歩さんの娘さん

 今日は米沢でステージでした。

 灼熱の体育館で僕たちを迎えてくれたのは、3年目になる米沢第二中学校の皆さんでした。ここはとにかくお父さんお母さんの心が熱いのです。「地球のステージ」を通じて子どもたちに大切なことを伝えようとしている、そんな人たちの集まり。だからもう顔見知りで、
「今年もよろしくお願いします!」
 という挨拶で始まります。
 そこに来てくれたのは、赤い消防車の中で亡くなった桜井歩(あゆむ)さんの長女、ゆまさんです。
 ゆまさんは今山形県の大学に通う2年生です。あの日も山形にいました。だから津波も、お父さんのことも直接目にすることはなかったのです。だからこそ、さぞ辛かったと思います。
 妹のゆいさんとお母さんはあの日仙台空港に逃げました。でもお父さんは最後の最後まで消防車に乗って地域の皆さんに避難を呼びかけていたために逃げ遅れて亡くなりました。その赤い消防車が貞山堀の橋の向こうに横転した形で止まっているのを、妹さんとお母さんは見ていました。
 夕方、まだ水が引けなくてそこへ行くことが出来ないお二人は空港ビルの窓から、
「お父さん!おとうさ~ん!」
 と叫び続けました。でも赤い消防車は横転したままで夜が更けていきました。
 翌日、引き始めた水の中をジャブジャブ進んで二人は赤い消防車のもとへたどり着いたけど、お父さんらしき人の「肩」の部分だけが見えるだけで、消防車を起こすことは出来ませんでした。やがて重機が来て消防車を起こしました。歩さんはマイクを握ったまま助手席で息絶えていました。
 そんなお父さんの姿を見たお母さんと妹さん。でもお姉ちゃんのゆまさんはその場にはいなかったのです。だからこそ辛い、だからこそ哀しい、そんな気持ちがゆまさんを支配したと思います。
 「その時、その場にいなかった」
 その呵責は多くの人を苦しめます。でも実はそれにも意味があります。ゆまさんはお父さんの期待を身に受けて勉強していたのです。だからその時その場にいなくてもそれは当然。もしもそこにいたらお父さんは、
「ここで何してんだ?ちゃんと大学で勉強していなさい。」
 と言ったでしょう。
6/22-3
 現在の赤い消防車。山形南校等学校の生徒さんが磨いてくれました。
 そんなゆまさんが言いました。
「お父さんのことをこうして伝えてくれてありがとう。わたしはお父さんの勇気や、その最期を決して忘れません。そしてその心をこうして全国の皆さんに伝えてくださることに、とても感謝しています。」
「嘘のつけない人だったからね。」
「はい。」
「まっすぐな人だったものね。」
「はい。」
 歩さんは誰かの命のために自分の命を投げ出したのではないと思うのです。こんな可憐で美しい娘を残していきたいわけがありません。歩さんは嘘がつけない人だから、あのまま自分だけ逃げていたら、一生後悔することを知っていたのです。だから自分に対して真正直に生きた。その末に今回は「死」があったのです。
 だから僕やゆまさんが誇りにするのは、
「人のために死ねること」
 などではなく、自分に嘘を付かない
「真正直な人間でいること」
 の勇気だと思う。
 そんな生き方をした人たちのアイコン(刻印)である赤い消防車、大切にしていきますが、100日を過ぎた今、何らかの形で動かしていく時期に来始めたと思っています。もちろんそれに抵抗が強いご遺族がいることは承知しています。
 どうやってご理解頂くか、それは今後のテーマだと思っています。
6/22-2
6年前の歩さん(中央)と、ゆまさん(向かって左)
 ゆまさんに逢えてよかった。そしてお父さんの本当の姿を受け入れているこの19歳の女性の強さに感服しました。
桑山紀彦

歩さんの娘さん」への12件のフィードバック

  1. ご遺族の心情、デリケートですね。
    もしかして、ご遺族には「命投げ出してそこまでやらなくても・・」と真正直さを悔む気持ちがあるような気がしてなりません。
    気持ちがほぐれる日を待ちましょう。
    老婆心ながら、ご遺族と桑山さんの人間関係に溝ができることを懸念します。

