起きたら朝でした。
初めてちゃんと眠れた夜でした。深夜に空爆が止み、雨の音が聞こえます。
「停戦になったんだ」
街がしっとりとしていました。
この空爆のない日々が続くといいなあ、と思っていたら、ダルウイーッシュが言いました。
「ケイ、これは戦争が終わったってことじゃないんだ。元の占領された日々が戻ってきただけなんだよ。イスラエル軍はこれからもガザの支配を続けるんだから、停戦になったことがすなわち、パレスチナ人の苦悩がなくなったってことじゃないんだ。だからこの“停戦”ってやつが恐いんだ。世界がそれで“ガザがよくなる”と思ってしまうからな。停戦が来たって、もとが仕掛けられた戦争なんだから、本当の平和が来るわけじゃない。それを間違えてはいけないよ」
さすがにダルウイーッシュ、ここに暮らす人の言葉に教えられました。
さて、ラファ市立病院のERは大にぎわいです。
今まで空爆を恐れて来た人が、その恐怖から開放されて一気に来ます。ありとあらゆる患者さんが来るのがER、救急救命室。発熱、下痢、咳、やけど、骨折、疲労・・・。
でも76歳になるハミーダおばあちゃんはちがいます。
ハミーダおばあちゃん
「おとといなあ、近くに爆弾落ちたからびっくりして逃げようとおもったら足ひねったんだよ~。痛くて痛くてしょうがなかったんじゃが、昨日は爆撃がひどくて来れんかったんじゃ~。診てくれるかの~」
こんな爆撃の被害もあるんです。76歳にもなるおばあちゃんを爆撃で脅かすなんて、本当に人間の仕業とは思えません。
レントゲン撮ってみたけど、骨や関節には異常がありませんでした。
「おばあちゃん、骨とかつなぎ目は何ともなかったよ。でも痛いだろうからとりあえず痛み止めのお注射して、お薬もらって帰ろうね」
「おお、ありがとよ。お前はジャパニ・ドクターか。こんなひどいところによく来てくれたの。きっといいことがこの先もあるぞ。今日はありがとなあ」
もうハミーダおばあちゃんが空爆でケガしませんように。
仕事が一段落すると、パレスチナ人のスタッフはみんな話し好きだから寄ってきてくれます。片言の英語、片言のアラビア語でも十分通じあう気持ちがあります。
ER看護部の師長、アフマッドさんが言いました。
アフマッドさん
「ケイ、お前にアラビア語の名前をやろう。お前のパレスチナの名前は“モフター“だ。」
「モフター?」
「そうだ、それはKey、つまり“鍵”という意味だ」
「ほう」
「お前はケイと呼ばれている。ケイは英語で言うとKeyだな。それは鍵だ。お前は実はいろんなところを開ける鍵なんだ。ラファの検問所も開いていないはずなのにお前は開けて入ってきた。困難な鍵を開けて新しい世界へつなぐ、そんな意味を込めてお前のパレスチナの名前はドクトル・モフターだ!」
大切な名前をもらいました。
夜、ダルウイーッシュの友人のマジディの家にみんなで集まりました。
18人が、一斉に同じものをつまむ素敵な食卓。そしてにぎやかな団らん。笑いが家の響き渡ります。でもマジディの家は国境に近いために12月27日から避難して実に3週間ぶりのわが家への帰還だったのです。
マジディの家での18人会食!
