いのちについて考える日

今日はいのちについて考える日になりました。
 早朝からの後藤健二さんの訃報。まさか、夢であってくれ。それは何かの間違い。映像の合成であって、実は本人は生きていると思う気持ちが頭の中でぐるぐる回りました。
 あの津波の日と同じ。
「これは夢なんだ。だからきっと覚める。」
 そう思っていました。
 そして「人を殺してみたかった」という大学生。高校まで仙台に暮らしていました。そんな思考を持ってしまい、実行してしまう子どもがこの日本に、いやすぐそこの街にいるのです。でもこれは彼女だけの問題ではない。私たちの社会の問題だと思う。第二第三の「彼女」を生み出さないために、僕たちに何ができるのか、ずっと考えています。
 そして今日は「いのちを語り継ぐ会」の総会。
 これは文科省の支援を受けて開催している「震災学習」の総まとめで、そうそうたる発表者が続き、とても盛会となりました。
 特に、震災学習に参加してくれた仙台市立桜ヶ丘中学校の生徒さんと、登米市立米山中学校の生徒さんの発表は見事でした。子どもたちの一生懸命頑張る姿は、やはり大人を励まします。
 そしていのちのステージ。
 これは「地球のステージ」形式ですが、震災3篇を1時間にまとめた特別版です。
 今日は最後の曲「空へ」のモデルになった、大川小学校のお母さんも来て下さいました。初めて、目の前で歌わせていただきました。
 自画自賛になってしまいますが、とてもいい会だったと思います。
 津波を受け、大変な思いをした者たちだけれど、確実に経験は重なり思慮は深くなっている。だから人間はすごいと思う。ただ被災しただけでは終わらない。そこから何かを学んで確実に「語れる」存在になっていくのです。
 丹野さんは写真も出さない、音楽もない。でも、圧倒的な言葉の意味の深さにみんなが納得していく語りをされます。
 たった15分間だけど、丹野さんの哀しみの何割かを共に感じ、それでもやるべき事をやろうという気持ちに励まされる。
 今日も見事な「〆」を飾って下さいました。
 今回のこの会は我が「地球のステージ」の震災復興事業担当、桑島愛希子(通称桑ちゃん)が全て企画立案、司会をつとめました。
 映画「ふしぎな石」では、「天の声」をつとめてくれている桑ちゃんですが、見事な力で今日の会を成功させてくれたと思います。
 すばらしいスタッフに恵まれて、桑山は本当に楽になりました。今日も「いのちのステージ」で歌い、語り、そして最後の挨拶をつとめるだけ。
 現在フルタイム、7人の日本人スタッフで本部は運営されていますが、みんなすばらしい能力の持ち主で、安心していろんなことを任せられる時代になりました。
 いつか、丹野さんの語りを生の声で聴いて下さいね。
桑山紀彦
 

いのちについて考える日」への3件のフィードバック

  1. 四方海の日本にあって、中東や東欧の紛争はやはり対岸の火事的な感覚で見ている自分がいて、”あり得ないことが起きた!”ざらざらした気分でいます。
    正直言って惨殺されたのが日本人でなかったら、どんな気持ちになったか?自信がありません。
    振り返ってみて、女子大生が高齢者を殺したり、社会の中枢を担うべき中年男性が幼女を殺したり、何人もの毒殺の嫌疑がかかる高齢女性がいたり、「何でこんなことが出来るのだろう?」。
    満ち足りた社会故に歪曲した人間が出てくる世相に日本はいつからなってしまったのでしょう。
    地球のステージに感銘を受けるのはその反動なのかもしれません。
    この忌まわしい事件が、憲法解釈を多様化して戦争参加を容易にする口実になることを危惧するのみです。

  2. 私も後藤さんや湯川さんは
    何も罪はなく、
    戦争のジャーナリストとして今世界で
    起こっている戦争という現実があることを
    知ってほしいという思いで戦地行ったのだと思います。
    私は正直おかしいと思います。
    自分達のために人の命を奪うこと。
    脅迫をすること。
    人として、人ではないと私は思います。

  3. いろいろな感情でいっぱいになり、冷静に、普通に、人と接することが難しい時間が過ぎていました…
    それではいけません。
    人々の普通の暮らしへの願い、思いを、全く違った方向へ舵取りされるのかと思うと…あきらめずに、何かをしなければ。

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