還ってきてくれよ”と祈ることしかできん。だからあの5日間はとにかく神社に参り続けたんや。
 そやから、ワシが新聞やテレビをゆっくりと見れるようになったのは、おまえが還ってきてしばらくたってからのことやったなあ」
高山に帰省
 そんなお袋と、お袋の兄に会いに行きました。
 お袋の兄は稔おじさんといって、高山で飛騨牛を育て、稲を作る専業のお百姓さんです。でも先の大戦で兵士になって、戦場経験がある85歳です。
 「紀彦、お前はこの平和なニッポンで戦争のまっただ中を経験した者や。そしたらな、それをちゃんと伝えていかんとな。
 ワシらはもう歳をとった。先の大戦の話をしてもな、むかしの話になってしまった。
 空襲の恐怖や、弾が近くをかすめる音や感じもちゃんと覚えておる。しかし、聴くものがいなくなってしまった。
 お前は図らずも、この日本人の中で”空襲”を経験して、死ぬ思いをした唯一の(本当はあきちゃんも含めて2人ですが)人間や。
 そしたら、戦争が一体どういうものか、ちゃんと伝えていかんといかん。
 親戚として応援しとるぞ。」
 年老いてもなおニッポンの将来を憂う、我が肉親のもとへの短い帰還でした。
母と稔おじ
右がお袋、左が稔おじです
桑山紀彦

母の言葉」への11件のフィードバック

  1. ようやく帰省されましたか。どんなに心配をかけたことか・・・ほんとうに足がはえていてよかったです。
    そうですね~ 60年以上前の戦争のことは、過去の歴史としての受け取り方になっているかもしれませんね。当時の戦争を経験した人はほんとうにわずかになっているし、十分に語りつぐことがむずかしいのが現状かもしれません。
    過去のことではなく、今現在争いが起きていることを知らせることがとても大切ですね。いかに戦争が無意味で愚かなことか。空爆の恐怖を体験した生の声で、戦争の理不尽さを伝えてください。心が豊かでないと、争う気持ちが発生してくるのでしょう。
    今の日本も困難な社会になってきていますが、なんとか助けあって、悪い方向へ行かないようにみんなが努力しなければなりませんね。自分のことしか考えない、考えられない人たちが多いのも事実ですが、豊かな心をもてるように意識して生きていきましょう。

  2. 親って、ありがたいです。
    私は北九州チームのひとりで、桑山さんの想いに心が震え、心に響いて、考え行動するのを、近くに住む83歳の母(今は祖父母、父、叔母を看取って独り暮らし)が、じーっと見守ってくれ「会場には行けんけど」とチケットを買って陰ながら応援してくれました。
    母の家に行くと、桑山さんと子ども達の笑顔のチケットはがきが飾ってあるのを見て嬉しくなりました。
    自分のできる事を始めることで、成長している私をみて喜んでくれる母親がいることに感謝です。
    たくさんの気づきを頂いた「地球のステージ」を広めていきます。
    ありがとう!

  3. 桑山先生が無事の姿で目の前に帰ってこられて、お母さんは本当に心からホッとしたのでしょうね。そして、お誕生日おめでとうございます。
    ガザから戻られてから、テレビでよく拝見するようになりました。「おかあーさーん!桑山さん!テレビに出てるよー!」「また桑山さんだー!」と子供達も教えてくれます。ガザの悲惨な現状をより多くの人に伝えるべく、忙しい毎日を過ごしてるんですね。子供達も知っただけでなく、“自分達が何をすべきか”という、“見て見ぬふり”ではない、行動に感動し、必死に何ができるかを考えるようになりました。
    日本の中では戦争は過去の事かもしれないけれど、同じ地球の中、今も同じ人間が銃を向けたり、むけられたりしている現実。
    私達は何をするべきか…まずは私も行動しなくては!

  4. 先生お誕生日おめでとうございます。
    お母さんていくつになってもあったかいですよね。
    何よりもの誕生日プレゼントだったんじゃないですか?ガザから戻られてからかなりのハードスケジュールで、体は大丈夫なのかしら?と心配していました。
    今日のブログを見てほっとしました。お母さんの元で思いっきりリフレッシュしてまた頑張ってください。
    応援しています。

  5. 今日、近くの中学校でのステージを見にいきました。今まで何回かステージに足を運んでいましたが、今回ほど、桑山さんの強さを感じたステージはありません。過酷な経験をされたからこそなのでしょうか。やさしさも倍増したように感じました。そしてなにより元気な姿の桑山さんをみることができて、嬉しかったです。音響の須藤さんの足手まといにならないように、また、応援にいきます。

