今日はハトリア郡アスラオ・サレ村での活動です。
東ティモール政府が展開している(はずの)「包括的健康増進事業」がうまく行くように必要な支援を行う仕事を継続していますが、今日はパートナーのJICAから鈴木さん、そして東ティモールで活動する医療系の協力隊の皆さん6人が視察に来て下さいました。
今東ティモールでは協力隊の活動が活発になってきていますが、医療系の隊員の皆さんが増える傾向にあり、横のつながりをつけようと自発的にこういった勉強会を開いていらっしゃいます。うちの現地駐在、菊地陽さんももともとはインドネシアで協力隊でしたので、今は共に勉強会を開いて互いを高め合おうとしていらっしゃいます。
まずは、うちのスタッフと、現在修行中のPSF(健康増進員)のみんなで行う寸劇。
しっかり病院を受診して正しい方法で赤ちゃんを産んだ家族と、風俗習慣に流される余り、昔ながらの方法で出産を試みて赤ちゃんを亡くしてしまう家族の対比を演劇で見てもらい、住民のみんなにいろんな意見を出してもらいます。迫真の演技が光っていました。
そして協力隊の皆さんが一生懸命作った「下痢や嘔吐が来たらオーラリット(ポカリスエットのようなもの)を作って飲み、脱水を避けようね。」
というプレゼンテーションが行われました。
みんな一生懸命取り組んでくれて、村人も大いに盛り上がりました。これは保健教育の一環ですが、とにかく村の皆さんの健康保持は「予防」が大事。そこに重点を当てて前半の出し物が終わりました。
そして一気に診察に入っていきます。
僕の仕事は、ハトリアいち「やる気がない」と言われて残念なジャヌアリ医師と共に患者さんを診察し、無言の元に診察のノウハウを伝えるという、実に難しい仕事です。
いわゆる「キューバ帰り」の若い東ティモール人医師たちは、キューバで座学しか勉強せず、6年を終えて帰国し、そのまま村にたった一人で放り出されます。ほとんどの若い医師が迷い、腹を立て、孤立して、ふてくされています。しかし国策なので従わなければなりません。
ジャヌアリ医師もそうやってこのアスラオ・サレ村に派遣されてきましたが、全くやる気がなく、月に1回のこの巡回の日も出てこなかったり、出てきても全くやる気なく、たばこを吸いにいなくなったり、患者さんがいるのに早帰りしたりしてきました。
彼を批判するのは簡単です。しかしそれでは物事は全くいい方向には行かず、彼はますます孤立するだけです。でも一方で聴診器さえ当てず、ただ問診だけしてさっさと薬を処方して1,2分で診療を終える彼を変えるには、言葉ではなく態度だと思うのです。
狭い診察室に今日は二人で入って、診察開始。始まる直前、
ジャ「あの、今日風邪ひいてて、ちょっとしたら帰りたいんだけど。」
ケイ「・・・。そうだね、まずは診察初めて、本当に辛かったら帰ろう。」
彼は渋々診察を始めます。そこでいきなりの膿をぱんぱんにためた子どもが登場。すかさず、メスで切開し、膿をどくどく出し、消毒してガーゼを当てました。協力隊の看護師、竹中さんに助けてもらいました。
彼はちらちらと横目で見ていますが、このときは興味なさそうにしていました。
でもここで短気出しても何も変わりません。しきりに彼に話しかけ、処方や診断について会話を進めていきます。ゆっくりだけど、彼の表情がよくなっていくのがわかりました。
「僕は敵じゃない、仲間だ。一緒に患者さんを診よう。」
そんな雰囲気を一心につくりながら、黙々と二人で患者さんを診ていきました。
すると2時間を過ぎた頃、さっき、僕のところに腰痛できたソイッドさんが、名前を変えて今度はジャヌアリ医師を受診しているではないですか。どうなるんだろう、と思っていたらジャヌアリ医師が、
「君はさっき、ケイの方を受診したじゃないか。ちゃんと処方をもらっているのを見ていたぞ。こんなふうに名前変えて薬をもらうような真似をしゃちゃだめだよ。薬は病気の人のためにあるんだよ。」
