ミャッセ・ミャー村~その3

イェイェさんの実家は妙にくつろげる空間です。

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 30畳ほどの大広間があり、大きな仏壇が中央にあって、他にほとんどモノがありません。食事をするときは、その人数に合わせてテーブルが出てきます。そして寝るときも、家族全員がそれぞれのスペースに自由に横になって寝ます。

 電気は昨年10月に来たばかりで、それまではろうそくだった村です。自宅に配電盤を設置して電気を引き込むのに1万2千円かかりましたが、それでも198世帯のうち60世帯は未だ電気が引けていません。でも電気は照明と、時々見るテレビにのみ使い、倹約的で慎ましやかな生活です。

 

 そこに4人の高校生が集まりました。今回私たちが考えている教育支援の対象となる可能性がある高校生なので集まってもらいました。みんな大学まで行っているイェイェさんにあこがれ、彼女のようになることを目指していますが、現実はそんな簡単な話ではありません。まず4人のうち3人が英語でつまずき、卒業試験に合格できずに今「待機」の状態です。その間は個人の先生のところへ通い、卒業するための試験に備えています。勉強も大変だけれど、それでも必死に進学を目指すのはどうしてなのか。

 全ての親が農業で生計を立てています。イェイェさんの家は農業の規模も大きく、かなりの収益があるように見えますが、そんな農家ばかりではありません。大きな農家の手伝いをすることで生計を立てている人は月給をもらって暮らしています。その場合はなかなかに経済的な苦しさが出てしまいます。それでも高校生は進学を目指す。そんな思いを聞きました。

 

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まずエイ・ピョさん。17歳。現在卒業待機中ですが、必ず卒業を目指すと堅い意志です。彼女が目指しているのは国軍大学です。

「私は両親が離婚して今母と暮らしています。母私が勉強好きであることを知っていて、仕事は苦しいのに高校を出し、その上の大学に行かせようとしています。でも、私はそんな母親の気持ちに甘えるわけにはいきません。だから国軍大学に行き、軍の警察官になります。国軍大学は学費がただで、生活費の補助が出ます。これだったら頑張れそう。

 私は軍警察になり、ミャンマーの国に犯罪が少しでも少なくなるように努めたいし、この村のためには「安全に暮らせること」が守られるように貢献したいです。」

 ちょっとタナカ(ミャンマーの人が日焼け止めや化粧として顔に塗る樹液です)の塗りがきつけれどしっかり語ってくれました。

 

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次はイェ・ピョさん。16歳。彼女は現在高校1年生で学校に通っています。自分もいつ留年するのだろうと不安だといいますが、なかなかのしっかり者です。

「私は医師を目指しています。小さい頃から家族のみんながよく病気になっていました。でもこの村には病院はなく、遠く離れたヘイホーの町まで1時間かけて行かなければなりませんでした。病気が重いときはそこからさらに1時間かけてタウンジーの町に行くのです。それだけでもう具合が悪くなってしまいます。

 だから私は医者になってこの村で働きたい。みんな農業や土木に従事しているのでケガ、外傷が多いのが現状です。だから私は外科医になってこの村に貢献したいです。

 確かに医学部は6年と長く、お金もかかります。でも成績で頑張ればイェイェ姉さんのように奨学金を得ることもできると聞いています。一生懸命頑張って、私は医師としてこの村に戻ってきたいのです。」

 彼女のタナカもまた、豪快でした。

 

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続いてスェスェさん。18歳。彼女は卒業待機となっておりちょっと弱気です。もう卒業できないかも知れない、と本音が出ていました。でも、語ってくれました。

「私が目指すのはまさにイェイェ姉さんが歩いている道。そう、通訳者です。村の中でいつもイェイェ姉さんを見てきました。あの頃、この村から中学校にたった一人、雨の日も暑い日も通い続けてきたイェイェ姉さん。さらに奨学金を取って高校からタウンジーに行くなんて誰が想像していたでしょうか。”頑張ればできる”。それが私がイェイェ姉さんから学んだことです。

 でも高校の勉強は難しい。私には無理なのかも、とも思ってしまう。それでも私が大学を目指すのは、こうして村に外国人がやってきて、村が刺激を受けることでここが良くなるということが見えるからです。

 頑張れるかどうか自信なけれど、卒業を目指します。」

 

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そして最後にナン・カンさん。17歳。彼女も卒業待機となっていますがその夢を聞いてびっくりしました。

「私は実は小説家になりたい。みんな笑うけどそれが私の本当の気持ち。私は村にあるあの小さな図書館で本を読みながら時間を過ごすことが、小さい頃から大好きでした。私は聴力に障がいがあります。だから先生の言っていることが時々分からなくなる。でも本は読めばちゃんと私に知識を与えてくれるのです。だから私は本が大好き。

 それでもこの国で小説家としてやっていくことはとても難しい。だから私は少しでも具体的な目標として小学校の先生になることを目指そうと思っています。そして子どもたちに本を読むことの素晴らしさを伝えたい。

 私はこの村が大好きです。この村を発展させることができるなら何でもしたいと思っています。」

じゃあ小説家になれば、「小説家ナンカンが生まれ育った村」として有名になって、たくさんの人が村に来てくれるよ、というととってもシャイに笑いました。

 

みんなこの国で高校生として今を生きています。美化することなくこの現実を見ても、「頑張れば道はひらけるに違いない」とみんなが信じようとしています。この子たちのこの思いを応援することが私たちのミャンマーとの関わりです。

 どうやって応援するのか、来週には皆さんにその計画をお伝えできると思います。

 

 この高校生たちがみんな女性であることにお気付きですよね。この村から高校に通っている11人のうち男子はたった2人です。男子は途中で農作業への期待が高まり、その周囲からの思いに応えるべく学校を辞めていくのです。女子が頑張る姿も素晴らしい。でもバランスからすると男子にも学ぶ機会を提供するべきです。

 もちろんこの村の大人たちは女子高校生に「勉強したいのなら頑張りなさい」と背中を押しています。それはすばらしいことだけれど、男子の中にも勉強したい子どもたちはたくさんいるだろうに、と思うと、無言のうちに「力仕事をするよね」と期待されて道を固定されていく男子への支援もまた必要なのではないか、と強く思いました。でもそれは村の労働力確保という点には逆行することになるのもまた事実。

 「村」というのは関われば関わるほど、奥の深い世界です。

 

桑山紀彦

ミャッセ・ミャー村~その3」への1件のフィードバック

  1. 日本では遠い昔話のような厳しい経済環境の中で、勉学の子供たちの目的が自分でなく村のために頑張る~と言うのに感激します。

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