ブログというものの意味

  皆さんの気持ち、ありがとうございます。

オーストラリアやケニアからも書き込みがあり、自分の責任の重さを実感するところでしたが、僕はこういう時

「だからこそ、がんばんないと!」

 と思う方です。

「こんなに皆さんが心寄せてくれているのだから、一層がんばんないと!」

 と思います。今回の多くの書き込みをみて、

「やっぱりブログを毎日書かないといけない。」

 と思ってしまいます。

 でも考えてみれば、ブログに対して警戒心で臨んでいるのは、この地元の先生方や関係者の皆さんです。

 遠くにいらっしゃる皆さんは、それこそ毎日ブログをチェックすることで遠い被災地のことを身近に感じてくださってきていることは、良くわかっていました。

 でも学校の先生方がブログに対して警戒心を持つのはひとえに、

「生徒を守らなければならない。」

 という気持ちからです。そうでない人がいてもそれはごく少数で、先生たちは実に純粋に、

「生徒を守らねばならない。」

 という気持ちから来ています。僕は一緒にやっていくパートナーとしてその気持ちを大切にする必要があり、それに添って行動する必要があると思うので、よほどのことがない限り子どもたちのことをブログに書くことはないようにしてきました。

 それでも言葉の行き違いや、桑山の説明不足があってご家族に心配をかけてしまった場合もあり、多々反省の時もありました。

 例えば大人の皆さんのこと。

 書くことによってリスクが伴います。もちろん許可を得ますが、人によっては「あまり好まないけど、世話になっているのだからしょうがないか。」といって「いいです」といってくださる人がほとんど。だから書くことは本来その人の負担になります。では負担を背負って頂いて、リスクまで背負ってどうして書くのか、です。それはひとえに

「被災地に興味と関心を持ち続けてほしいから」

でした。このブログは今平均2000人の人が読んでいます。多くが被災地から離れて住んでいらっしゃる人です。そんな皆さんには意味があるけど、この地元では迷惑なブログになっている可能性があります。

このジレンマは何でしょうか。私はどうするといいのでしょうか。

一つは「無理をして書き続けない」ということだと思いました。毎日強迫的なまでに書いてきました。でも毎日書くことで習慣化してきたので書いて来れたという側面もあります。だから、

「今日は何を書けばよいのだ?」

 と考えすぎて余計なことまで書いてしまいます。昨日の我が息子のことなど、本来書かなくてもいいのに

「何か今日のことを書かなければならない」

 と考えすぎて本来はこのブログの趣旨ではないことまで書いてしまいました。それを「間違いだ」と感じた時に、「これは毎日書かなければならないという気持ちを持ちすぎているからこうなったんだ」と思いました。「ms」という人が悪意のこもった書き込みをしましたが、実はあまり気にはなりませんでした。だから、毎日書こうとしないことが今は大切なのだろう、と思いました。

 もう一つはつまらないような日常の内容でも許してほしい、ということでしょうか。毎回、全国の、全世界の人たちが読んでいると思うと、それに応えられる内容を見つけ出さないと思ってきましたが、そんな気概が間違いの元だったと思います。だから、それでもコツコツ毎日書こうとしたら、何気ないただ普通のコメントを書くだけであっても「それでいいのだ」と思っていいのではないか、と感じました。

 プライバシーの保護、個人情報保護法、匿名性・・・。

 一件正当なことを言っているようで実はここに、この日本という国がおかしくなっている原因があると思います。本来人は性善なものであり、みんなが知るべきことはたくさんあるはず。それを「個人情報保護だ」という行き過ぎた匿名性のために秘密にし、どんどん人間同士が疎遠な存在になってきてはいないでしょうか。

「みんながんばってるね~」

 と何気なく写真を撮れば、

「それは個人情報だから、個人の許可を取って。」

 そんな世界が正当でしょうか。そうやって大切な情報は追いやられ、人々の生活や心のひだ、思いや願いが全く届かないようになり、人類そのものが実に疎遠で冷たい関係になっていってはないでしょうか。

 故意にその人を傷つけようとか、悪意でその人の情報を悪用しようとする人が、この普段の生活にそれほどいるのでしょうか。そのある意味犯罪を意図したごく少数の人間を恐れるがあまり、僕たちはどれほど大切な情報を得られないで過ごしているのでしょうか。その人の本当の思い、その人の心からの願いを人間としてきちんと知らなければ、人類はどんどん疎遠になり、結局は「無関心」「われ関せず」「自己中心的」な社会を築いてしまいます。それが「今の社会」なのではないでしょうか。それを作ってしまっているものが過剰な「プライバシー保護」「個人情報保護」なのではないでしょうか。