なんだちゃんと見てんじゃ~ん。ちゃんと意識向けてくれてんじゃ~ん。嬉しくなりました。
すると3時間を過ぎた頃に、ちょっと不思議な雰囲気のマーカスおじさんという人が受診した時、ジャヌアリ医師が小声で、
「彼は精神的に病んでいる、話しが長くなるから気をつけてね。」
なんだちゃんと見てんじゃ~ん。ちゃんと意識向けてくれてんじゃ~ん。またまた嬉しくなりました。
そしてついに診察が4時間を超えた時、セルジオ君という6歳の少年の咳が気になって、
「ジャヌアリ先生。この子、ひょっとしたら結核かも知れない。今日のところは抗生物質出すけど、咳が治まんなかったら診察して、結核の検査受けるように紹介してもらえますか?」
「うむ、わかった!」
なんだちゃんとやってくれるんじゃ~ん。究極で嬉しくなりました。やっぱり彼は孤立していたのです。だから態度も硬かったし、自暴自棄的になっていたのでしょう。仲間がいればこんなふうに一緒に前向きに仕事する人なんです。要はこの国の医師教育システムが崩壊しているその犠牲者だったのだとわかりました。
結局僕が150人、ジャヌアリ医師が50人を診察して、スコールが来た5時に診察を終了しました。ちょっと診察数には差が出てしまったけれど、
「また一緒に仕事しよう!」
といったら、本当に今まで見たこともないような笑顔で笑って写真に収まってくれました。
今までは悪評ばかりが先行していた彼だけど、やっとで本当の彼の姿が見えてきたし、やはり彼もこの国の不十分な保健行政システムの犠牲になってきていることがわかってきました。
へとへとに疲れた実に5時間ぶっ続けの診察でしたが、テトゥン語も普通に出てくるし、切開、小外科もあと1例こなして包帯ぐるぐる巻きにしてお帰り頂きました。
映画「風に立つライオン」を見ると、現場で医師として活動する姿にやはり熱くなります。だから、この東ティモールで僕自身の役割は「若い医師への指導を中心とした技術協力」だけど、やっぱり直接その国の言語で診察し外科処置できる、この瞬間は大切だと思っています。
さて、帰りは豪雨の中の川越えとなりました。対岸が崩れていてうちの運転手サビーヌの腕でも上がれません。何度やってもずり落ちて転倒しそうです。すると豪雨の中飛び出してきたのは協力隊のみんなでした。
(こちらは往路の崖。復路で豪雨によりさらに崩れていました。そちらは佳境により写真なし。)
やはり見て見ぬふりしない。ずぶ濡れになりながらせっせと手で土を盛ってきます。この姿勢、この気持ちが素晴らしい。彼らもまた、この国に自ら関わりに来た勇者たちなのです。
結局4度目に不可能と思っていた崖を登り切りました。本当に嬉しかった。それは自分が一緒に働いている仲間たちが力を出し合って、この困難を切り抜けようとしてした結果として「うまく行った」からだと思います。
やっぱり仲間と共に、力を出し合い、何か一つのことを成功させていく。
それこそが国際協力の魅力だと思います。
夕方の6時30分、リキサの街に入る前の海岸線で夕陽を迎えました、協力隊のみんなも降りて歓声を上げつつ、夕陽を見送りました。
ドローンを飛ばし夕陽を撮影し、協力隊のみんなにも入ってもらいました。そして夜の8時30分、みんな無事にディリの街にたどり着いた頃にはすっかり服も乾いていました。
雨が乾いた、良い感じの香りが自分の服から漂ってきていました。
国際協力はやはり、人生のドラマです。
桑山紀彦
ドローンという撮影機材が増えて、映像が立体的になりさらにパワーアップしましたね。
写真も、風景や人物の画像がとてもきれいです。
常に、新しい取り組みをしているからなのでしょう。
ステージで使われるのが、楽しみです。
いろいろ思うことがあっても、諦めたり、腹を立ててしまったり、なかなか直接よい関わりができず、自己嫌悪へと繋がる言動をしてしまいがちです…
やっぱり、人を動かすのは『愛』ですね。根気強く!育てるって、染み渡るように…だなぁと感じます。