港屋のおばちゃん現る!

昨日1月25日(金)は大分の2年目のステージ、「2番」でした。
大分はサッカーJ1のトリニータの本拠地だったり、大分市民劇団は以前つかこうへいが関わり、韓国で「熱海殺人事件」を演じたほどの芸術・スポーツの盛んな県です。
 それをになう振興財団の招きで、2年目のステージをさせて頂いたのですが、会場は300人を超える熱気に包まれ、笑い、拍手、泣きの入る「九州人」らしい熱いステージになっていきました。
 そしていつものように物販売の場に立ち、お一人お一人のお住まいや近況を聞きながら、終盤にさしかかった時、
「あれ、見たことある体形のひとが・・・」
 「ん?まさか、そんな・・・」
 「ええ~、港屋のおばちゃん?!」
 「来ちゃったのよ~~~」
 港屋のおばちゃんこと笹田吉子さんが来てくれていました。
 おばちゃんは僕が自転車日本一周している時に愛媛県の佐多岬半島の突端、三崎の町で偶然泊まった宿屋のおかみさんだったんですよね。
 とても優しくしてもらえて、それ以来僕は旅や「ひと」が怖くなくなり、インドに出かけていく礎(いしずえ)になった人なんです。
 なんと、豊後水道を挟んで、三崎の町からフェリーに乗り、大分県の佐賀関に降り立ち、タクシー飛ばしてきてくれたというじゃないですか。そして今日のこの日の夜11時の別府発のフェリーに乗り、八幡浜まで帰る予定できてくれたんです。
 本当にありがとう、おばちゃん
 おもわず、
 「皆さん、この人が今日話した港屋のおばちゃんで~す!」と叫ぶと、物販売場にいた人から盛大な拍手が!
 感動的な一瞬でした。
 こうして人と人は、その間に海があっても山があっても「逢いたい」という気持ちさえあればちゃんと逢える存在なのだ、とまたおばちゃんに教えてもらえました。
 愛媛県松山の公演は来年の1月までない状況なので、おばちゃんは国道197号線がフェリーとして海の中であっても大分とつながっていると思いを込めて、海を渡って日帰りで会いに来てくれたのです。
 そんなおばちゃんとの出逢いの写真を使って、今日の福岡県2公演は、
 「昨日おばちゃんが会いに来てくれたんです~」
 という特別な語りになりました。
 この2日間での3公演はすべて「地球のステージ2」だったことも幸いしました。
 おばちゃん、また来てね!
港屋のおばちゃん
港屋のおばちゃんと大分公演で会えた!

港屋のおばちゃん現る!」への10件のフィードバック

  1. 大分まで来て下さった「港屋のおばちゃん」
    桑山さんに、「きっかけ」をくれたおばちゃんが、今度は、桑山さんから、「きっかけ」をもらっているんですね。
    な~んと、おばちゃんは、パソコンも始めたとのこと!
    おばちゃんの、気持ちの強さと前向きな姿勢に、後手後手になってしまう私、「やればできるわよ」と教えられた気がします。
    おばちゃん、今度は、何時会えるかな?楽しみです。