 僕が昨日図らずも自分の息子とのやりとりを赤裸々に書いたのは、自分にとっての個人情報だって、必要に応じて公開し、世間に投げかけるべきだと思ったからです。もちろん表現に行きすぎがあったのでそこは反省しすぐに修正しましたが、僕自身もそうやって個人情報を提供する姿勢を出すことで、「人間はより一層理解できる」「人間はもっとわかり合える」と信じているのです。

 僕のブログを小まめに、否定的にチェックしている人は、人間の知るべき力とその必要性、そこからくる本当の相互理解についてどう思っているのでしょうか。

 僕は、これからもブログを書き続けます。もちろん毎日ではないかもしれない。でも、僕の大切な中学生の友達、優歌ちゃんが「ばかをみるなんて言わないで」と言ってくれたことでもう一回考えました。そして小学校教師、原先生が

「桑山さんのブログへの批判などは、結局のところ「その人間の自分(の考え)への執着」という狭いエゴだと思います。

 こんな災害があった時に、そんな狭い自分の考えへの執着と、桑山さんのしている社会全体への前向きな働きかけと、「どちらが大事か」など、火を見るより明らかです。

いくら「様々な人間が織りなしている社会」でも、状況がこれだけ大変なことが起きたときくらい、どうしてそういった個人の執着を降ろせないんでしょう。」

 と書いてくださったこと。そして田中先生が

「古い言葉ですが、我々は戦友だと思います。離れていても、いつも応援しています」

 多くの皆さんが、「応援してるんだけどな」という気持ちを向けてくださったことに感謝しています。

 それでも、批判的にこのブログを小まめにチェックして隙あらば警告しようとしている人もいるのは事実です。そんな人たちに反論されないように細心の注意を払いながら、不定期ではありますが、続けていきたいと思っています。

 いろいろと揺れて申し訳ありませんでした。

桑山紀彦

ブログというものの意味」への17件のフィードバック

  1. まさかこんなにはやく更新されるとは。ありがたいです。戦友かあ。生きている場所もやっている仕事も置かれている状況もみなさん様々でしょうが桑山先生のブログを通して考えているような気がします。本当にすごいことですね。先生が書いてくださらなければこんなに被災地の状況はわからなかったのですから。先生のペースで更新ください。強迫的な感情も受け止めたいと思います。いつも応援しております。先生が四つ葉ずっと持っていてください。倒れませんように(^-^)/~~

  2. やはり、読む側の責任も免れないと思います。
    遠く離れているため、情報がほしい、というのも事実です。
    九州ともなると、正規のルートで入ってくる情報はほとんど使いものにはなりません。
    震災発生から約4ヶ月。全体的に、すでに復興ははじまっている、と信じている人も
    いるくらいですから。
    現地から直接届けられる情報だけが唯一頼りになる情報になってしまっています。
    とはいえ、今日はどんな情報が届けられるのだろう?という期待感がなかったか?
    と問われると、正直、否定はできません。
    おそらく、コメントから私のそういった気持ちが伝わってしまったのかもしれません。
    先生には大変ひどいことをしてしまったと深く反省しております。
    しかし、先生を応援したい気持ちは全く変わっておりません。
    絶対にブレないこと。それが自分ルールです。
    何者も先生に無理強いすることはできません。
    公共の福祉に反しないかぎり、それは憲法に定められたこと。
    ですので、先生の信じる道を応援するだけです。
    今後は、読む側としても、コメントをできるかぎり、差し控えたいと思います。
    その分、先生も書きやすくなると思います。
    コメントがなくても、先生にはアクセス数でご理解いただけると思いますので。
    まだまだ心砕くことも多々あるかとは思いますが、まずはご自愛くださいます
    よう、お願いいたします。

  3. いえ、コメントはぜひたくさん寄せてください。その方が励みになります。もちろん「それは違うんじゃないか」と言うことも含めて。
    ただ、毎日更新するわけではなく、「書ける」と思う時に書かせていただきたいので、それなりに読者の皆さんの数は減っていくかとは思います。
    それでも、「読む側にも責任」と言って頂けたのは、僕が言ってはいけないのでしょうけれど救われた思いでした。
    何れにしましても、なるべくコメントは頂きたく思います。書く以上は、その覚悟で臨みたいと思っております。
    くわやま

  4. 伝えたい事、これは書かなきゃ!と思った事、思った時、ブログ書いてね!(軽すぎ!)書いて下さい?
    私のコメントは私事がほとんどですが…満員電車の中の楽しみは減りますが、無理なく!
    ちなみに、10円を何回か拝借してばれて母にお墓に連れて行かれましたが… 今、財布にお金がない時、子供達の財布からちょっと借りたりしてます。勿論、ちゃんと返済していますよ!