  2. 昨日の暑さは東北の皆さんには厳しかったと思います。
    米沢は少し風があり、歩くと心地よいぐらいでした。
    米沢第二中学校の体育館はやはり暑く生徒さん 桑山さん スタッフの皆さんの夏のステージの大変さを初めて体験しました。
    そんな暑さの中でも、生徒さん達にとって震災の映像は衝撃的だったのでしょう。食い入るようにみつめていたことが印象的でした。保護者も涙される方がおいででした。
    山形の皆さんからもたくさんのご支援をいただきました。
    多くの人が被災地から山形に避難され生活されていると思います。
    ご支援いただいた皆さんに感謝いたします。
    人に支えられることで、この震災を乗り越えられられる力になるといいですね。
    歩むさんのお嬢さんの、けなげに前を向いている姿勢に頭が下がります。本当はお辛いでしょうに。
    一人で頑張らないで欲しいなと思います。
    ご健康をお祈りします。

  3. 歩さんの見て見ぬ振り出来なかった行動に敬意を表します。
    もし 私がそこにいたらと考えたんですが きっと怖くて自分の事で精一杯だと思います。
    歩さんの体は もうこの世にありませんが まゆさんのこころの中で ずっと 生き続けることでしょう。祈ります。
    何か動こうとした時 賛成派もいれば 反対派もいます。
    自然が相手だと 悲しみをぶつけるところが無いような気がします。
    やりきれない気持ちの捌け口を探すでしょう。
    もしかしたら 順調にいっているように見える人に ぶつかってくるかも知れません。
    仮設住宅で雨漏りしたり蟻が入ってきたと報道されました。入居されている方々は ただで 入れてもらっているからと・・
    そうじゃないですよね。中央の方々 1ヶ月の間でもいいです。仮設に住んでください。みなさんと一緒に!
    早く目が覚めたので長々と 書いてしまいました。
    ごめんなさい。

  4. お一人お一人、素敵なご家族ですね。とても立派だと思います。
    今日のメッセージの中で特に、
    『「人のために死ねること」 などではなく、
    自分に嘘を付かない「真正直な人間でいること」の勇気だと思う。』
    ここに強く共感しました。
    それで、自分の拙いブログに書かせて戴きました。
    ありがとうございます。

  5. 歩さんのお嬢さんにステージのなかでの歩さんのお話を聞いて頂けて良かったです。扉を開ける一歩になるかもしれませんね。
    昨日、全国的に 暑い一日でした。さすがに、電車も少し冷房が入りました。冷房も鉄道会社によってかなり違うみたいですが…京王線は送風かな?? 冷房??って感じです。クールビズも、今から海に行くんかなぁ?と思う様な短パンの方がいたり(大学生じゃないですよ。)ちなみに私は、真夏に備えて、今から薄着にしないようにしてます。Gパンから薄めのものに代えたら涼しいはず(^-^)と期待してます。かえた時だけの喜びと知りながらも)熱中症にならんように気をつけます。
    昨日、夕飯作りをさぼって、娘と、“浜ずし”という回転寿司に行きました。そしたら、グルグル回ってくるお寿司やデザートに混ざってコーヒーがあります。コーヒー大好きなので飲みたかったのですが、家に帰って飲もう!と思ってましたが、何回目かに来た時、「東ティモールのコーヒー」という文字が見えて、何だか嬉しくなり、飲みました。
    浜ずしが大好きになってしまいました!

  6. 消防車をずっと見ていたお二人も、その場にいなかったお一人も、同じように悲しいつらい気持ちだったと思います。
    私だったら?「だってあなたは○○だったから私の気持ちをわかるはずないよ」と一回くらい言ってしまいそうです。
    私にも成人前の子どもがいます。のこしていきたくなんかないけどそうなってしまったら?神様に叱られても風になって見守りたいです。…それまでは私にもなすべきことがあると思います。

  7. まゆさんは、生まれたときから、お父さん歩さんの背中を見て育ち、最後の最期のお父さんの姿を受け止め、今のまゆさんがいるんだなとしみじみ思いました。。
    桑山先生と息子さんも、同じように感じています。
    自分の子供にどうやって大切なことを伝えていくか。。親の責任と思いやってきましたが、理論や理屈ではなく、私自身の生き方や日々の行動の積み重ねがいかに大切なのか。。地球のステージブログを拝見するようになって痛いほどわかるようになりました。
    真正直で自分にうそがつけないことでいることは、世の中生きずらいな。。という思いに長い間苦しんでいた私がいました。『自分にうそをつかない』で正直に生きていくことの方が、傷ついたり困難もたくさんあるけど、自分のために、子供たちのためにも、堂々と心に正直で真っすぐな私で生きていきたいと、また思えるようになり、少しずつ変わってきている毎日です。
    先生には気づかせてもらえることばかりです。積み重ねていくことが大切ですね。しっかりと地に足つけて生きていきます。