  2. ドクトルKこと、「地球のステージの桑山紀彦先生」
    お抱えピアニストの石橋優子さんお逢い出来て、嬉しかったです。前日は、台風の様な、天候でどうしようかと、土壇場まで、迷いましたが行くことに決めました。さぁ、大変です。行くと決めたからの私は、資料の整理、コピー、510枚、死にもの狂いの私に代わりました。パソコン教室の施設長さんに、何としても仕上げなくてはならない資料があります。させていただけませんか?と、急救車、娘宅の電話番号、そして、いっさい何があってもここには、ご迷惑なし、という思いをしっかり伝えての、自分との戦いです。緊迫の中のコピー始まりです
    510枚のコピーが、すべて終わったとき心から「ありがとうございました。」という心を
    工程が終わってよかったという思いが胸一杯に広がりました。そして、今度は自分の部屋での資料の区分けです。まる、二日一睡もせずの戦いの始まりです。越中、富山の薬売の様ないでたちです。過ぎし、一日、三崎の役場に住所を聞いても教えて貰えない。行くしかないとだみさきまできてくださいましたね。山形から愛媛県の佐田岬まで、たった一枚写真だけを手がかりに尋ね探してくださいましたね。フののエリー場近くの大下美容室へ、写真を遺影を抱くごとく、大事に持って、この人の現住所知りませんかと尋ね下さいましたネ。大下さんがこれ、吉子よ、と言って、独身寮の寮母になっていた所へ、たった四人しか言ってない住所と、電話番号、縁と言う言葉を見に染みて感じました。役場へ聞いても住所を教えてもらえないそういう中、山形から愛媛県の佐田岬半島まで行くしかない、そして一軒一軒このかたの現住所ご存じないですかと尋ね歩いてくださった過ぎし一日。今回大分行きの前、佐田岬フェリー場近くの大下美容室に寄ってきました。そしてみかんを預かりました。「桑山さんに」あげてくださいということでした。
    一枚の写真を遺影を抱くが如く大事に胸の前に抱き、この方の現住所知りませんかそれ「吉子さんよ」といって私のところへ電話を入れていただきましたね。それからお互い一歩踏み込む事もなく繋がって参りましたね。岬の事だったらうちへきたら何でもわかるとその時に言ったとのよと聞きます。また、フェリーの中で嬉しいエピソードがあります。資料の整理がまだ終わってない私は資料を広げて一生懸命していると初めは見ていた生徒が二人そして次々と7人、フェリーが付く頃になりますと汗だくの私に先生までもが手伝ってくださる嬉しい出会いにここの温もりをいただきました。
    桑山先生、優子さん、私ね、私一人公演聞きに行ったのじゃないのよ。私の家のお墓には玉砂利が敷き詰めているの。その玉砂利の小指の先のほどのものを4個守り袋に入れ両親にもステージを見せてあげたくって連れて行ったんですよ。逢えてよかった。三崎ではわずか4人しか伝えてなかった私の住所と電話番号。その1件によく探していただきました。これも人と人との縁とか絆でしょうか。うれしかったです。三崎で会えなかったら先生はおっしゃいましたね。あの人に会いたいという番組に今度は出さなくってはと話して下さいましたね。もったいないことです。
    今回の九州行きはパソコン教室の先生方のご協力、フェリーの中の生徒さん一人一人の心や先生のお心までプラスされ、あれだけの資料の完成です。桑山先生が皆さんにサインをしている間、私は覗いてみて下さい、またステージに来ていただきましてありがとうございました、また来てあげて下さいねの言葉の連発です。
    学校名も分からない御礼の言えない先生・生徒さん心からご協力くださいましたこと紙面をもってお礼申し上げます。何かの形で目にしていただけましたら、嬉しいと存じます。
    飯野さん、伊井さん、五十嵐さん、須藤さん、遊佐さん、嶋津さん、千葉の大川さん、富山県の砺波の柳瀬さん、林真理子さん、松山の藤岡さん、寺畑さん、ユニセフ愛媛県支部の皆さん、本当にありがとうございます。いつも心からうれしくおもっております。
    温かき 師のみ心に しみじみと 涙流るる ステージを見て
    笹田吉子
    またいつか会えることを楽しみにしております。

  3. 「港屋のおばちゃん」こと笹田吉子様、ブログへの書き込み読ませていただきました。お会いしたことはありませんが、縁、絆、諦めない心、温かな出会い、感謝の心、桑山さんが海外へ出かけて行く礎になった方なのだと・・・うんうんと、うなずきながら泣けてしまいました。ありがとうございました。

  4. 港屋のおばちゃん、
    このブログでおばちゃんに会えるとは! うれしいです!
    桑山さんもきっと喜んでいることでしょう。
    明日からの渡航を控え、うれしい励ましになりますね。
    おばちゃん、今度桑山さんの活動の様子を取り上げたドキュメンタリー映画が完成したんですよ。試写会が始まっています。とてもすてきな映画になりました。ライブのステージを見たことのない人にも、すーっと入り込める映画です。きっとあったかい気持ちになれると思います。各地で上映会が開催されたら、愛媛でも見ることができますね。
    絶対に見てくださいね。
    2月24日の滋賀県の公演で、全都道府県に広がることになります。1600回、歌い続け、語り続けてきました。
    おばちゃん、これからも一緒に応援していきましょうね。