戦争はまだ完全には終わっていないけど、空爆の恐怖に怯えないでもすむ時間が戻ってきたこの瞬間を目にして、
「ひとまず自分の活動は終わった」
と思いました。
明日19日(月曜日)にはエジプト国境を抜けてカイロに出るつもりです。うまくでられれば火曜日の夜に成田空港に着くと思います。
翌水曜日は午後から神奈川県の中学校で歌っているでしょう。
どうかうまく出域できますように・・・。
このホームページを見て下さり、本当に多くの書き込みがありました。その一つ一つを読みながら、どれほど励まされたでしょう。正直、なんども書き込みを読みながら自分は泣いていました。それほど厳しい環境の中で、大切な救いでした。
こんなに、人からの励ましの言葉が、人に勇気を与えてくれるものだとは・・・。僕は改めて、人間が「人間が”願う”という気持ちを持つこと」がどんなに力のあることか気付かされました。空爆に怯える夜は、急いでもう一回保存しておいたその書き込みの文字一つ一つを何度も何度も読み返しながら自分を励ましていました。
「みんながこんなに応援してくれているんだ。よし、耐えよう」
そう思ってここまでやってきました。
やっぱり人間を支えるのは”人間”なんです。
皆さんの書き込みの一つ一つが、そうやってガザに居残った僕を支え続けてくれていました。
皆さん、本当にありがとう。
これからも僕たちの活動と、そして「地球のステージ」、10月1日に宮城県名取市に開業する「東北国際協力クリニック」をよろしくお願いいたします。
10月1日、NPO法人「地球のステージ」もこの仙台都市圏に引っ越ししてクリニックと共に新しい国際協力の拠点として統合します。そこには「地球のステージ」の本部、国際協力を視点に入れた一般内科と心療内科のクリニック、そして「地球のステージ」ミュージアム、50畳のミニステージができるホールを設置する予定です。
皆さんぜひ遊びに来て下さい。
無事出域できたら、またご報告します。
桑山紀彦
涙ながらに読みました。私も少しは役に立った?
日本でも多くの人たちがが、現地にいるが如く緊張していましたよ。イスラエルの一方的な停戦のあと、ハマスの攻撃・・・まだまだ続くのかと思ったけれど、条件をつけてのハマスの停戦。これですこしは静かになる。
日本での、果たさなければならない役割がたくさん待っています。
クリニックのことも公にされましたね。
内科の開業もあるとのことですので、このブログをごらんのみなさまへ「患者登録」のお呼び掛けをいたしましょうね。主治医はドクトルKではありませんから。
どうぞ、気を緩めずに帰国の途についてください。お待ちしています。
めざましテレビ見ました!!
桑山さんの声で現在のガザの状況がわかり少し安心しました。
これからも『地球のステージ』応援し続けていきます★
頑張って下さい!
「ドクトル・モフター」素敵な名前をいただきましたね!何よりの大切なプレゼントですね。停戦が成立し、爆撃の中の脱出ではなく、「ひとまず自分の活動は終わった」という区切りをつけて帰国の途につくことが出来、ホッとしています。帰国に向けても困難があることと思いますが、あきちゃんと二人で切り開いて(鍵を開けて)帰って来てください。
お二人の笑顔を皆さんが待ちわびています。
先生、めざましの LIVE中継みましたよ。
一安心しましたが、ブログに書いてある事がガザの真実なんですね。
私も先生のブログをみて涙がでてきました。
なんとか無事帰れそうですし、良かったです。
でも最後まで気を抜かないでくださいね。
お疲れ様でした。
とにかく一言。
どうか無事で、早く日本に帰ってきてください。
そしてウチのコーヒーで、ほっと一息ついてくださいね。
本当に、本当にお疲れ様でした。
また、札幌からお伝えしたいことがあるので、その一報を楽しみにしてください!!
空爆止んだと聞いてとりあえずホッとしました。でもそれで終わりじゃないんですね。ダルウィッシュの言葉は重みがありました。想像を超えてます。これからもガザの人々のことを想い、祈りを続けます。
まだ眠いのでそんなことくらいしか書けませんが…
2人とも無事に帰って来て下さい。祈っています。
Mariko,from Fukuoka
ステキなお名前ですね!
感動しました。
ゆっくりと眠られたと知りほっとしました。
また地球のステージをみたくなりました!
