今日は閖上中学校遺族会の会合でした。
「閖上の記憶」が移転のため一時的に閉館している今、「地球のステージ」のホールで集まりが持てました。
丹野さん、大川さん、佐々木さん、いつもの皆さんがいらっしゃいました。
今後の方針として現在閖上中学校前にある慰霊碑はゴールデンウィークが過ぎたら日和山の近く、名取市の慰霊碑の前に移転した「閖上の記憶」の敷地内に置いていこうというところが決まりました。
子どもたちの慰霊碑を寂しくさせないという最大の目的のため、常に慰霊碑と「閖上の記憶」は一心同体でありたいと思っています。
そして後半は大川さんと佐々木さんの「語り」でした。
(大川さん)
(佐々木さん)
これまで、遺族会ではとてもよく語られるようになっていらっしゃっているお二人ですが、まだまだ人前でお話になると言うことはありませんでした。
でも今日は大川さんが、佐々木さんが語られました。
大川さんは中学校2年生だった駿君を亡くしていらっしゃいます。
閖上中学校の野球部のエースだった次男の駿くん。僕たちは初めて大川さんの言葉で本当のことを知ることができました。
丹野さんも、桑ちゃんも、みんな泣いていました。それは大川さんの気持ちに少しでも近づきたいけれど、どう近づいていいかわからなくて、それでも今日大川さんがちゃんと「あの日のこと」を語って下さったことで、僕たちは大川さんの心にまた近づけることができたから。
その喜びの涙もあったと思います。
息子さんを失うと言うことがどれほど辛いのか、僕たちには想像しかできない。時に気を遣い、時にどう接して良いかわからなくなる。でも大川さんの涙が、心で伝わって自分にも涙が流れてくる。まずは今日はそこまで来られました。
大川さんは今回河北新報社が募集している「伝えたい手紙」プロジェクトで今回最優秀賞を取られました。その「息子、駿へ」の全ての内容を大川さんは今日、暗記した形で僕たちに語って下さいました。
書いた手紙を全て心に刻み、何も見なくてもちゃんと駿君に伝えることができるお母さん。
大川ゆかりさんは一生懸命生きていらっしゃいます。
そんな大川さんにこれから「語り部講話」をお願いしたいと考えています。
ある程度定期的に「閖上の記憶」で語ってほしいと、そう願っているのです。それは辛いことかも知れません。でも天から見ている駿君はきっとそれを喜んでくれると思うし、何よりこんな哀しい出来事がもう二度と起きないために、大川さんの語りはとても重要なものだと思っています。
そして今は言えないけれど、きっと語り続けることで大川さんのお気持ちもゆっくりと整理ができてきて、少しずつだけれど前に向かっていけるかも知れないと考えています。
4月25日(土)の10時にリニューアルオープンとなる「閖上の記憶」。どうぞ、皆さんお越し下さい。
桑山紀彦
被災された方々の心の整理は少しづつ進みようやく復興の緒に就いたという印象です。
精神力の長~い戦いだなあと心底思います。