  5. いち日、ブログのことを想って過ごしました。
    毎日の更新のひと区切り、おつかれ様でした。どうもありがとうございました。
    さみしいけれど‥ホッとしています。その分のエネルギーと時間を他に充てていただけることに。
    私は、3/11に(大切に思っていたはずの)絵の存在価値がわからなくなり、本能的に文章を貪り読みました。桑山さんのブログには、求めるものがいつもありました。
    7月に入った頃から、不思議と文字から距離をおけるようになり‥そんなある日、旧友たちと取り留めもなく話す機会があり、東日本の話題になった途端に表現活動をしていない子の目から涙が溢れ、心の中に生傷がある感じがしました。それは、表現(絵も含め)の意味や価値に改めて気づいた瞬間でした。
    桑山さんの身近にみえる、被災された方たちに、表現の機会をたくさんたくさん作ってください!!今、切に思っています。
    これからも、ちょくちょく立ち寄らせていただきます。UPされていなくても、「少しは休めてるかな?」とか「あの桑山さんのことだから、大切なことに心血注がれてるんだろうな~」と勝手に思ってみたり、その御報告を心待ちにするのもいいものです。桑山さんペースで、フと更新していただければ嬉しいです!
    4ヶ月かけて出来た習慣ですから、被災された方たちのことを決して忘れたりしませんし、自分に出来ること探しのアンテナはいつも張り続けますから、ご安心くださいね v(^-^)

  6. ブログが更新されていて、ほっとしました。
    先生が実名でブログを書いておいでになるということは
    書くという行為、内容に先生が責任を取っておいでになることだと思います。
    先生がお書きになっていることから改めて考えたことがいろいろとありました。
    これからもきっとあるだろうと思っています。

  7. また 早く寝てしまい ふと目を覚ましたら3時半。
    よく寝る子だったのに・・・年とったのかなあ~
    無意識に いつもの癖で ブログを のぞいたら・・・
    すごいコメント数
    同志がいっぱい!!
    桑山さんのコメントで ほんの一部しか 動いていない脳ミソをフル回転させて 読んできました。
    応援している皆さんの声も 痛いほど 伝わりました。
    桑山さん ゆっくり、 のんびり(無理でしょうが)ときどき更新してください。
    被災された皆さんが 一日も 早く 普通の生活に 戻れますように・・・
    こころとからだが 健康になりますように お祈りします。

  8. 桑山先生のお辛さに、読む側の責任を考えさせられた昨日でした。
    日々先生がお忙しい中の重責を背負われ、分単位でこなされるたくさんのお仕事を持たれながらも、細やかな心配りにいつも感謝しています。
    どうぞ先生の思うままにお進み下さい。立ち止まり振り返ることも必要なことと思います。
    今までたくさんの思いを伝えて下さりありがとうございました。
    たまに更新してくださることお待ちしています。

  9. 私はいつも先生のブログを読ませて頂いております。この前も、光夫さんの彼女からの光夫さんに奇跡の時計のプレゼントの事が私はすごく嬉しかったので、コメントさせていただきました。彼女は私の知り合いだったので、先生のブログを見ていなかったら分からない事だったので、私はすごく先生に感謝をしています。そしてテレビなど報道では被災地や被災者の方の前向きな事だけを報道しているように思えます。私は被災地の名取市に住んで居て、今被災地の現状は、前向きな人も居れば、逆に犯罪を犯している人も居たり、現に昼間でもパトカーのパトロールが以上な位そこら中で毎日見ますし、私のすぐ近所でも、この前空きすに入られていて、この被災地では私も自分の身を守るのが精一杯な状況です。今日も私の隣の家の解体をしていたんですが、その解体屋さんが事件を起こして、私まで巻き込まれて、私に助けを求めて来て、警察に通報をして欲しいと頼まれて、その被害者を私の家にかくまって、私が警察に通報をして、警察の方々が10人位きて、私まで事情を聞かれて、結局被害者の女性は頭から血を流していたので、救急車で運ばれました。私も命がけで、被害者の方を保護をして怖い思いをしました。それが今被災地の現状です。ただこの出来事は、ほんの一部です。助け合いの精神を持って生きている方も居れば、逆に犯罪に走る人も居たり、私も人間て一体何なんだろう?なんて最近思うようになってきてしまっています。私はこんな悲しい出来事が起こってしまったからこそ、人間一人一人が気持ちをひとつになって、助け合いながら生きていかなければならないと思っているのに、そうじゃない人も沢山居る現実がとても悲しいです。だから私は先生の書いているブログはいい事だと思います。やっぱり沢山の方々にこの被災地の本当の現実を発信していく事は、私は賛成です!それに先生だって、私達と同じ人間なんだもの時には感情的になる事だって当たり前だと思います!私はそれでいいと思います!でも先生が辛い時には無理をせずに、自分のペースでブログを書いていってほしいです!どうかくれぐれも余り無理なさらないで下さいね!