どうかお気をつけて。みなさんの願いに導かれ無事帰国されることを祈ってます。
たくさんの人による、メールの転送により、桑山さんの出るテレビ放送は、あっという間に知れ渡ります。yuukoちゃんも、すぐにHPをアップしてくれるので、今回ほど桑山さんたちの活動がよく分かったことはなかったですね。
コメントを書き込まなくてもブログを見ていて、桑山さんの動向を案じている方がたくさんいる・・・というのが、良く分かりました。
「鍵」ですか。素敵な名前です。桑山さんは、今回のガザ入りで、たくさんの人の心の鍵を開けていきました。パレスチナの人たちにも、桑山さんは、一つの鍵になっていくことでしょう。
ドクトル モフター!
素晴らしい名前をいただきましたね。
世のため、弱き人たちのために、命を懸けて
行動されている先生を偉大な力が見捨てることはない! 皆さんの祈りが届き、大きな力は絶対に先生を護っていてくださる!とは信じながらも、心配でなりませんでした。息子が戦地にいっているようでした。
そして、縁の下の力持ち、後藤さん、
本当にご苦労様。
ご家族のみなさん、スタッフのみなさん、
そして ”地球のステージ”で繋がった皆さんが心がひとつにして祈ったことが届きました。 今はあふれる涙、涙、涙です。
今年のお母様のお誕生日には”ご心配”の
プレゼントでしたが、これからのお母様に
とっては ”のりひこ”さんご自身の存在が
ほかの何ものにも代えることのできない
世界一素晴らしい、大きなプレゼント
となりました。
ドクトル モフター、亡きお父様も全力で
御守りくださいました。 ご帰国後はお忙しいスケジュールが待っていることでしょうが、まずはお父様のお墓参りをお願いします。さぞ、喜ばれることでしょう。
ラファを出られるまで、気は許せませんが、
どうぞ、お気をつけてください。
いつの日か桑山さんの笑顔にお目にかかれるのを楽しみに 私たちも頑張ります。
先生、後藤様
漸く、停戦のようですね。でも、十分気をつけてお帰り下さい。山形は、今朝(19日)は小雨模様です。気温も随分上がっており、雪もだいぶ溶けてきましたが、午後からは雨が雪に変わってくる天気予報です。
お二人が山形にお戻りの時は、真白い、純白の山々がきっと心より歓迎してくれるでしょう。
お戻りになったら、いっぱいやらなければならない事があります。覚悟してて下さい。
とにかく、気を付けてお帰り下さい。皆で待っています。
ドクトル モフター 桑山様
めざましテレビ見ましたよ!
現地での活動お疲れ様です。
以前は、各国の紛争なんて他人事だった私ですが、地球のステージを見て以来、色々な紛争の背景、そこに暮らす人々、人種を知るようになりました。
このような悲惨な出来事が少しでも減るよう心から願っています。
網走中央小おやじの会 yamazaki
昨夜のNHK&今朝の目覚ましテレビ(2回)桑山さんのご活躍見ましたョ、停戦状態でもまだまだ危険、気をつけてご活動され無事二人で帰国を。
桑山さん、アキちゃんお疲れ様でした。くれぐれも気をつけて帰ってきてください。焦らないで。
今回の桑山さんの行動で、また背中を押していただいたような気持ちです。多くの方がそう思っておられることでしょう。ガザの人も日本人が遠くの地から戦禍をくぐり、見捨てないで来てくれたことを忘れないでしょう。
僕は今、島根の田舎でもファンヒーターのまわっているダイニング(台所というべきか)でコーヒーを片手にノートPCでこのブログを見させてもらっていました。
ダルウイーッシュ先生の言葉にあるように停戦だからと云ってガザに平和が訪れたわけではないのですね。
ガザの人々に暖かいところはあるのでしょうか?
これからまた生き抜くために薪を拾いに出るのでしょうか?
配給を求めて歩き回るのでしょうか?
泣く子をあやす場所があるでしょうか?
肉親を失った人々には墓の前から立ち上がる気力が残っているでしょうか?
