パレスチナにいる桑山さんから現地の様子が送られてきました。不安定な通信状況なので、HPの更新は難しいようですが、情報が届き次第、逐次アップしていきたいと思います。
*********************************************************
おそらく通過できないに違いないと思う気持ちと、通過しないと何もわからないという気持ちがごっちゃになって、国境に再びやってきました。手続きに入ったところ実にすんなりと
「行け」
エジプト軍の担当官が言いました。と同時に
ズド~ン、ドド~ン
また着弾です。正直ひるみました。でも、ダルウイーッシュに電話したら、
「来るなら受け入れるぞ。国境からラファまでの道を気をつけろ。ラファ市内に入ったら大丈夫だ」
決心がつきました。やはり友人が待っている。震える足が前に進んでいきました。
エジプトの国境ターミナルで待つ間も、上空を戦闘機が飛び交い、また着弾。つい200Mしか離れていないところから土煙が上がりました。でももう引き返せません。
ここまで付き添ってくれた仲間に別れを告げてバスに乗り込み、つい100M程しか離れていないパレスチナ自治州ガザ地区に入域しました。空はよく晴れていて、戦闘機がミサイルを発射する瞬間がとてもよくわかる悲しい空が、そこにありました。
情報は伝わっていて、早速救急車が迎えに来てくれています。
「ドクトルKか」
「はい」
「ラファ市民病院へ行くぞ」
クルマは走り出し、いつもの見慣れたラファの街に入りました。僕たちが5年間活動した白い倉庫のような活動場もそこにありました。ところが、至る所に巨大な穴と破壊された家が。決して国境線近くではありません。街の真ん中にも着弾していました。
ラファの現状
通い続けたラファの街がこうして破壊されていました。
ラファ市民病院はたった50床しかない小さな病院ですが、ラファ全域をカバーする忙しい病院です。すでに満杯で、昨日爆撃で右足を失って瀕死の男性がベットでうなっています。まさに戦場の病院。
院長と話しあい、ER(救命救急室)で働くことになりました。
そして夕方、小さな女の子が運ばれてきました。顔色は土色、呼吸微弱、瞳孔反応なし。瀕死です。家族が「何か毒になるようなものを飲んだみたいだ」といいます。
これはまずい。目の前で1歳8ヶ月の女の子が死にかけています。父親が叫びました。
「どこもここも爆撃の被害者優先で、今朝から調子が悪いって言ってここへ来ていたのに、薬ももらえなかったんだ!!」
戦争による被害がこんな形で起きています。小さな子どもの日常的な病気が先送りされてしまい、結果瀕死になってようやくERで受け入れられている現状なのです。
市立病院の医師たちと
胃洗浄を行い、100cc程の白い液体が引けました。しかし胃の中に入った毒物はかなり吸収されてしまっているでしょう。それでも100ccは引けたのでとりあえず小児専門医のいるヨーロッパ病院に運ぶことになりました。
みんなで救急車に乗り込みます。
「ととと、ところでそのヨーロッパ病院ってどこにあるんだ?」
「まあ、15分くらいのところだよ」
心の中に
「救急車こそが狙われやすい。病院の移動には気をつけろ」
といわれたことが蘇って来ましたが、とにかく子どもが死にかけているのだから進むしかありません。
救急車がけたたましくサイレンをあげて走り出しました。僕は後ろで子どもに付き添い胃洗浄を続けました。
いつミサイル攻撃がくるんだろう、という不安。でもこの子を助けないと絶対にまた後悔するという思いに挟まれて、苦しい搬送になりました。
救急車で子どもを運ぶ
ヨーロッパ病院について、小児専門医に託し、
「お疲れさん!日本人の医者か?がんばれ」
と声を掛けられ、市立病院に戻りました。
一仕事終わってダルウイーッシュに電話してこのことを話したら、
「ヨーロッパ病院!?一番危ないとこじゃないか!大丈夫か?」
へなへな、腰が抜ける思いでした。
でも、そんなところをものともしないで働き続けるパレスチナ人の医師、看護師、救急隊員、運転手の団結力の素晴らしさ。
「オレたちは人の命に関わってんだい!」
という心意気を見せてもらいました。救急車は140キロのスピードで小道を駆け抜けていくんです。もちろん攻撃をかわすため。まるでジェットコースターに乗ったような救命活動です。いちいち悲鳴を上げる僕を後ろの医師や看護師が笑います。
「おい、ジャパニ・ドクター、おれたちゃこんな感じなんだ、いつも!」
「すごいよ、やっぱり来れてよかったよ。みんなにあえて本当によかったよ!」
「明日もきっと大変だよ」
命を懸けた甲斐のあった一日が終わっていきました。
共に働いたパレスチナ人の医師と
桑山紀彦
すごい! 生の声だ!
