丹野さんと歩く閖上

今日は丹野さんと閖上を歩きました。

 この状態の閖上を歩けるのはもう最後かも知れないと、この9月末を「ラスト・ウィーク」と名付け、なるべく歩いてきました。

 今日の閖上はいい天気。風も穏やかで歩くのには最高でした。テレビ局、制作チームなど3,4台のカメラが入る中での1時間でしたが、いろんなことを感じました。
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 自らのお子さん、公太くんの慰霊碑の前では、今年奇跡として咲いた14輪のチューリップのお話を聞かせてくれたり。
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 子どもたちを通わせていた幼稚園では、遺構プレートの大切さを説明してくれたり。
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 自らのご自宅跡では大川小学校の奇跡のひまわりから咲いたものを手にとってらっしゃいました。

「新しい街ができてほしい」という気持ちと、「できるだけ残してほしい」という気持ちの狭間で揺れているように見える丹野さん。その気持ちは僕も同じです。

 となりの岩沼が奇跡のように住民の合意によって「玉浦西地区」を創り上げていった様子が、昨日のNHKで放映されていました。隣の町なのに・・・、と思うと何ともやるせない思いでしたが、それでもようやく閖上も動き出そうとしています。まずはそれを見守ろうではないか、という気持ちは確かにあります。

 でもその一方で閖上中学校や、慰霊碑はそのままで。できれば「閖上の記憶」も場所を移さないでいけたら・・・という気持ちがあります。揺れる気持ちの中でこの4年目が過ぎていきます。

 でも丹野さんは「新しい街ができるのが楽しみだ」と語り、そして同時に「復興とは破壊であるという言葉が、妙に心にのしかかる」ともおっしゃいます。

 たくさんのやるせなさと、寂しさ、そして少しの期待とわずかな希望。

 入り交じった気持ちの中、僕は丹野さんに出逢ったころのことを思い出してました。
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桑山紀彦

 

丹野さんと歩く閖上」への3件のフィードバック

  1. 閖上に住めるようになるのはうれしい反面、元の通りにはならないのですよね。
    震災遺構として閖上中学校と慰霊碑が残るよう願っています。

  2. 新聞、テレビで見るにつけ行政の足並みの乱れや決定の遅さなどじりじりするような遅々として進まないもどかしさを感じています。だんだんと過去形になってしまうようで恐ろしいです。
    実際に被災されてこの地に踏ん張っている方々に軽軽な言葉もかけられないのが今の心境です。
    消せない痛みが癒される日が早く来る事をひたすら願っています。

  3. 初めてのコメントです。
    雫石と申します。本名は勿論違います。
    本日はボクの中学校に来ていただきありがとうございました。中2なので見るのは2回目でしたが、やっぱり新鮮な感じがしました。
    また来年も来てください。
    繰り返しになりますが、ありがとうございました。

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