  8.  僕が通勤に利用するJRの駅は、乗降客が1人か2人しか利用しない小さな駅である。夜には駅員さんがいなくなる無人駅である。そんな駅でも時おり地元以外の人と出会うときがある。その多くが釣り人である。
     都会の人と話すとき「どこにお住まいですか」と尋ねられるときがある。「和歌山です」と答えると「いいところに住んでますね」と言われることがある。
    「和歌山って、そんなにいいところですか」と、訊き返すと
    「そりゃあ、いいところです。釣り場がたくさんあるじゃあないですか。いつでも、釣りにいける。もう、天国みたいなところ」
    「天国ですか」
    「そうですよ、最高じゃあないですか」
     どうやら、和歌山は釣り人にとって憧れの土地らしい。釣りにまったく興味のない僕にとってはそんなに素晴らしい土地とは思えないのだが。
     さて、今日のことである。肩からクラーボックスを掛けた黒光りの顔のおじさんが切符を買い求めた。
     「難波まで、一枚ちょうだい。次の電車は何時に来ます」
     僕の乗降する駅は30分に一本しか電車が停まらないのである。
    「いま電車が出たところなのであと30分はかかりますねえ」
    「まあ、しょうがないか。」
    「お客さんは今日、何時にこちらへきたんですか」
    「昨日の朝、2時に来て、4時まで民宿で仮眠させてもらったんです。それから漁船で沖へ出て先ほど戻ってきたばかりなんですがね」
     時計を見ると午前12時を回っていた。釣り人も大変だなあと思う。
    「ところで、釣り果はどうなんですか」駅員さんが尋ねる。
    「それが、さっぱり。今日は坊主でね。」
    「大阪から来て、それではたまりませんねえ」
    「いえいえ、こういう日もありますよ。どっさり大漁のときもありますから」
     駅員と話し終わると僕が座る横のベンチに座った。
     「にいちゃんは、これからお勤めかい」僕に話しかけてきた。
     「そうです。夜間勤務ですから」僕は定時制勤務とはいわなかった。
    「そうかい、夜勤も大変だな。おれんとこは、中小企業だから節電で会社がなりゆかなくなるかもしれないだよな」
    「そうなんですか」
    「メッキ工場だからね、電気使わんわけにいかんからな」
    「関西では15%の節電と関西電力がいってますね」
    「中小企業は死ねっていうのかね。たまらんね。」
    「大変ですね。」
    「まあ、そうなったら、こうして和歌山で釣りもできんわな。まあ今のうち、せいぜい楽しんでおくわ」
     いろんなところに、震災の影響が出ているのである。とにかく、日本は頑張らなければいけない。
     頑張れ、日本。
     釣り果、ゼロのおじさんも、頑張って。
      和歌山  なかお
     

  9. ゆまさんがステージをご覧になって、良かった、と思ってくださってホッとしました。
    人には未来を知ることはできないから別れがいつ来るかわからないけど、
    今を懸命に生きることが大事なのだと改めて思っています。
    ご遺族のお気持ち、私は大事にしてほしいです。
    区切りがいつ付けられるかは人によって違うでしょう。
    待つことも時には必要かも知れません。

  10. 「その時、その場にいなかった」
    あまりにも重すぎる言葉に、自分自身の言葉を失いました。
    何度考えても、私には理解できません。
    なぜ、善いことをした方の娘さんが苦しまなければならないのか?
    必ずしも「勧善懲悪説」を肯定するつもりもなく、正義は常に相対的にある、と思っています。
    それでも、このことだけは、迷いなく正しい人の道と判断することができます。
    にもかかわらず、なぜ、苦しまなければならないのか?
    どう考えても、全く理解することができません。
    自然災害だからしかたがないとか、無理に理解しなくてもいい、という意見もあるかもしれませんが、
    それでは、あまりに悔しすぎます。
    正しい人が報われない世界なんて、絶対に肯定したくはありません。
    今は、ゆまさんの将来が報われることだけを祈ることしかできません。
    そんな自分がとても悔しいです。

  11. 先生。ありがとうございます。
    こうやって、先生のブログを読むたび、私も先生に助けられています。ありがとうございます。

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