名取の仲間たち

今日は午前中、名取のイオンモールの「イオンホール」で、JA名取岩沼女性部の講演会でした。
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常に歌い続ける「地球のステージ」のみで対応している私たちは、決して話だけの講演会は受けないのですが、これは前の大屋さん、洞口ひろみさんが会長をしている組織体ですから、これまでの大きな感謝を込めてあえて話をさせていただきました。

 でもやっぱり歌わないと、と思い観客層も50代~70代なので、「青い山脈」を伴奏なしで歌いました。でも歌詞が途中で出てこなくなった~。笑いの中で始まりました。
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 今回は津波を受けてからの5年間の総まとめのようなお話にさせていただきました。自分でもどんなふうにこの5年間を歩んできたのか、振り返るいいきっかけになったように思います。丹野さんの映画のシーンではみんなが涙を流していました。閖上と下増田の農家の皆さんが参加されていますので「あの日」、そして「その後」を思い出しながらの涙であったと思いますが、決して重い涙ではなく、「それでも生きてきた」という気持ちが故の涙だったと思います。

 丹野さんや大川小学校の只野哲也君が言うように、

「乗り越えることは無理。でも受け入れることはできる。」

 そんな想いも共有できたように思います。今回は閖中生で答辞を読んだ丹野勇太君の言葉も使わせていただきました。

 あの時中学校2年生で、そのまま3年生になった丹野勇太君の学年。盟友藤村先生の学年を代表して語った丹野勇太君の答辞は、素晴らしいものです。早稲田大学の政治経済学部に進んだご本人と昨日話しましたが、

「僕の言葉でよければ、どこでも使ってください。」

 とのこと。新しい感動をもらいました。

 そしてふと見れば閖上あみーずの皆さんが、小齋館長がそこにいてくださいました。いつも変わらない仲間たち。やっぱり名取はいいなあ、と改めて思いました。

 

 そしてそのまま事務所にちょっと寄って青年海外協力隊の二本松訓練所へ。平成28年度1次隊の皆さんへのステージでした。学校の先生が多い隊次である1次隊ですがなんとその中に、我がスタッフとして4年近く頑張った桑島愛希子(桑ちゃん)の妹さんがいました。香川で学校の先生をしていますが、今回現職参加で協力隊に来ているのです。
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 そして海老名へ。移動距離は多いけれど全然苦にならない。でも昨日久しぶりに体重計に乗ったらなんと5キロもやせていた~。引っ越し、熊本地震、東ティモール、パレスチナ、本当に怒濤のように駆け抜けた3月~5月だったのでさすがにこの体重減ですね。これは8キロやせた津波のあとに匹敵する感じがありましたが、ご心配なく、すぐ太りますから。

桑山紀彦

名取の仲間たち」への2件のフィードバック

  1. 体重の大幅な増減~寄る年波ということがあります。
    やっぱり気を付けてほしいですね・・・。

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