津波祈念資料館、第2歩目

毎日いろんな人の善意に支えられています。
 例えば発電機。4月8日(金)の夜の大地震の直後、再び停電したクリニックに灯りをともした発電機はレンタル品なのですが、貸してくれているのは山形のレンタル屋さん、山口さんです。先日長く借りているので、電話したら、
「いや~実は僕山形南高校のサッカー部の出身なんですよ。だから先日の後輩たちの清掃作業の新聞記事嬉しくて・・・。僕の発電機が役に立ってるんだったら、ぜんぜん大丈夫だから使ってください!」
 ありがたいです。またいつ地震で電気が来なくなるかわからないんです。そんな時も開け続ける診療所「国際さん」の電気を守るのは、そんな善意で貸してもらっている発電機なんです。
いよいよ「津波祈念資料館」のホームページが完成しました。
 3月に、歩さんたちの赤い消防車を引っ張り上げたその瞬間、津波祈念資料館プロジェクトは始動しました。その第2歩目が、このホームページの完成です。
 ここにも人の善意がありました。まず全体の制作をしてくれたのは、隣町、岩沼市のWeb制作会社「アイズウエッブデザイン」の大本さん。通常2週間以上かかる制作を突貫工事で1週間で仕上げてくださいました。もちろん有料ですが、通常の値段を度外視して制作してくれました。
 その「津波祈念資料館」のロゴデザインはもちろん、京都の陶芸家、上原連ちゃんです。連ちゃんは「地球のステージ」のデザイナー。「地球のステージ」のロゴも、「Frontline」のロゴだって、そして爆発的に売れている新パンフレットだって、みんなみんな連ちゃんのデザインです。
 その連ちゃん渾身のデザインが「津波祈念資料館」です。
 まずは、そのホームページをご覧下さい。

津波祈念資料館のホームページはこちら

 しかし現在資料館構想は足踏みです。ある外国の大手資金源となるはずだったところが雲行き怪しくなっています。もちろん間に入ってくれているわが友人たちは東奔西走。しかし、
「原発の放射能の影響があったり、再び津波がくるようなところにそんな資料館をつくっていいのか」
「そもそもそんな一開業医に、そんな資料館が創れるのか」
という、疑問が投げられているようです。まあ、遠い海の向こうではそう思うこともあるんでしょうね。
 だから、この津波祈念資料館は、どの程度の規模になるのか未知数です。
 資金が集まれば、それはちゃんとした建物になるでしょう。しかし資金が不足すれば、「東北国際クリニック」の駐車場にプレハブで建つかもしれません。最悪資金が全く足りなければ、コンピューターの中、つまり「Web資料館」になる可能性もあります。
 歩さんたちの消防車は現在丁寧に保存していますが、Web資料館となった場合は、どこかに保存してもらう方向も考えようと思っています。
 何れにしても無理はしない規模で考えていますので、今後皆様のご厚意の募金が集まった場合、その額によって資料館の規模が決まりますので、その点はご容赦ください。
 大きな資金源が結論として難しくなった場合でも、クリニックの横の土地は借りて、そこに100坪ほどの小振りな資料館が創れるところまでは持って行きたいと思っていますが、それも叶わないことも想定しなければなりません。
 最終的にWeb資料館となっても、きちんと整理し、誰もが閲覧できて、後世に多くの記憶をつないでいけるないようにしたいと思っております。
 乞うご期待。
桑山紀彦

津波祈念資料館、第2歩目」への17件のフィードバック

  1. 着実に前進しよるんじゃね。すご過ぎる。たかが一開業医。されど一開業医。どんな形にせよ、思いの籠ったものになるのは間違いなし。
    桑山さん、地球のステージ、東北国際クリニックの後ろにはたくさんの応援してる人達がおるもんね。

  2. 「ホームページ」拝見しました!
    すごい! もう、ここまで進んでるんですね。
    人のつながる力って、すごいです。
    広島や長崎の「原爆資料館」も、始まりは、一人一人の市民から、でした。 大きな組織や行政が呼びかけて始まった「資料保存」ではありません。 公の方が、あとからついてきたのです。その話を広島で一緒に聞いたイラクの友人は、驚いていました。 彼は、自分の町に、「イラク戦争」の記録を残す資料館を作ろうとしています。
    どんな、資料館、記念館、祈念館・・・も、始まりは、たった一人の思いと行動から、ですよね。
    よ~し、北海道でも、募金集めるぞ~!! おっしゃぁあ!そんで、9月には北海道に来てくださいね、「地球のステージ」呼びたいです。もう、動いてます。きっと実現します。そんで、いっぱい歌って、いっぱい話して、みんな一緒にいっぱい泣いて・・・ステージの後は美味しいもの食べましょう。
    山形の芋煮と仙台の芋煮と、両方作りますからね。
    北海道の石狩鍋もね!
    あぁ、今すぐ、3つとも、鍋ごと、名取に届けたいなぁ。

  3. 追伸・ホームページ、後でパソコンでみます。携帯じゃ開けんかった。
    今朝 名取市役所の職員の方のメッセージが放送されてました。朝日新聞の夕刊にも取り上げてありましたが、「苦しいけど負けないで!」自分もお子さんと奥さんを失ったのに。

  4. 私は現実に津波の恐怖を体験していないけれど、伝わってくる話だけでもこわいと思っていました。
    勇気を出してyou tubeで見ましたが、自分の想像を超えた破壊力に声も出ませんでした。
    辛い経験は忘れたいけれど、これからのために大震災の記録を残すことは大事なことですね。
    全国、海外から支援をいただき少しづつですが日常を取り戻しているような気がします。
    しかし福島原発の問題は、これからも深刻な状況が心配されます。
    避難されている方々や、福島からきましたと話しただけでいやな顔されたり、子供たちが転校先で辛い思いしていると聞きました。
    どうか福島の皆さんを暖かくお迎えください。風評に惑わされることなく、心の支援をこの場をお借りしてお願いします。

