東ティモール最終日

東ティモールを出国しました。

 2000年1月、この国に初めて降り立ち、ダン先生のサポートという仕事が始まりました。

 あっという間の15年が過ぎていきました。
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(2000年1月)
 

 今日別れ際にダンが言いました。

「ケイ、帰るか。思えば”あの日”が始まって、ずっと関わっているのはわれわれ2人になってしまったな。ワシも歳をとった。いつまでも若くない。」

「ダン、何を言っているんだ。まだまだ若いよ。」

「いや、確実にワシも歳をとっている。疲れも出るようになった。しかしこの国はまだまだだ。私たちがやらなければならないことは、まだたくさんある。」

「そうだね。頑張って続けていこう。」

「そうだな。」
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(現在のダン先生)
 

 ダン先生は70歳になりました。太平洋戦争が終わった年に生まれたのです。これからの10年、この国とどう関わっていくのか、しっかり見据えていかなければなりません。

 でも、確実によくなってきていることを感じる東ティモール。

 人も国も決して立ち止まらない。だからこそ、自分たちも積極的に関わって、この新しい国の国づくりにこれからも参加させてもらいたいと思っています。

 少し時間があったのでこの国唯一のショッピングセンター「ティモール・プラザ」に寄り、明ちゃん、陽さんと伝統な産品の店に行きました。すると、

「あれ?あなたは?ドクター・ケイ?」

「ん??お、あなたは!」

「ベティだよ~!」

「久しぶり!」

「ドクター・ケイも変わってないね~!」

「いやいや、でもこの国にずっと関わり続けているよ。」

「ありがと~!」
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(2000年1月。向かって右端、赤い服が高校生のベティ)
 

 ベティは、2000年に来た時住んでいた家の大家さんの娘でした。あの時は高校生で将来は起業家になると言っていたのです。なんとベティは、その夢をかなえてKor Timorという団体を仲間と立ち上げて、女性の自立のための産品を作ってこのティモール・プラザに店を出していたのでした。
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(おそらく10年ぶりの再開)
 

 エコロジー、リサイクルも取り入れた新進気鋭の女性自立のためのNGOを立ち上げていたベティ。

「ドクター・ケイはそうやってずっと私の国に関わってくれているとは聞いていたよ。アイダ医師を時々見かけていたからね。」

「ベティもちゃん夢をかなえて立派だよ。」

「うん、頑張ったよ!」

 こうして、東ティモールで夢を持ち、それをかなえようと頑張っている人がいます。今度はうちのスタディ・ツアーでベティのお店の工場を訪ねたいと思います。

 長く関わると、こんな良いこともあるのです。

 さて、帰国です。

 「閖上の記憶」の移転もほぼ終了したようで安心しています。

 日本の、ステージでお逢いしましょう!

桑山紀彦

東ティモール最終日」への1件のフィードバック

  1. 15年の足跡が色々な形で紡がれてきたことが良く見えました。
    仕事で結ばれてきた人の繋がりは海外協力なればこその貴重な効果だと思います。

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