  5. 港屋のおばちゃんへ
    行かれたのですね!
    とても熱い気持ち、温かい気持ちが伝わってきます。
    そうですね、人と人との縁、絆、大切にしたいです。
    それは、相手次第もあるけれど、まずは自分からつなげようとすることから。
    昔、昔桑山さんが縁あって出会ったおばちゃんがこうしていろいろな人とまた縁がつながっていくなんて!すてきです。
    頑張れ!桑山さん、頑張れ!地球のステージのスタッフのみなさん!頑張れ!港屋のおばちゃん、頑張れ!地球のステージ応援団。

  6. お抱え通訳の後藤明子さん
     地球のステージの大分公演、会えなくって残念、残念・・・
    今は、桑山先生と外国ですか?今回,行かれている所は治安の悪い所ですね。
    娘も、心配していました。どうぞ、お元気で、お帰り心からお待ちしています。後藤さんか石橋優子さん、お二人とも同行していましたら事務所の方、何かの送信の時、伝言して下さい。お願い致します。
    後藤明子さん、貴女が、北海道公演の時お送り下さいました、あの可愛いふく
     ろう、私の、枕もとのテレビケースの中で、いつも大きなおめめで、おばちゃんを見ててくれています。優しいおめめで、とっても可愛いの。じっと見られていますと,嘘のない自分で日を重ねられます。嬉しい事です。
    一人住まいの私は、ふくろうや、可愛いハートを抱いた人形すべて家族なのです。いつも、話し掛けて、励まして貰っています。
    全国を飛び回っているんですもの、お会い、できなくっても〔逢いたい〕何て言えませんね。桑山先生や、貴女、又、石橋さんの頑張る姿を見、私ふるいたたされ思いが致します。若さは返りませんが、ちょっとまって、おばちゃん、やっと目覚めて勉強中なの。時間ちょうだい。そんな思いで過ごす今日この頃です。大変な活動と言う中で、健康だけを心からお祈りいたします。
    過ぎし、ひと日私が独身寮の寮母をしていた時、一枚目のCDを自分自身の手から渡したいという,先生の一念で探してくださった事、あれは、地球のステージ第一回目から20日後、くらいでしたね。それから、繋がって今日、あることをしみじみ人との縁とか情けという事を、かみしめております。色々な事、思い返して見ます時、私、又家族に勿体無いとその一語につきます。その折々にいつも後藤さん一緒でしたものね。
     
