ブータンは、本当に「幸せの国」なのか

ブータンは本当に「幸せの国」なのでしょうか。

 この未完成な生き物である私たち人類において、ある国だけが「幸せの国である」ということはとうてい無理のある話であり、きっとブータンもある一部が強調されて、美化されているに違いないと考えていました。もしもブータンが「幸せの国」であるなら、多くの国がそれを真似すると思ったからです。

 そして訪れたブータン。たった3日間ではあっても多くの現地の人と逢い、JICAや青年海外協力隊の人と逢い、普通の民家で食事を取り、学校や病院の内部にまで入れてもらい、観光ではないブータンに触れることができました。

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(空港のあるパロの街)

 そしてわかったこと。

 それはブータンが「幸せの国」ではなく、「幸せになろうとしている国」だったことです。多くのことを学びました。

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(首都のティンプー)

 まずブータンは人口が70万人しかいません。有名なワンチュク国王は現在5代目の王であり、立憲君主制を引く数少ない国です。2011年の結婚は多くのブータンファンをこの日本にも生み出しましたが、ワンチュク国王の民族衣装を着た凛とした姿や「人は経験を食べて成長する」という名言などをみても、意識の高い王族であることがわかります。

 この山の囲まれた小さな国が、周囲から侵略されないで、これからも自立して生きていくために、ブータン人が考えたのは「お金ではない価値観」だったのです。それは一言でいえば「自然(Nature)、文化(Culture)、アイデンティティ(Identity)」でした。今ある自然資源を大切にし、国の基幹産業である農業を守り育成する。そして貴重な外貨収入源である水力発電による電気の販売を維持するために自然を守らなければならないと考えてきました。これを教えてくれたのはJICAの現地スタッフ、ドルジさんです。彼は千葉大学農学部の園芸科に留学した後、ブータン政府の農業省に入り、今はJICAで働いている知識人です。まっすぐな視線でよどみなくこのキーワードを教えてくれました。

 文化を守るとは、この国に対する帰属心を育て、安易に多様な価値観に流されて俗化していくのではなく、ブータン人らしさを守ることを優先させることです。その代表的なものが民族衣装の着用。しかし、ここで感心するのは民族衣装の着用を「成文化」してしまうと反発が出ますが、決してそういった事を文章にはせず、国の中枢にいる人たちが自ら着用を心がけることで、広く国民の着用を「促して」いることです。他にもいくつかの制約がありますがそれらを「法律」という枠で強制するのではなく、「やっぱりそうするべきでしょう」という雰囲気を創り出すことに成功していることです。そこには、国民が大好きな国王という存在と、70万人という人口の少なさが大きく役立っています。だから、ワンチュク国王は常に「ゴ」という民族衣装を誇らしげに着用しているのです。

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(運転手のワンチュさんに”ゴ”を着せてもらいました。初めての“スカート”です。)

 これらにより育つのがアイデンティティです。「自分はブータン人である」「自分はブータンが好きだ」。そんな思いを国民が持ちやすいように、国は静かに、しかし確実に「ブータン人らしさ」を強調しています。だから、あまり国民が海外へ出かけていくことを好まず、かつ外国人が自由にブータンを旅行できないように、制限のある観光旅行政策を行っているのです。

 この「制限」は、時として外国人には奇異に映ります。

 例えば半強制的に行われている避妊。これは、これ以上人口が増えると収集つかなくなるという国側の判断で秘密裏に実行されている施策です。これにより国民は平均で2人までの子どもを持つことが「常識」とされています。

 また、学校は完全に英語で授業が行われています。これも国の施策ですが、小さなブータンの子どもたちが学校では英語でしゃべり、家に帰るとゾンカ語でしゃべる様子を見ていると、やはり奇異に思え子どもたちにかかっている負担は大きいと思いますが、それもあまり前として行われています。

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(協力隊の田山さんのクラスで授業をさせてもらいました)

