前夜

 いよいよ前夜になりました。

 今日は午前中閖上中学校の卒業しに来賓として出席し、午後からはアエラ紙の取材。そしてついに閖上中学校の慰霊碑、除幕式のリハーサルに向かいました。
 肌を刺す寒さと雨にたたられながらも、一生懸命みんなとリハーサルをしました。実際に現場に立つことでわかってくることもたくさんあります。明日は14時30分から閖上中学校前庭の慰霊碑前で除幕式。14:46に黙祷。そしてこの式典は15時20分までには終わると思います。
 しっかりとやることで、ご遺族の皆様の心が少しでも整理され、明日へ向かって歩いて行けるようなエネルギーを得て頂ければと思っています。
 NHK全国ニュースでは、11:20分から中継です。特にインタビューがあるわけではありませんが、まだ布をかぶった慰霊碑前から全国へ中継です。
 午後3時くらいからはTBS系列でわたしたちの活動が全国に報道されます。
 膳場貴子キャスターが来てくれて撮った映像の場面場面をご覧頂き、この名取の地を身近に感じて頂ければと思います。
 もう少し打ち合わせをして休みましょう。
 いずれにしてもこの3月11日を越えて行かなければならないのです。
桑山紀彦

前夜」への11件のフィードバック

  1. 同時刻に北九州でも黙祷します。《あの日・今・これから》のテーマで被災地支援の集いを開きます。レインボータワシも「参加」します。日本が、世界が変わることを祈りつつ…。ながい、ながい道のりです。くれぐれもお体大切に。~祈りのうちに

  2. 初めてコメントさせて頂きます。
    放送、必ず拝見します。
    子供の頃、神戸の震災の揺れを経験しました。
    遠い関西の地より
    深く、深く、祈ります。
    3月11日を 絶対に 忘れません。

  3. 今日は、いちにち
    東に心を寄せています。
    暖かい陽がさし、おだやかな日でありますように。

  4. 桑山さん、スタッフの皆さんお疲れでしょうね。
    地元の皆さんもお体大丈夫ですか?
    1年経ちます。でも現実感のない時間の経過でした。
    たくさんの励ましをいただきなんとか生活できていますが、心の再生の難しさを感じます。
    無理せず、一人で抱え込まず。一人で苦しまないことは、大切なことと思います。
    全国で心配して下さっている皆さんへ。
    本当にありがとうございます。
    日本は連日揺れています。突然くる災害から身を守ることを、お忘れなくお過ごしください。

  5. 離れていても こころは寄り添っています。
    皆さん お疲れのないように!

  6. おはようございます。
     
    暖かい日差しが東北の方々に届きますように・・
    繋がっている空を見ながら、繋がっている心で いのり続けたいと思います。
    放送も必ず見ます。

  7. 新潟は寒の戻りです。
    地元の新聞で被災地から避難してきたお母さんを支える知り合いの活動が
     寄り添う友のように
    そんな見出しで記事になっていました。
    少し離れたところから復興を応援しています。

  8. 昨日、NHKスペシャルを、ビデオ分も含め観ました。
    被災地各地の復旧の状況は1年経ち「まだ」とも、「もう」
    ともいえる厳しいものばかり。
    今日は、被災地の方々の心情を想いながら、
    亡くなられた方々のご冥福をお祈りしながら
    過ごします。
    桑山さん、スタッフの方々もどうかあまり無理をなさらず
    これから2年目に向けてお進みください。
    私も、出来ることは僅かですが、
    応援の輪の中に居続けたいと思っています。

  9.         あの日、ボクは
     午前中は、前日の入学試験の合格判定会議であった。
     予定よりも早く会議が終了したため午後は帰宅してよいということになり、帰る途中に寄った和歌山市内の本屋で買った本をちょうど読んでいた。
     1時間ぐらい本を読み進めたころであったであろうか。喉が乾き潤そうとコーヒーを淹れた。それを飲みながらいま読んでいる作品についてあれこれ思いを巡らしているとき、突然「グラっと」きた。揺れは特に大きいというほどではなかったがしばらくは続いた。
     何か不安な気持ちが胸をよぎった。柱時計を見ると2時46分。胸の中に、異様な熱い塊が込み上げてくるようなものを感じた。思わずテレビを付けてみた。
     NHKの画面は、アナウンサーの右上に日本地図を表示していた。日本地図の下に”大津波警報”とテロップが打ち出されていた。
     「大津波警報?」(嘘だろう)、と思った。(津波警報の間違いではないの?)そう思うと、NHKのアナウンサーは
     「太平洋沿岸に大津波警報が発令されています。海岸付近の方はすぐに高台に避難してください。海岸には絶対近づかないでください。
     さきほど、東北地方で震度6強の地震がありました。気象庁は太平洋沿岸に大津波警報を発令したばかりです。海岸付近の方は高台へ避難をお願いします。海岸付近へは絶対に近づかないようお願いします」と、連呼している。
     ただごとではない。(大変なことが起こったに違いない)。そう確信した。
     テレビは地震による各地の被害状況を次々に伝えだした。この時点では、まだ東北になにが起こったかが分かっていなかった。
     「東京の九段会館では、専門学校の卒業式が行われておりましたが天井が崩れ、卒業生を含む数人が怪我をした模様です。怪我の状況はまだわかりません。また、都内のスーパーの駐車場が壊れ、多数のけが人がでた模様という情報が入っていますが詳しいことは分かりません。横浜では、震度5強の地震を観測し、ビルの外壁が壊れた模様です。けが人などの情報はまだ入っていません」
     これが、ボクが聞いた東日本大震災の第一報であった。
     しかし、これ以後入ってくる情報は、想像を絶するものとなるのであった。
     夕方から東北地方様子が伝えられようになると、信じられない光景を目の当りにすることになるのである。
     刻々伝えられる、死者、行方不明者の数は時間と共に増えていき、日本最大の大災害が発生したと判明したのは、まだ数日を要したのである。
     ボクは、名取市に在住する桑山先生の安否が気になっていた。
     とりあえず、パソコンから桑山先生の個人メールアドレスに安否確認を入れてみる。また、フェイスブックでも呼びかけてみた。
     翌日だったか、翌々日だったか、同女の藤原先生から、携帯の伝言板に桑山先生が無事だという書き込みがあるという情報が伝えられた。見て見ると、
     「生きています。落ち着いたら、また連絡します」という書き込みを見つけた。ホッと胸をなで下ろした。
     しかし、東北や福島原発事故等等のそれから入ってくる情報はすさまじい惨劇ばかりを伝えていた。ボクはただ言葉をなくした。
     そして、現在、
     
     東日本大震災の死者の数ーーーー15、854人
            行方不明者ーーー 3,155人
            避難者ーーーー343,935人
                       (平成24年3月3月11日朝日新聞調べ)
     ただ頭をたれ、合掌・・・・・・・・。
        和歌山   なかお

  10. 11日はテレビ漬けでした。勿論、桑山さんの場面は見逃しませません
    様々な思いの人々の表情を見ていてちょっと重たい気持ちになり、桑山さんがずーっと言い続けている「心のケアが大切」~を実感しました。
    人々に笑顔が戻らない限り、軽々に復興とは言えませんね。

  11. はじめまして。カナダ・バンクーバーよりコメントします。
    あの日から1年、北米メディアでも様々な特集が組まれ、現場で救済にあたった消防隊員や自衛隊員の方々のインタビューなどが放送されています。
    地元の方が映したビデオや写真はあまりにも生々しく、涙なくして直視するのは辛いのですが、「復旧」から「復興」へ、涙を拭いて応援したいと思います。
    Pray for Japan

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