  10. AAさんのおっしゃる通り 被災地の現実、知りたい人は沢山いるし、知って欲しい人も沢山いると思います。良い事ばかりじゃなくて。
    東北から遠く離れれば離れるほど、分からないんです。気遣ってはいても。
    AAさんもコメント書く時 知らせて下さいね。
    桑山さんには震災前位の自分のペースで更新して貰えたらな、なんて思います。皆さんからのコメント読んで、毎日更新しなきゃ!ってなるんじゃないかと、ちょっと不安でしたが、先は長いので細く長く、お願いします!太い私が言うのも何ですが…
    たかが短いコメント書くにも頭悩ますのに、凄すぎる、桑山さん。高校生の時、夜中に小説?かなんか書いていてお兄さんに殴られた話がありましたが、無駄じゃなかったんじゃね。と 思います。やっぱり無駄な事はない。次男君の今も必ず意味があるよ!私の子供達の今も…
    軽いコメントで申し訳ないです。

  11. 皆さんのコメントを読もうと開いたら、桑山さんのブログが更新されてて、「ゆっくり休んでほしい」と願いつつも、嬉しかったりで、複雑です。
    震災とは関係のない、子育ての悩みを本音で書いてくださいましたが、私もまだまだ、現役の悩める母ですので、救われた気持ちがありました。普段の活動から桑山さんがスーパーマンのように感じ、ちょっと遠い存在のようにも思えていました。
    でも今回、ごく普通のお父さんをしていて、ちゃんと地に足をつけ色々な子育ての思いを抱えながらも、このような活動を続けておられることがわかり、心が大きく動きました。
    私ももっと人生を頑張らなくちゃと思い始めています。
    貴重なブログを読む機会があったこと、桑山さんに感謝しています。

  12. 大自然の中のちっぽけな“ 一部 ”として、人間が生活していた大昔、 弱い人間はお互いに支えあって 干渉しあって 生きていたのかも。
    冬でも寒くなく 夏でも暑くなく過ごせるほど 文明が発達して 「自然は克服した!」と、うぬぼれはじめた頃から 私たちは結束が弱く バラバラに行動して 優しくない人が増えたのかもしれませんね。「プライバシーを守る!」「個人情報保護!」なんて言っちゃって、「他人事」として関わらないようにして…。
    でも
    震災の日から、「人間同士の密なつながりが やっぱり大切なんだ」と言うことが、私は 解りました。
    私達の仲間におこっている事の“意味”を 桑山さんは「物語って」下さっているのですよね。
    それを 他人事にしないで 一緒に泣いたり 出来るだけの支援を送ったり ボランティアしたり
    、支えたいのです。
    そして「 震災の意味」を 「生きること」「 死ぬこと」の意味 について 腑に落ちるまで 干渉させていただきたいです。

  13. ブログを書くことの意味を誰より桑山さんが大事に思っていらっしゃる。
    発信することの重さも感じながら、きちんと伝えて行こうとされている。
    それを読み手がしっかり受け止める。
    そんな関係が一番ですね。

  14. ブログを書くことの意味を誰より桑山さんが大事に思っていらっしゃる。
    発信することの重さも感じながら、きちんと伝えて行こうとされている。
    それを読み手がしっかり受け止める。
    そんな関係が一番ですね。

  15. A A さんのコメントを読んで被災地の現状を改めて認識しました。みなさん 極限状態の中で生きておられるのですね。本当に 私たちって 何も分かっていないです。

  16. 桑山先生
    ブログ再開ありがとうございます!!本当に嬉しいです。震災から時間が経過して、九州までは情報が入りにくい状況です。時々名取の新聞も送ってもらい、情報収集しています。先生のブログを通じて現地の状況や日常を知る事で、我々に今できる事、我々が今やるべき事も見えてきます。もちろん私にとってこのブログは先生が書かれているから意味があるのですが・・・。でも無理しないようにして下さいね。いつも元気をもらってばかりですが、たまにはこちらからも先生方にエネルギーを送れるように頑張ります。今こそ日本人である事を誇りに思えるようにしたいですね!これからもよろしくお願いいたします。

  17. コメントをご承認いただいている段階で、私の意図が正確に先生に伝わっていることは
    了解しておりました。
    ただ、できれば重荷になりたくない、という気持ちだけです。
    すでに表明していますとおり、私はあくまでも支援側と自分自身を位置付けております。
    先生が、コメントをほしい、とおっしゃるのであれば、それに従うまでです。
    このブログは先生のものであって、私が判断できることは、読むか読まないかだけです。
    せっかくの先生のお申し出とあれば、今後もコメントさせていただきたいと思います。
    ただ、くれぐれもご無理のないように、よろしくお願いいたします。

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