 その一方で医療と教育は全く無料です。

 病院に行っても「会計窓口」というものは存在しません。ごく一部の特殊なお薬や特別で高度な検査についてのみ実費が発生しますが、通常の疾患やその治療には全くお金がかからないのです。

 こうして人々はある部分の我慢を強いられながらも、その反面でギリギリ納得できる恩恵を受け取り、日々納得しながら暮らしているのです。この「日々納得しながら暮らしていること」が実は「幸せの度数」として語られるGNH(Gross National Happiness:国民層幸福度数)につながっていました。そこには現在JICA駒ヶ根訓練所所長で、昨年までJICAブータン事務所長をされていた新田さんが語る、

「ブータン人の心意気はまさに“足るを知る”ということ。過剰に、華美に求めすぎるのではなく、自分としてこれで十分と思うところに、欲望を留めること。」

 それはちゃんとブータン人の生きざまの中に活かされています。

 加えて現在のJICAブータン事務所の長谷川さんがおっしゃいました。

「この国には怒っている人がいないんです。」

 そう、その通りだと思う。

 我が日本には至る所に怒っている人がいます。山の手に乗ってもぎゅうぎゅう詰め。人を平気で押して、また自分も押されて・・・。いつもどこかで何かに怒っている、それが我が国日本のように思います。でもブータンの人たちは基本的に怒っていません。それは、今の暮らしに納得し、その範囲の中での幸せを見つけようとするからです。

 公務員の平均月収は約2万円弱です。なんとか暮らせるギリギリの範囲です。でも教育や医療にはお金がかからないので、贅沢をしなければ暮らしていける範囲が「設定」されています。だから、クルマはいつもゆっくり走り、クラクションを鳴らす人も少なく、街にはゴミもあまり落ちておらず、常に私たち日本人に対しても笑顔を向けてくれるのです。

 しかしこれは逆に言えば「国家によって管理されている制度」になります。その国家が決めた制度の中で人々は生かされ、ほどほどの充実感を持ってこじんまりと「納得」を得て暮らしている。それがブータンをして「幸せに見える国」となっている最大の理由であると思います。だから逆に働く人たちの中に目がさめるような向上心を持った人たちが少ないのです。協力隊のみんなはそこでまず煮詰まってしまいます。

 「そんなことしなくていいよ」「余計なことはやらなくていいんだよ」「あなたにがんばられると、私たちもがんばらなきゃいけなくなるから、普通にしててよ。」といわれてしまう。これはかなり厳しい状況に追い込まれます。人々はなんとか暮らせる給料をもらい、一番大切な家族を一途に守っていきます。そしてとても信心深いチベット仏教の教えに従って、来世の幸福を得るために無駄な殺生をせず、他者に対して親切であろうと願い、優しさに価値を見いだしてほほえみを大切にして生きています。

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(お寺で学ぶ僧侶)

 しかし、これはかつて社会主義国家が目指そうとした理想郷に、どこかで通じるものがあるように思えてきます。旧ソ連のやる気のない公務員。どれだけがんばっても金銭的には評価されないことによる意欲の減退・・・。

 ブータンはある意味社会主義国家の崩壊の時代のあと、独自の価値観で制度を作り、国家でそれを管理してきた社会でもあるのです。それはあるときは北欧型の高福祉国家のような、あるときはマサイ族のような原始共同体社会のような価値観を取り入れながら・・・。

 その視点においてブータンは「新体制国家」とも言えるように思います。国が施策を通じて価値観を統一しようと計り、様々な制約と、それに相当する恩恵のかけひきの中で国民を導こうとしている体制国家。ある協力隊の人が言いました。

「どこかで北朝鮮に似た雰囲気を感じるときもあった。」

 しかし、ここで大切なことは私たち人類はまだ現状において、自由をうまく使いこなすには不完全な存在であるということにどこで気付くかという事です。

「なんでも自由だ~」

 という勘違いによって起きている犯罪、訴訟、抑圧、崩壊の出来事は枚挙にいとまがありません。私たち人類はある程度しっかりとした「枠組み」の中で生きていかないと、とんでもないことになってしまう不完全な生き物なのではないでしょうか。