  6. お誕生日おめでとうございます。
    情報は確かだったのですね。普段から飾らない方と思っていましたけど、お年は気にされるのですね。でも先生ご承知だとは思いますが新聞やらニュースで既にばれています。残念!!でも大丈夫。先生はいくつになっても素敵ですから・・・。
    ガザから帰ってすぐにでもお母さんに顔を見せに帰りたかっただろうとおもいますが、ようやく行って来れたのですね。良かったですね。
    お母さんは心の中で先生の頭を「よしよし」となでておられたのではないでしょうか。
    しかし先生の動きをみていると、時間はつくるものだとつくづく思います。
    私はそんな先生そのものから元気をもらえている気がします。
    今日、車の中でいつもどうり地球のステージの歌を聴いていた時、他の歌(もちろん地球のステージの)が聴きたくなり途中で切り替えたら
    「なんでそこで切るかなぁー!」と旦那に怒られ、「ヘぇ~聴いているんだ」 と思ったらおかしかったし嬉しかったです。
    ステージ楽しみにしております。
    それにしてもお母さんと伯父さん目もとがそっくりですね。 優しそ~。

  7. 桑山さん、お誕生日おめでとうございます!故郷の飛騨高山でお誕生日を迎えられて良かったぁ。
    お母様はようやく安心なさいましたね。息子を戦場に行かせた母の気持ち。想像すると胸が苦しくなります。桑山さんがガザに入域している間中、お母様は新聞もテレビも見られなくなり、心臓が止まりそうになるほどドキドキして。きっと食事も喉につかえたのではないでしょうか。
    お母様や稔おじ様がおっしゃるように、桑山さんは、空爆の恐怖や戦場にいる人達の事を私達に伝えて下さいね。
    お母様と稔おじ様の写真は素敵でした。
    先月お兄様のコメントがありました。お母様、稔おじ様、お兄様、お義姉様、ご家族皆様によろしくお伝え下さいね。

  8. 感動!!
    お母様の最高の笑顔を見て、心から 「良かった。」と思えました。
    先生の目が腫れているようにみえますが・・。
    最愛の息子を抱いてか抱かれてか?
    とにかく感動しました。
    母の愛は深いですね。
    いい写真をありがとうございました。

  9. (叔父様が仰った通り、現在の日本の中でただひとり~本当はふたりですが~戦火を体験した)桑山先生が、無事に帰郷されて再会を果たした事は、お母様にとって何よりも尊い贈り物でしょう。。。
    お誕生日は(生まれて来た者と産み出した者の)記念日です。
    ちょっと遅れましたが、桑山先生、お誕生日おめでとうございます。そしてお母様、桑山先生を産んでくださってありがとうございます。
    どうぞ、これからも多くの人に地球の今をお伝えください。
    (及ばずながら、ずっと応援し続けます!!!!!!)

  10. お母様の笑顔、桑山さんの笑顔、想いの深さが伝わってきました。
    2月11日は、とてもとてもHappyなバースデイだったんですね。おめでとうございました。
    丁度その日、一宮のM.K君とステージ3チラシの件で急遽会うことになり、ポレポレでの桑山さんの舞台挨拶のこと、映画のことなど話してもらっていました。
    「いつもつながってます」とコメントを入れていただいたステージ2のポスターは、この1年パソコンの前に貼り、折りに触れ、“つながる”のいろんなカタチを思ったり考えたりしました。
    運命の赤い糸ではないですが、色々な糸を感じることが増えました。
    糸がだんだん太くなっていったり、数本が遠くでそれぞれつながっていたり、複雑になっていったり。きれいだったり、きたなかったり。
    あ、地球のステージって “桑山さんと、映像で出会えた子どもたち” がいつの間にか私たちをつないでくれていたんですね。(もともと気が合うから会場で会える人、久しぶりに逢いたくて案内した人、未知の出会うべき人、一期一会の人…) どんどんつながりたいし、つなぐのに少しでも役立ちたいこの糸に。
    そうそう、桑山さんへ20数年ぶりの再会の糸、1本プレゼントできそうです v(^-^ )
    3月1日にお逢いできるのを、こころ待ちにしています。
    ↑実はコメントを打ち込みながら寝てしまい、関東の友人から「いま、NHK第1でインタビューしてるよ。桑山さん」とメールをもらい飛び起き、声を聞くことができました。
    彼女とつながってて良かった!彼女は、ポレポレで監督あいさつが上映の前と後に聞けたそうです。

  11. 知人から教えられて「ありがとうの詩」を東中野ポレポレで見てきました。桑山先生のような若い素晴らしい方がおられることを知りたいへん感動しました。優しく、勇気のある生き方に心から拍手いたします。CDを購入し、夜ベットで聞きながら涙を流しています。私の父は太平洋戦争末期に召集されて満州に送られ、シペリア抑留中亡くなりました。戦争の傷は何十年経っても完全に消え去るものではありません。映画の中で怯えていた子供たちが、元気に、戦争のない普通の生活を送り、幸せな人生を送って欲しいものと願ってやみません。先生もお体に十分お気をつけてお過ごし下さいますようお祈り申し上げます。素晴らしいお母上に感謝いたします。

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