ザアタリ難民キャンプに行ってきました。
ここはシリア国境まで10キロ。何とか子どもたちも歩いて逃げてこれる距離のようには思えますが、実は国境まで何百キロも歩いてきているので、それはそれは過酷な経験をしています。
そんなザアタリ難民キャンプで、共に協力し合いながら活動している日本国際民間協力会(NICCO:ニッコー:本部:京都市)が心理社会的ケアを展開しています。桑山はそのスーパーバイザーなので、いつもこうして立ち寄り視察して、ローカルスタッフの皆さんにセミナーを開くという活動を繰り返してきました。こうしてヨルダンに寄るのも、もう6年になります。
カーリッドくんは10歳。
今回お父さんとお母さん、そして6人の兄弟と共にシリアから逃げてきました。お父さんのイブラヒムさんは、シリアで電気屋さんをしていましたが命の危険を感じて子どもたちを連れてここ、ザアタリまでたどり着きました。
(お父さんのイブラヒムさん~向かって左と、カーリッド君~向かって右端)
イブラヒムさんは訴えます。
「難民キャンプの暮らしは過酷だ。そりゃあもちろん生活は保障されている。住居、食事、衣料、学校、病院。全てがそろっている。一人一人につき20ヨルダンディナール(約3400円)が使えるクーポンが支給されていて、カードでものを買うことができる。
しかし、毎日毎日、何もすることがない。
これほど過酷なことがあるだろうか。オレはシリアで働き、この家族を養ってきた。それが俺の誇りだった。でも今じゃ、毎日何もすることなくてたばこを吸い、仲間たちとただただ座って暖にあたる。そんな毎日だ。
たまらなくなって去年キャンプを抜け出し、近くにあるヨルダン人のオリーブ畑で働いた。そりゃあ気持ちよかったよ。でもすぐにつかまってそれ以来監視の目が厳しくなり、もう一歩もこの柵の外に出られない。
一体オレは何なんだ。
毎日そう思っているよ。だからオレはそろそろ決心しようと思う。シリアに戻ろうと。シリアに戻れば命の危険がある。でもここでは死んだも同然だ。どちらかを選ぼうと思っている。」
しかしイブラヒムさんは子どもたちのことを心配しています。生まれたばかりの赤ちゃんだっています。まだまだ苦悩の日々が続くけれど、働いて、自分の人生の役割を果たしたいと強く願うこのシリア人に人間としての存在を感じました。
後藤健二さんが伝えたかったことはこういうことなのだと思います。
戦争が起きることで、普通に暮らしてきた人たちに何が起きるか。そして私たちに何ができるかを模索し続けること。
カーリッドくんが、先日の演劇発表会で演じた自分の役割をこのコンテナの中でもう一回演じてくれました。
まっすぐと前を見て、淀みなくセリフを語るカーリッドくん。
お父さんが言いました。
「息子は、この3ヶ月間の心理社会的ケアに参加できて本当に良かった。自尊心が高まり、とても大人になったと思うよ。はっきりと自分の意見を持てるようになった。ありがとう。これからも私たちのことを忘れないでいてほしい。」
こうしてザアタリ難民キャンプの1日が暮れていきました。
苦悩に向き合うことはとても辛い作業です。でも、向き合わなければ答えは出ないし、進む道も見えてこない。人間は悩む力を持っているのだと思いました。それは渦中にいる時は辛いけれど、進むべき道が見つかった時は大いなる道しるべとして、人間を導いてくれるものだと信じたい。
桑山紀彦
人はぎりぎりの環境に追い込まれると生きるための本能の目標に向かう向かって行動するのだと気が付きました。
不足も危険もなく満ち足りて目標が見つけられず無気力に楽な方へ走る人間のなんと多いこと~日本の幸福って何だ?と考えさせられます。あまり人のことは言えませんが・・反省々々。
私は生きていることが幸せなことだと思います。
時に、不安や悩みで追い詰められそうになります。
それを乗り越えられるように一歩ずつ歩いていく。と私は思います。