 イスラム圏における禁酒や女性が被るヘジャブも、実は人間の欲望の留まるところを知らない危険性に気付いて、しっかりとコーランが「規定」してきたものだと思います。そういった「規定」の中で生きていかないと自由をはき違えてしまう私たち人類の危険性に気付いてきたブータンの王族は、実に巧みな方法を使って国民を導いてきたのです。

 それは明文化するのではなく、人々の意識に訴えかける方法を使ってきました。その中でGNH~国民総幸福度という言葉や、民族衣装の着用、外国人旅行者の管理という発想が生まれ、人口増加を避けるために半ば強制的な避妊を意識づける施策が生まれてきました。ブータンは国として「禁煙」です。そんなことができてしまうのも、70万人という国の規模や国王の鶴の一声がきちんと受け止められる体制のお陰でしょう。

 隣国インドの動向は常に気になります。かつて独立国だったシッキム王国が、インドにあっという間に攻め込まれ今やインドの属州になっている歴史を見てきたブータン。山間の小国が生き残るためにどうするべきか、自ずと答えは見えていたのだと思います。

 1979年、第4代国王によるGNH宣言は時の首相によって国連演説となり、GNP(国民総生産)という目に見える金銭価値を上げることに血眼になっていた諸外国に強烈なアンチテーゼを突きつけました。そして第5代、現在のワンチュク国王の威厳ある姿は世界に敬意を持って受け入れられていきました。ここまでやっておけば万が一インドが攻め込んだとしても、国際社会が黙っていません。

「あのすばらしきブータンになんてことをするんだ!」

 日本人だって強烈に怒りますね。それをすべて国王や国の中枢部にいる人々は読んでいるのです。だからワンチュク国王のメディアに登場する振る舞いはまさに「国防」の意識から来るものなのだと思います。恐るべき外交手腕ではないでしょうか。


 ブータンは現状において「幸せの国」ではないと思います。しかし、どうやったら国として存続し、国民が小さな幸せ感を共有しながら生きていけるか模索し続けている国です。だから「幸せになろうとしている国」だと思うのです。

 この国はその意味において、人類がどう生きていくべきかの示唆を与えてくれている。そして「国」とはどうあるべきかの一つのモデルとしてとても重要な問題提起をしてくれていると思います。

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(針金の人生を語ってくれたタシ・チョルデンくん。14歳)

 がんばれ、ブータン!

桑山紀彦

ブータンは、本当に「幸せの国」なのか」への4件のフィードバック

  1. 日本の地方の市長や市議会議員がブータン式発想の行政を取り入れたらいいのに…。
    ある市の話。
    小学校の改築を後回しにして駅前再開発!?乗降客がほとんどいない駅前を再開発してもなぁ…

  2. Face bookで国が動かせる時代に、千差万別の人間の個性や能力といったものをどう収斂するのだろうかと??を抱いていました。
    バラバラで背骨がない感じの我が国に比べて、よくまとめられるものだと思っていましたが、解りやすい長文のブログを読んでモヤモヤした感じがすとんと腑に落ちました。
    自由と統制~難しい問題ですね。

  3. ブータンに対して、漠然としたポジティブなイメージだけを持っていましたが、桑山君のレポートで『実際のブータン』が随分理解できました。桑山君の文章力に改めて感服しました。

  4. 一気に読みました。
    一番幸せでいてほしいのは、息子たち。
    外にないものを探すより、内に見つけ増やしていってほしい。
    幸せになろうと、自分に何を課し何を選ぶのだろう。自戒 自由 自重 自律 自覚 自尊 自足 自‥
    あ、でも憲法九条を我々が守らなけりゃ、殺しに行けと外から課せられてしまう…のではと心配。

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