僕たちも平和を訴えます。募金をします。
桑山先生がガザに入られてから、ブログを心配で拝見しておりました。昨年、小泉中学校で子供達と地球のステージで桑山先生のお話と歌を拝見し、一看護師の自分としても深く考えさせられ、子供達と戦争について話し合っています。祖母が従軍看護婦をしていた頃の話を思いだし、桑山先生の空爆の恐怖が重なり、ピリピリと伝わりました。
どうかご無事に戻られ、また小泉中にいらして頂けることを願います。
桑山先生がガザへ入られてから心配でブログを拝見させて頂いてました。
昨年、小泉中学校で子供達と地球のステージで桑山先生のお話と歌を拝見し、いち母親として、いち看護師として深く考えさせられました。ことあるごとに子供達と戦争について話し合っていましたが、目の前で歌っていた先生がガザに行ったという事は中1、小2の息子達にとってテレビの中の事でなく身近かに感じ、CDを聞いて“大丈夫かなぁ”と心配してます。
私の祖母が従軍看護婦で、話してくれた戦地での悲惨な状況と気持ちを桑山さんの空爆の時書かれた日記を重ねて、胸が詰まりました。
どうかご無事に戻って来られ、是非また小泉中にいらしていただける事を願います。
私は、申し訳ない話、あなたの兄であるというだけの何でもない存在なのであります。従って、これまで、遠くでニコニコしているだけを堅持し続け、そして、これからもそうであり続けることでありましょう。
しかし、今回だけはいてもたってもいられず、思わずコメントしてしまいました。(近い親族で戦場に立ったのは、太平洋戦争時の母方の英一伯父と稔伯父の他、あなただけなんですから。)
更に、皆さまからの沢山の熱く暖かいコメントを拝読させていただき、お袋になりかわりまして、また親族を代表いたしまして、この場をお借りして御礼申しあげます。本当にありがとうございます。
天国の親父だけでなく、「地球のステージ」支えてくださっているすべての方々の祈りが通じたようですね。最後の最後まで気を抜かず、ふたりが無事帰国されますように。
それと、改めてAkiちゃん、あなたが同行してくれているということが我らにとってどれほど心強いか!「Akiちゃんもいるんだからそう無茶はすまい。」とまさに「一縷の望」的存在です。ありがとうございます。
それにしても、アラビアンネーム、「モフター」、「鍵」ですか。何と素晴らしい、あなたのすべてを包含し、言い表し尽くしている、まさに絶妙な名前です。
人生に「心の傷」や苦労、困難なんてものは無ければ無いに越したことは無いのかもしれませんが、しかし、それらが現に存在し、また、たとえ目の前に立ち塞がったならば、それを克服すること、しようと努力し、もがくことがいかに大切かをあなたを見ているとつくづく実感します。
めざましTV 06:32~06:36JSTのライブ拝見(拝聴)しました(05:25からTVの前に正座していました)。
大変クリアな音声でとても彼の地からとは思えず、そして冷静なアンサーは、さすがDr.桑山、でした。
本ブログはライブインタビューの40分前にUpされたのですね! ライブの後でブログを拝見し、実状はこうなんだ、3分30秒ではとても語れぬ、と実感。
今頃は帰国の途の朝を迎えられたころでしょうか。
本当にお疲れ様でした。
「功名の木登り」ではないですが、山形に着くまでどうぞ気をつけてお帰り下さい!!
桑山先生、akiちゃん
どうぞご無事の帰国をお祈りしています。
大阪の北口さんからのメールで、今回の事を知り、
テレビは見られなかったのですが、ブログで現地の
様子が伝わってきました。
私たちにできることを考えさせられました。
傍観者ではなく、当事者として関われること。
この現状をとにかく知っていただき、それぞれの
できる支援を続けていきたいと思います。
みなさんの思いが通じ無事の帰国と平和と願わずにはいられません。
菅生中学校です。
毎日のブログ・報道に胸がつまる思いでいます。
授業で、新聞記事を読みました。TVを見た生徒もいました。
桑山さんを通して知るガザの人々の、そして世界の平和を強く願っています。
今年のステージの予約を入れます!
