ついに閖中に重機が

ついに閖上中学校に重機が入りました。

 報道各社、皆さんがいらっしゃっていて、この件の注目の高さを知る思いでした。
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 丹野さんも、大川さんも皆さんお仕事でここにはいらっしゃれませんでした。今日は24日、クリスマスイブですからね。丹野さんもお忙しいのです。

 桑島、武田、石橋、桑山の4人で見届けました。

 桑ちゃんは重機が入る前からもう泣いていました。切ないです。
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 でもこうして進んでいくしかないのだろう、と思います。だからこそ、忘れちゃいけないことがある。この中学校を目指して走った中学生のことを。みんなでいつまでも「忘れないよ」と言い続けることが大切。

 そしてことあるごとに思い出しながら、志半ばで天に昇っていった子どもたちの気持ちに思いを馳せていきます。それが残された者たちの役割。
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 今日もこれから福岡の教会で、そして明日は福岡の小中学校の先生たちと共にステージ公演です。しっかりと伝えていくこと。それが大事。

 丹野さんも昨日、四国は愛媛県の愛南町から送られてきた飛行機もチケットを見せてくれました。ついに単独で美しい宇和海に面した小さな町へ出かけていきます。でもそれは「単独」ではない。空間を自由に行き来できるようになった公太くんと一緒の旅。息子への思いをまた一つ遂げるために丹野さんは出かけていく。

 今日は「重機が入りました」と言う”しるし”を伝えるということで15分ほどで作業が終わりました。あとの作業は年明けから。

 誰がこうした過程を考えてくれたのか…。こうやって一呼吸置きながら「辛い作業」に取り組んでくれます。こちらもそれに合わせながら一つ一つの「過程」をたどっていきます。

 おそらく西松建設さんが計らったものではないか、と思うのです。彼らは自分たちがやっている復興の仕事が、実は「破壊」であることをちゃんと知っていると思う。だからいつも腰が低く、思いやりがあり、気配りがあります。こんな心のこもった建設業者さんに関わってもらえて、本当に良かったと思う。

 年明けに始まると、1週間くらいで形がなくなってしまう可能性があります。まだ見ていらっしゃらない方は、この年末年始に是非いらしてください。ちなみに「閖上の記憶」は年末年始休暇に入りました。年明けは7日からです。

桑山紀彦

ついに閖中に重機が」への2件のフィードバック

  1. 昨日のブログで取り壊しの日を知り、今日午後2時に偶然にも茨城・石岡市内で
    NHKのラジオニュースで閖上中学取り壊しを報じているのを聞いていました。
    名取市が遺構として残すのは津波で止まったままの時計だけのようでした。
    もう少し深い思い入れを残すべきと思いました。

  2. 新たにできる小中一貫校には「被災状況の資料などを展示する
    ミュージアム的施設を整備する」ようです。下記URLの記事より
    http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=10982
    きっと、時計と震災後にメッセージが書かれた黒板なども
    展示されるのではないでしょうか。

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