第一回「閖上の記憶」未来会議

3月16日(土)、「閖上の記憶」を支えるメンバーによる、第1回目の全体ミーティングを開きました。

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 昨年4月22日に開所して以来、既に1万人を越える来館の皆様に支えられてきました。しかし、これはあくまで閖上中学校の14人の子どもたちの慰霊碑を守る社務所としての役割とともに、閖上の皆さんが少しでもここを起点に閖上に足が運べるようにという、そんな第一義的目的を掲げています。
 しかし一方で全国からたくさんの人がいらっしゃるようになりました。
 本当に嬉しいことです。どんどん薄れていく記憶の中で、今この時期にちゃんとこの被災地に来てくださる人がことのほか嬉しく、そんな第二義的目的のためにもがんばっていきたいと思っています。
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 現在「閖上の記憶」は、3人の「番人」と、7人の「語り部」、そして4人の「案内人」によって構成されています。今後は以下の拡大路線を準じ目指しながら、さらなる発展を遂げていきたいと思っています。
1)建物を約2倍の広さにする
 これにより「AV語り部ルーム」を新設。常にビデオ映像の上映と語り部の方の時間が確保できるようにすると共に、本館の資料館の方は人が順次巡回できるようにしていきます。
2)「語り部」のみなさんを増やしていく
 こうすることで、定期的な語り部の時間を拡大していきます。
3)「案内人」のみなさんの技術の向上を図る
 専門性の向上を目指して、全国、全世界からの訪問に備えていきます。
4)「学芸員」の新設
 統計的データや数字上のデータに詳しく、現在残されている遺産の登録を進め、勝手に撤去される前の登録を行って、より内容の濃い遺産の保持に努めます。
 そんな中で今日は「閖上の記憶」の館長さんを選出しました。運営の「長」はあくまでも桑山ですが、やはりシンボルとしての「館長」は閖上出身で被災していることが大変重要な要素となります。
 そんな中で満場一致で選出されたのが小齋正義さんでした。
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 小齋さんは「地球のステージ」でも登場する人です。
 閖上2丁目の豪奢な家はみんな失い、奥さまと一緒に仮設に住んでいらっしゃいます。しかし、小齋さんは最初から言っていました。
「僕は閖上に帰りたい。閖上に小さくてもいいから家を建ててそこで死んでいきたい。それが死んでいった仲間たちへの弔いだ。」
 その後、初めての「閖上の案内人」となった小齋さん。
 先日のNHKマイケル・サンデルさんの「エキサイティング授業」の時も、閖上を案内した達人です。
 そんな小齋さんがついに「閖上の記憶」の館長になったのです。
 是非、みなさん、4月以降拡大していく閖上の記憶にどんどんおいで下さい。
 それは、あの日々を忘れないように、そして未来へ向けての防災意識の高まりと、命を重んずる気持ちをはぐくむ拠点としてどうしてもここが必要だと思うからです。
桑山紀彦

第一回「閖上の記憶」未来会議」への4件のフィードバック

  1. 記憶を「聞ける」「見られる」場所。
    大事な継続のための次の準備怠りなし!感心するのみです。
    閖中の処置が決まった時、「慰霊碑」「閖上の記憶」がどう処遇されるのか気になっているのですが・・・・?

  2. 日々変わり続ける閖上、被災地、優しい心になっていく人たち、地球のステージ、皆さん1日1日大切に生きていきましょうo(^-^)o

  3. 「学芸員」の新設、いいですね。きちんと保存していけば、未来への生きた遺産になると思います。
    初代館長の小齋さん、これからもどうぞよろしくお願い致します。

  4. サンデルさんのエキサイティング授業見ました。
    「閖上の記憶」
    是非伺ってみたいと思います。

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