ガザに入ってからのブログは読んでいるこちらも辛くて、いつもの桑山節を感じる余裕もありませんでした。
でも今回の、ハミーダおばあちゃんの言葉
「おお、ありがとよ。お前はジャパニ・ドクターか。こんなひどいところによく来てくれたの。きっといいことがこの先もあるぞ。今日はありがとなあ」
これは桑山さんの声で、まるで地球のステージの公演のように聞こえてきました。
ほっとしました。
しかしこれで終わりではありませんね。ガザの今後を注視したいと思います。気をつけてお帰り下さい。
今、本年度の最終講義を終えました。
毎年、最終講義にはある決まった質問をします。
「この中で中学か高校で『地球のステージ』というのを聴いたことのある学生はいますか?」
今年もいました!茨城県出身で何と中学、高校で2回も聴いたそうです。さすが「茨城!」ですねえ。
「あそこで登場したシンガーソング・ドクターの名前を覚えているかな?桑山って言うんだよ。私の弟。」
その彼や彼女にかつて聴いたステージの感想を述べてもらった後、私から皆に「地球のステージ」について説明して講義を閉じるということをやっています。全国から集まり、全国へ就職していく学生たちにこうやって「地球のステージ」を「宣伝」しています。
国境は無事越えることができたかな?
桑山先生・akiちゃん。お疲れ様でした。
無事に国境を越えて、コメントを拝見できますように。。。
Dモフターのコメントを読んでいて、涙がこぼれてしまいました。
停戦になってよかった、爆撃が止んでよかった・・・と、TVを見て思っていたのです。
でも、そうではない現実。
言われて見なければ分からない、そういった世界に私は居たんだな~~と実感いたしました。
仙台に、遊びに行きたいな~~~!!
無事を心からお祈りします。
桑山先生の活動に、日本にいる私達も励まされています。そして、先生の安全を心からお祈りしてます。感謝をこめて。
桑山先生、akiさん
お二人が、今日までこうして無事に過ごすことが出来て、とてもホッとしています。あとは無事に帰国されますようにお祈りいたします。
ダルウィッシュさんの言葉には、とても重みがあり、いろんなことに気付かせていただきました。ありがとうございます。
桑山先生のアラビアンネーム、とても素敵ですね。先生の全てを言い表しているように思います。
帰国されたら、またお忙しい日々が続くのでしょうが、陰ながら応援しています。また「地球のステージ」でお会いできることを楽しみにしています!
今、私の通っている教会の方々に募金を呼び掛けています。近いうちに振り込みできると思いますので、僅かではありますがお役にたてたら幸いに存じます。
めざましTVに桑山さんが
出ているのを拝見して、
何だか勝手に他人のような
気がせず、TVに食い付きながら
見ていました。
このblogを通して、
桑山さんと、そして
ガザと繋がっていられる
ことに感謝します(.⌒`)
帰ってこられると聞いて(読んで)ヒト安心をしました。ただ、帰国された桑山さんが、とても忙しくなるのではないかと勝手な心配もしています。あの状況でガザに入った、入ることのできた医師なのですから。
このところ、何人かの友人からメールで桑山さんのテレビを見たと知らせてくれました。みんな、地球のステージ島根公演を見に来てくれた友人です。事前に桑山さんの出演を知らせていない友人もいました。そして、みんながまわりの人に伝えようと言っています。桑山さんを通して、ガザの問題が急速に身近なものになっていったのだと思います。みんながが考えた色々なこと、大切にしたいと思っています。
無事の帰国を待っています。
1月19日(月)21:54~ 報道ステージョン(テレビ朝日)
※現地からの映像、インタビューを放送予定
いつもテレビの情報を教えていただいているので、書き込みしておきますね
はじめまして!
