ミャンマーの終わりに

今回全行程を通訳者として同行してくれたのが、タンナインさんです。

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 前回もヤンゴン周辺での仕事をお願いした経緯で、今回は全行程を共に過ごしました。

 日本語も達者ですが、何よりその家族や親戚知人に広い人脈がいることがすごい人です。

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 まず奥様は中学校の理科の先生ですが、軍政時代にJICAの研修員として日本の福岡に滞在したことがある強者です。軍政時代はこういった動きは厳しく制限されていたので、奥様は学校が休みに入る4月、5月に軍政には内緒で出かけたという強い向学心の教師です。

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 それからタンナインさんの兄は現在空軍で仕事をしていますが、その一人娘がシュン・レイ・オーさん。23歳の彼女は現在ヤンゴン医科大学の6年生です。今のミャンマーには5つしか医学部がありませんがヤンゴン医科大学はその中でも最高難度の国立医学部です。しかもこのミャンマーにおいても女子の方が成績が優秀であるため、同じ500点で合格を決めてしまうと女子ばかりになってしまうということで、なんと男子は500点、女子は525点で医学部入学が可能になるという「差別」に立ち向かって見事合格した才女です。

 英語が抜群にうまく、バリバリの会話ができてしまうオーさんだけど、実は医者になりたいと思ったのはとても大切な動機からでした。

「私の妹はダウン症として生まれました。でも本当にかわいくて、私は妹が大好きでした。優しくて愛くるしい。障がいがあっても本当に素敵な妹でした。でも、多くのダウン症の人がそうであるように長く生きることはできず、心臓の疾患で亡くなってしまいました。

 本当に哀しくて、私はそんな妹のような素晴らしい存在が今後亡くならないために何ができるか考えたときから医師を目指しました。」

 ミャンマーの場合も、その本人がやりたいやりたくないにかかわらず高校の卒業試験の成績で学部が振り分けられていきます。医学部は最高難度の学部に位置づけられており、たとえ他の学部に行きたくても、成績が500点(女子は525点)を越えていれば、医学部に「入らなければならない」という制度です(ちなみにパレスチナもそうです)。

 けれど、オーさんは違う。まず医者になりたくて頑張って成績を上げてきました。

「来年医者になったら、是非いろんな世界で働こうね!」

「はい!」

 笑顔のまぶしい医学部の6年生(最終学年)でした。

 最終日、タンナインさんの家族親戚とも仲よくなり、気心知れた通訳者としてまた深いつながりができました。これから始まるミャンマー支援事業。

 来週にはその全容が公開できると思います。

 

 激動のミャンマー。日本企業の急激な進出、ODA、JICAの活発な動き。でもそういった国レベルやプロジェクトレベルの話しではない「ある一人のミャンマー人の生きざま」を「地球のステージ」はこれからも伝えていきます。

 今回の渡航により第2期の「ミャンマー篇」の制作に入りました。曲も昨日完成し、イェイェさんをテーマにした「月夜の龍」という新曲も書けました。これから優子ちゃんにコードを取ってもらい、仙台の猪狩さんに編曲依頼です。

 

 

 日曜日の早朝に羽田に戻ります。

 

桑山紀彦

ミャンマーの終わりに」への1件のフィードバック

  1. 民主化も緒に就いたばかりで平和が定着しつつありそうですね。
    ステージの基盤つくりは着々と進んでいるようでなによりです。

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