  5. 桑山さんは やっぱりすごいね。
    一歩一歩着実に 進んでいる記録を残す館。こころを癒す館。(こんな簡単な言葉では言い表せないですが・・)
    私が 大金持ちだったら ド~ンと寄付するのにね。
    まあ 細々と 続けます。
    無理しないでくださいね。

  6. たまたまながら、こんなご時世にある大きな買い物をする算段になっていました。
    なんだか申し訳ない気分になった事は確かです。
    そこで、対峙した営業マンにも成約の記念にと申し出て、双方が寄付金を出しあい、その資料館の基金になるよう郵便局を通して送金いたしました。
    その際、知人の勧めで愛読者の一人となっていた私は「地球ステージ」のブログを紹介し、彼女も愛読してくれています。たとえどんな形をとろうとも、気持ちは伝わりますよ。

  7. 仙台空港の近くに住んでいた身内が避難生活を送っています。
    何もなくなった、命だけ残ったと話しています。
    この医療を支えて下さる桑山先生、クリニックのスタッフの皆様に感謝します。
    何も無くなったけど、病院がないとやはり困るので。

  8. 無理しない祈念館構想がいいです。何十億円もかかる祈念館構想も楽しいけど、web上の祈念館もいいじゃないか!
    でも歩さんの消防車が展示できるくらいのものはつくりたいですね!
    連さんデザインのwebサイト、いい!今後のアップデート期待します!

  9. 早速、津波祈念資料館のHP見ました。デザインがいいですね。
    民間の募金で建った「東京大空襲・戦災資料センター」もあります。 
    http://www.tokyo-sensai.net/
    皆さんの思いを形にしたいですね。

  10. 祈念館の設立、心より応援・願っています。
    今はまだ、私もすべてにおいて余裕がありませんので、託して見守ることしかできませんが、いつか少額でも手助けさせて頂きたいと思います。
    祈念館の規模よりも、いかに後世まで受け継がれていく事が大事なので、決してご無理のないよう切に願います。

  11. 短い期間の間にこれだけ話が進むのは
    桑山さんの人間力ですね。
    人を動かすのは人ですから。
    「忘れない」ということが「新しい第一歩」となる
    そんな祈念館になりそうな気がします。

  12. 本当に、桑山先生、凄まじい勢いで物事が進んでいますね。いろんな障害があるかもしれませんが、東北の宮城の、そして、津波被害が大変だった名取市だからこそ、そこに存在する意味もあると思います。
    たくさんの善意が集まりますように!私も少しばかり応援させていただきたいと思っています。
    皆の思いが一番良い形で残すことが出来ますように。

  13. とにかく諸回廊が伝わればいい。
    やれるだけやってください。
    微力ながら応援します・・・・

  14.  津波祈念資料館のHP見てみましたが、いきなり凄いですね。車が民家につっこんでいる衝撃的な映像で始まります。度肝をぬかされます。
     今日、車で我が町内を走っていると、御坊湯浅道路の川辺インターの入口が閉鎖されていました。僕がいつも和歌山へ行くとき利用するインターなのですがこんなことはめったにありません。
     午後から町内会の溝掃除があり、ご近所の人と掃除をしているとこんな会話がありました。
     「津木で事故があったらしいですよ。だから川辺インターは閉鎖です」
     「どんな事故ですか」と僕。
     「正面衝突らしい。乗っていた女の子は即死らしい」
     「湯浅御坊道路は対面交通だから、居眠りか余所見運転すると反対車線にすぐ出るから、反対車線の車はよけようがありませんからね」
     「地震や津波も怖いけど、我々のすぐ近くにも災難はあるもんやで」
     「本当にそうですね。人生、なにがあるかわからない。生きていくということは、実は一寸先は闇だということを、我々は知らないのかも知れない。今日という確実な日が、明日も来るということを、あまりにも期待しすぎているのかもしれませんね。何があっても不思議ではない。そう思って生きたほうが生きやすいのかもしれませんね」
     「あんた、ええこと言うわ。ホントそうかも知れませんね」
     そんな会話を近所のおじさんとしてしまいまいました。
     私たちは、明日が平穏だと、あまりにも思い込んでいるのかも知れません。
     人生はドラマだといえば、なにか、気障なのかもしれませんが、平凡な人生などないと云えるのではないでしょうか。
       和歌山 中尾より

  15. こちらこそ、デザインに関わらせていただいて嬉しく思います。
    こういったことがひとつの支援になること、
    自分自身の中での希望にもなりました。
    たくさんの方々の縁でつながっていく復興への道。
    桑山さん方がこれまで紡いでこられた絆が活躍する時です。

  16. 櫻井歩の娘の櫻井結です。
    先生のブログは、いつも拝見させていただいています。
    ぜひ、私は父の最後を、ずーっと形に残るものを残し伝えたいです。先生の頑張りが私の心の支えにもなり、毎日、頑張って高校に行けています。
    お体に気をつけて、休むときは休み、毎日、頑張って下さい!
    高校生の私でも何かできることがあれば、いつでも言って下さいp(^^)q

  17. 桜井結さん、ブログへの書き込み有難うございます。
    お父様の消防自動車を大切に保管し、伝えていきましょうね。
    私たちも微力ながら応援して行きたいと思っています。

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