この間のガザでの体験が、きっと生かされるだろうと思います。
・・・ここ3日間、桑山さんのブログを毎日読ませて頂き、その都度送られてくるガザでの情報に鮮烈な印象を持ちました。
・・・身の安全がない、危険な医療支援も厭わず、恐怖心に身を震わせながらやるべきことを実行する行動力に敬服します。
桑山さんの勇気は、多くの新たな勇気を生み出し、平和の為の人間の鎖はより大きくなって行くと信じます。
5月に大阪にて「地球のステージ」を開催される旨聞いています。
その時にはぜひ、私も参加させて頂くつもりです。
ガザの人達の復興は並大抵のことではないでしょう。
彼らの戦いは、また終わることなく続いています。
でも、日本とガザの人達の友好の絆は、より固いものになったように思います。
お体大切に。
ずっとブログを観ていました。本当にお疲れ様でした。絶句し、緊張し、感動しました。OT室の廊下にプリントアウトをして新聞の切抜きと一緒に張り出しています。何人かの患者さんが、足を止め熟読してくれます。「どうぞ無事返ってきてください」と声をかけてくれます。そういうみんなの想いを一緒にお伝えしようと書き込みました。「凄い・・・」と絶句した方もいました。OT活動のなかで戦争や侵略について語りました。院内ですらこうなのですから、様々な場所や場面で平和への関心の高まりや、感動などの反応が起きていると思います。
とにかくどうぞ無事で山形に帰ってきてください。
新聞に3日前の救急車で子どもを診ている桑山さんの写真が載っていました.
この数日間この地球のステージブログを見て、今まで知らなかった大切なことが少しですが知ることができました.
テレビで国のトップ同士でしゃべっているのを見ました.あの人達も苦労しているのだろうけど、桑山さんと周りで耐えて頑張る人々をこの生々しいブログで見ると腹立たしさを覚えてしまいました.
無事に帰国すること、
ラファの皆さんのご無事を祈っています。
桑山さん・明子さん
毎日のブログから無事で頑張っておられる姿を確認し、TVからの声と新聞のコメントや写真から、とても勇気づけられています。
お二人の行動力と判断力の素晴らしさは、皆さんがご存じの通り。ただ何が起こるか分からない地での活動です、やはり心配が先に立ちます。「日本の地を踏みました」と言うブログをまもなく拝見できるのですよね。待っております。
私は先週、自転車でぶつかり後頭部を5針縫いました。その時も桑山さんやガザの人たちの事を思い浮かべ、たかが5針…と強くなれました。明日は抜糸です。また桑山さんを思い出し強くなれそうです。
たくさんの勇気をありがうございます。
日本で待っている私たちは、こうやって勇気を頂いているのです。
「地球のステージ」を見た友人も、まだ見ていない友人も、そして私も、桑山さん・明子さんの帰りを待ってます。
娘と二人で桑山先生の安全をお祈りしております。
どうぞ、ご無事で山形にお帰りください。
御家族のご心配いかほどかとお察しいたします。
ただただ、遠い山形よりお祈りするしかできません。
また、地球のステージをみせてください。
桑山先生、akiさん、今日まで無事にこられて良かったです。毎日気になってblogを拝見しながら更新されていることに勝手に安堵していました。
ダルウィッシュさんの言葉には、とても重みがあり、ハッとさせられました。気付かせていただき感謝いたします。ありがとうございます。
アラビアンネームも素敵ですね。桑山先生のことを、よく表現している言葉だと思います。
無事に帰国されて、また「地球のステージ」でお会いできることを楽しみにしています。
地球のステージはどんどん進化を続けていくのですね。
桑山さんはパワーと実行力でそのアラビア語の名前のとおり不可能なことの鍵を開け、思いを実現していくのだと思いました。
さらにパワーアップしたステージでまたお会いできるのを心待ちにしています。