桑山さん、がんばってきて!!!
1日も早い停戦を望みます!!!
私も、救急病院にいたので、現場の慌しさが想像できました。が、自分が爆撃されるかもという不安は、日本では、まずありえないでしょう。
イスラエルの攻撃で出た負傷者を、危険を冒してまでも診る医療関係者・・・!!
戦争は矛盾だらけです。
このブログを、多くの人に見てほしい。感じてほしいと思いました。
先日のブログで恐ろしいと思って当然と思いました。
伝えたい気持ちを文字にする事はとても難しくて悩んでいるうち無線パソコンのバッテリーが切れてしまいました。
・・・一日したらまさか・・・
状況が激変でおどろきました。ついにガザ入りを果たされたのですね。
何事にもめげず、こんなにも貫く人と逢った事はなかった。
この行動力は凄過ぎます。
と思うと同時に不安でたまりません。
しかしもう本当にひきかえせないのですね。
祈るのみです。 絶対、無事で・・ 信じていますから。
信じていますから・・・。
京都のステージを拝見させていただいたものです。
桑山先生の行動力や信念に心を打たれました。
家族のように桑山先生のご無事を祈るばかりです。
今までこういった国際情勢には目をそらしてきた私ですが、桑山さんのステージを見てから、何かできないかと思うようになりました。
世界の人たちが家族のように思いやり平和な世界になりますように。
桑山さんや周りにいらっしゃる方々の行動や平和を願うみんなの気持ちが世界に広がり停戦につながりますように。
私も何か自分で出来ることをします。
桑山先生、どうかご無事で。
病院で働く皆様、患者の皆様の無事を祈っています。
ガザ入りをIさんからの連絡で知りました。
朝刊にも出ていますね。
今までにない緊張と心配をしています。
5月にはつくばで総会ですからね。
どうか気をつけて。
今回の内容を読むうちに、「ステージ2」での救急車が標的となった画が脳裏をかすめました。
今の桑山さんに「無理をしないで」という言葉は通じないと思いますが、本当に無事で帰ってきてください。
「地球のステージ」ができるのは桑山さんしかいないのですから・・・・
どうしてそこまで・・・
涙が出てきてたまりません。
桑山さん:)
今日高校の先生と
地球のステージについて
話をしました(^ω^)♪
3年前に桑山さんが
長崎日大に来て下さった
ときの話を聞きました:)
先生がイキイキした顔で
話して下さるのを聞いて
地球のステージを体験
したいという気持ちは
高まるばかりです(^^)
ガザの状況は日本でも
放映されています(>_<)
どうかご無事で
帰国なさって下さい。
本日、BS-1 22:15~「きょうの世界」にて桑山さんが電話出演します。
是非見てみて下さい。
え~! 見たいけど見ることが出来ません。
内容だけでも教えていただけませんか?
お願いします~。
桑山さん、
入ってしまったからには、絶対無事で、無理し過ぎないで、でも頑張って。
祈っています。
桑山さんの無事を、少しでも犠牲者が少なくなるのを、理不尽な戦争が早く終結することを、平和が訪れることを。
みんなで祈っています。私たちの力強い祈りはきっときっと神様に届くでしょう。
深く、強く祈っています。
日本全国、いや世界のみんなと祈っています。
桑山さんの元気な声を?で聞くことが出来て、ほんの少しホッとしました。どうか無事に日本に戻って来てください。地球のステージでまたお会いできる日を楽しみにしています。大変でしょうが、頑張ってください。
桑山さんの元気な声を?で聞くことが出来て、ほんの少しホッとしました。どうか無事に日本に戻って来てください。地球のステージでまたお会いできる日を楽しみにしています。大変でしょうが、頑張ってください。
桑山さんのメッセージ、TVを通して沢山の方々に伝わったと思います。
TVをご覧になった方々が合わせてこのブログも見ていただけると、パレスチナのこともっと身近に感じみんなの意識が変化し影響しやがて流れも変化するのではないでしょうか?
沢山の人見に来ていただけるようにお伝えします。
桑山さん!ガンバ!!
TVみました。本当に尊敬する行動です。どうかご無理をなさらずに。桑山さんのご無事を心よりお祈り申し上げます。
どうか無事に日本に戻って来てください.
中野ポレポレ東中野映画上映での
2月1日の舞台がまっています。
どうか無事に日本に戻って来てください.
中野ポレポレ東中野映画上映での
2月1日の舞台がまっています。
無事、ガザに入ることが出来てよかったですね。想像以上の光景に読んでて涙が止まりませんでした。それにしても、本当に困っている人のために空爆の中命がけで医療に向き合える先生の勇気はすごい!!1人でも多くの人が救われるよう祈っています。先生頑張ってください。そして絶対無事に帰ってきてくださいね。応援しています。