ミャッセ・ミャー村~その6

イェイェさんのご両親。

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 お父さんはウ・ツーカさん。52歳。お母さんはダウ・ティンサさん。48歳。ミャンマーでは家族の名前はなく、それぞれがそれぞれの名前を持っています。従って父系や母系社会ではなく、個々が家族を営む戸籍独立社会です。

 お二人の出逢いは今から32年前。あるお祭りでのことでした。

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「実はうちの夫はパオ族ではなく、インレー湖のほとりに住むインター族なのです。彼のお父さんは村長でした。

 あるお祭りの時、私の父も村長をしていましたが村長同士で交流があったため、夫のお父さんが私の村にやってきました。私の父である村長とはなしをしているとき、彼のお父さんは私を見て一目で気に入り、是非うちの息子の嫁にと言ってきました。

 うちの父は他民族との交流が好きだったので、二つ返事でありましたが、私は一つだけ条件をつけました。それは、”お酒を飲まないこと”。私は小さい頃からお酒の臭いが苦手でしたし、お酒で身を持ち崩す人を見てとても不安だったのです。すると、夫のお父さんは、”うちの息子は絶対に酒を飲まない”と約束してくれて、結婚となりました。

 でも私はその時16歳、夫は20歳です。酒浸りなはずないですよね。

 そして彼は私の村にやってきました。それからあっという間に32年。8人の子どもと仕事に恵まれ、ここまでやってきました。」

 なんとも素敵なドラマでした。

 ミャンマーは日本のような父系社会ではないので、この場合もお父さんがパオ族のお母さんのところにやってきたわけですが、それは「婿入りした」というわけではなく、二人で家族を築き、それがたまたまお母さんの家で住むことになった、という話になります。だから日本のように「名前が途絶える」とか「マスオさん状態」といった苦労はありません。

 

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 前日、僕はお母さんに2つの質問をしました。横にはイェイェさんがいましたが、その「母の語り」はとても心に残るものでした。

「お母さんがイェイェさんを育てるにあたって、大切にしてきたことはなんですか?」

「はい、それは”親は子どもに全てを与える。でも子どもからは何も求めない”と言うことです。

 親は子どものためだったらなんでもする。でもその見返りを決して子どもに求めたりはしない。それを心に命じて、この子に接してきました。

 長い年月の中では、作物が育たずどん底の暮らしだった頃もあります。でも、この子が勉強したいというのであれば何が何でもこの子を学校に行かせてあげる。それが親としての役割だと思ってきました。この子は、とてもよく頑張って自分の道を切り開いてきたと思います。」

 

「お母さんがイェイェさんにこれから望むことはなんですか?」

「あなたはこの村で生まれこの村で育った。この村があなたをここまで育ててくれたのです。だからこれからはあなたのできる精一杯の力を持って、この村に貢献していきなさい。それがあなたの役割なのです、とそう伝えています。」

 イェイェさんは静かに聞いていました。

 

 親子の絆。これほどまでに強くつながった親子の絆にふれたことは最近ありませんでした。この家族に触れて改めて自分と母親のこと、自分と息子たちのことに思いを巡らせました。まさにこの家族との出逢いは、自分の”今”を写し出す鏡のようなものだったのです。

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 このお母さんに勧められた納豆。そう、ミャンマーにも納豆があります。これまで人生において、頑なに食べることを拒んできた納豆でしたが、このお母さんのお手製の納豆というのであれば食べないわけにはいきません。五十数年の決意を破って、納豆を食しました。全ては、この誠実で優しいお母さんのために(そんな大げさなことか?)。

 

 う~ん、ミャンマー、ミャッセ・ミャー村、恐るべし!

 

桑山紀彦

 

ミャッセ・ミャー村~その6」への2件のフィードバック

  1. お酒でだめにする家庭もあるのでしょうが、このお母さんの心構えはシンプルで素直で信念がありますね。
    イエイエさんがの頑張りが楽しみです・。

  2. 「子どもは産まれてきてくれただけで、その時点で『親孝行』を終えている。この世にあるのは『子不幸』だけだ」誰かの言葉です。私はこれをずっと信じて生きてきました。この「その6」には泣けました。

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