    大分、公演後「お母さん、お母さんがパソコンや、短歌、昔の幸せであった頃のお母さんに一歩、一歩、歩みより本物で、笑えるお母さんに変って行く姿、私達は、一番嬉しい、もう、私たちの事を、考えるより、お母さん自身の事を考えてな・・・、そういう時期がやっと来たのよ。」この言葉に泣かされました。
    これもみな、桑山先生や地球のステージの皆さんとの出会いが閉ざされて、凍り付いた、心を開こうとする事すら忘れていた私、誰よりも変っていけそうな、自分にきずいてます。「よかったなぁお母さん」という言葉を子供から頂いた時、私も貴女達にも心のじれ馬から、無理な言葉や重荷という物を肩に乗せたでしょう。もう、肩の荷おろして・・・そういうと今度は娘が泣く、いい日、迎えることできました。嬉しい、母娘でこんな、会話できるなんて、感謝です。
    こんな、言葉が子供の口から嬉しいです。私も子供も年を重ねたという事でしょう。
    又一つ、貴女も一度、尋ねてくださいましたあの、大下美容室のおばちゃんから、三崎の方にも来てくださいと伝言たのまれましたよ。その時、来年の一月に愛媛が入っているよと、言いましたら、その時は、絶対行きたいといってました。そういう中、又人から、人としげっていくことのぞみます。
    地球のステージは、ご支援下さいます、一人、ひとりが、本物で支えて下さる。
    だから、愛される源へと変っていっているのですね。
    今は、寒さきびしい折、御三人の健康又、ご支援下さいます皆様との心の密なる事を八幡浜から祈ってます。
    ふくろうが見ててくれるから、寂しくないよ。明子さん。3月31日から、もういいわの命から、皆さんに生かされている命へとかわっています。今度貴女とお会いしたら、おばちゃん変ったねと言って頂ける様な私へと、きっと、頑張る事約束します。
    伝言・・音響の音やさん。あのおやせに成っているのに、機材をてきばきと運ばれる姿は見ものですね。脱帽です。今後も音まかせましたよ。桑山先生お願いします。仙台 五十嵐さん、遊佐さん又皆さんばっちりですね。つくばは、これまたばっちりの、飯野さん、伊井さん他スクラムの組みよう見事、日本一の原動力ですね。皆、つくばに続け、ですね。そして、皆、どこのステージにも力を貸し合って、おばちゃんは若さに欠けること残念です。
    若かったら、千葉の大川さんの、二代目になったかも・・・嶋津さんは、DVDで、色々な所で黒子の役目、絶対必要な、でも、若い方がよく頑張ってますね。ありがとう。オーイ、・・・と呼びかけたくなる、長谷川さつきさん。お父ちゃんと仲良くやつてるでしようね。おばちやん、前に主人でーすと紹介された時、目薬買わないといけないくらい、あてられましたょ。でも、おばちゃんが、一番望む仲良き事うれしいです。藤原先生もおげんきでしょうか。最後に皆さん。
    人と人とが手を取り合って地球のステージから、一歩又心の宝物がふえますように。寒くなります。皆さんお元気で。

  7. おばちゃんへ
    おばちゃんの書き込みに感激です。
    もちろん、去年、愛媛で初めてお会いした時の感激も忘れられません。
    そして、本当に素晴らしい娘さんに囲まれて、本当に本当に良かったですね。思わずウルッときました。
    「地球のステージは、ご支援下さいます、一人、ひとりが、本物で支えて下さる。だから、愛される源へと変っていっているのですね。」
    このおばちゃんの言葉、確かにそう思います。
    誰もがこうしたい、でも自分では出来ない。それを桑山さんがやってくれる。
    これだけで充分です。だから素直に応援できるんだと思ってます。
    みんなが桑山さん、そしてそれを支えるスタッフの皆さん、それにおばちゃんが大好きなんです。
    このつながりは永遠に続いて行くと思います。
    またお会いできることを楽しみにしています。

  8. 港屋のおばちゃんへ
    良かった、良かった!
    私も地球のステージに出会って良かったです、そして桑山さん、スタッフの人たち、応援する人たち、そしておばちゃんまで、出会って本当に良かったです。自分のやることはちっっぽけですけれど、出会いによってまた変わりました。
    ありがとうございます、の気持ちでいっぱい。
    また、おばちゃんに会いたいなあ。
    お元気で。
    私も恥ずかしくないように。元気出していきます。
    ありがとうございます。

  9. 日本一有名な、民宿港屋のおばちゃん。
    これから、このブログでも、近況報告ができますね。どれほどの悲しみ、苦しみを乗り越えてこられたのか・・・。だから、人々のぬくもりやつながりを、人一倍感じていらっしゃるんでしょうね。
    いや~、おばちゃん、みの~れのステージのDVDで、うちのおとーちゃんですって紹介しましたが、そんなに仲良くないですよ~。確かに、うちのおとーちゃんは、ステージの仲間の間では「ジェームス」と呼ばれてますが。(akiちゃん、桑山さん、yuukoちゃん、みほちゃんも、きっと、本名知らないかも)いつか、ナマのジェームスを見ていただけたらな・・・と思っています。

  10. 港屋のおばちゃん。
    書き込み何度も何度も繰り返し読みました。勇気が湧いてきて、とっても元気になる自分が、不思議なくらい良くわかります。また書き込みお願いしますね。

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